4.5:キジルクム砂漠

    (ウルゲンチーブハラ)

翌日、私たちはウルゲンチからブハラへ移動した。

中央アジアは砂漠地帯の筈だが、灌漑農業が盛んなために都市の周辺には綿、葡萄、アプリコットなどの畑が続いている。これを過ぎるとだんだん砂漠らしくなるのだが、それでも緑が見える。丈の短い丸く密になったキンギョソウのような草があちらこちらに生えているのだ。

これは「サクサウール」といって、砂漠に生える草だ。種をまくとすぐに根が地中10mまで伸びていき、どんどん増えていくという。第二次大戦中はこの草が燃料になったため、ほとんど刈り取られてしまったが、その後ヘリコプターで種をばらまいたところ、すぐに元通りになったらしい。大まかに分けて二種類あり、緑っぽものは硬く、白っぽいものは柔らかい。らくだは好んでこの白っぽいサクサウールを食べるそうだ。

我々のバスはアムダリア川に添ってキジルクム砂漠を渡っていく。キジルクム砂漠は「赤い砂漠」という意味で、砂が赤いためにこう呼ばれる。ウズベキスタンは砂漠の中に浮かぶ国であるが、この国の中で砂漠の中に消えてしまわない川は二本だけあり、一つはアムダリア川で、もう一つはシムダリア川だ。

とにかくこのアムダリア川、砂漠に消えてしまわないだけあってとにかく広い。海かと思うほどの広さだ。対岸がうっすらと見えるだけなのだから。

何時間か走っていると「トイレ休憩」だと言ってバスから降ろされた。外は42度の猛暑だが、完全に乾燥しているせいであまり熱く感じない。多分、こういう暑さは「暑くないな」と思っていると急に目が回って倒れるタイプの暑さだろう。何しろ、かいたそばから汗が乾燥し、肌がべたべたしないのだから、脱水症になっていても分からない筈だ。

とにかくトイレだ。
「男の方はこの道路の左側で、女の方は右側で、お好きなところでどうぞ」
……分かり易いぞ、砂漠のトイレ!!! 運良くというか何というか、女性はアムダリア側が「トイレ」である。適当にサクサウールの陰や崖の陰を求めてちりぢりに散っていく。

砂漠と言っても、この辺りは「土砂漠」だ。砂がないので歩きやすい。地面は見事に干上がり、ばりばりとひび割れている。所々にウサギのような足跡がめり込んでいるが、雨が降った時からずっとこうして跡が残っているのだろうか。そうだとすると、この辺は冬に雪が、春先に雨が少し降るだけなので、春先から何ヶ月もずっと足跡が残っていることになる。そういう足跡は素敵だ。

川を臨む崖の陰を見つけてそこにしゃがみ込む。風がそよそよとして何だか気持ちが良いぞ。癖になったらどうしてくれようか……。

バスは真っ平らな砂漠を走る。本当に真っ平らだ。地平線がどこまでも続いている。空には雲一つないし、絵に描いたような砂漠だ。またしばらくすると今度は昼食場所に停まった。

昼食はチャイハネで取った。お昼は硬いパンと硬いリンゴのみ。みんなでお金を出してファンタやコーラを買い、それをお昼に付ける。

チャイハネの中には2m4方くらいの巨大ベンチがある。ベンチの上に更に机があるので、この上でみんな食事をとる。(これはイスラム民家にはよくある物で、テラスにおいてある時は作業台になるし、夏はここで寝たりもする。便利便利)

隣の席ではフランス人のツアー客が食事をとっていたが、その中に日本に11年住んでいたベルギー人が混じっていた。彼女の言うことには、ウズベキスタンを訪れる観光客は、国別に見てフランス人が最も多く、ついで日本人なのだそうだ。

このチャイハネの辺りの砂漠は「砂砂漠」だ。同じキジルクムなのに何故だろう。

とてもきめの細かい砂なので、サンダル履きで「トイレ」を求めて歩き回ると、すぐに足の裏をやけどする羽目になる。私は運良く靴を履いていたから助かったが、夏の砂浜の比ではない。本当に熱い。

この日は1日移動して終わってしまった。ブハラについたら自由時間だ。私たちは「ちょっとそこまで」と散歩に出かけ、結局バザールで甘い物を買い食いしていた。

実は、このバスの中で私の眼鏡の片弦がいきなり折れてしまい、私はずっと度入りのサングラスで過ごしていた。このバザールで日本製のアロンαを発見したので、早速購入する。が、「弦を付ける位置を決めなきゃね」と眼鏡をかけてみたところ、片弦だけでも何の違和感もなくかけられることが判明。以後1年半経っているが、未だ私の眼鏡は片弦だけで保っている。

しかし、私は旅行の旅に必ずコンタクトに問題が起こり、しかもそれが行くたびにひどくなるので、今回思い切って眼鏡にしたのだが、まさか弦が折れるとは……。行く直前に眼鏡屋さんに弦を直してもらっておいたはずなのに、それがあだになろうとは……。(眼鏡屋には「折れたのはお前の扱いが悪いからで、私たちが直したせいではない」と言われた……。パリ○キめ……)




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