![]() 4月1日(土) その3 中正記念堂へGo! |
国父記念館の儀仗兵交代を見た後は、「じゃあ、中正記念堂の儀仗兵交代見るから!」と、急いでMRTの駅に行きます。この時点でもう3:30。中正記念堂も国父記念館と同じで、正時ごとに儀仗兵の交代をします。30分でたどり着けるかどうか……。いや、一応急いでみます!
地上に出てきた時点でもう4:58。
MRTの駅から中正記念堂の場所を確認した途端、「あ、こりゃ駄目だ……」と。
だって……遠近感がおかしくなるほど、遠いんだもん……。
一応、端の門から中正記念堂まで480mあるそうです。でもって、この敷地面積は25万uもあるそうですよ……。
あのね。もちろん、中国の天安門広場の方が広いです。44万uあるわけですからね。ギネスに認定されてる、世界一広い広場です。
でもね、天安門広場は、元々皇帝の宮城だった訳じゃないですか。その一部が天安門広場じゃないですか。
でもここって、わざわざ蒋介石の偉業を忍ぶために造った訳でしょう?別に何かあった訳でもない所に、わざわざこんなどでかい物を造ったわけでしょう?
アホか!
広すぎるわ!!!
ということで、門と中正記念堂の間にある、国立音楽堂のオープンカフェでお茶して、休憩しながら5:30まで時間を潰し、最終回の6:00の儀仗交代にチャレンジしようと思います。ということで、5:30になって、娘と2人で中正記念堂に移動。もう、男子組は階段には登らないらしいよ……。
目の前を歩いていた日本人が「中正記念堂の、中正って何〜?」と、台湾人の友人に訊いていました。台湾人の返事は「えぇと、なんか、昔の偉い人です」。
いや。
いや、そこはもう少しちゃんと教えてあげようよ!中正って、蒋介石の本名だよ!介石は字(あざな)だよ!じゃないとあの日本人、ここが蒋介石の業績を記念して造られた記念堂だって知らずに日本に帰っちゃうじゃん!さすがに蒋介石って名前は、日本人も知ってるから!そこはちゃんと教えてあげて〜〜!!
こちらが中正記念堂。1975年に蒋介石が亡くなった直後に建設が決まり、完成したのは1980年です。階段の段数は介石が89才で亡くなったので、それと同じ89段です。
建物の高さは70m、白い建物の部分(主体・屋根は含まない)だけでも24mあります。この主体の正門の高さは16m。だから、でかいわ!なんか、あんまり広い建物の中に入ると、人間は平衡感覚までおかしくなる、ということを初めて知りました……。
この天井までが24mで、奥に見える蒋介石座像は、介石像が6.3m、台座が3.5mで、合計9.8mある訳なのですが、写真だとそんなに大きく見えないでしょう?それだけ広いからですよ……。
そしてまた、お人形さんのようにぴくりとも動かない儀仗兵が……。こちらが中正記念堂から見た広場。
……だから、広いって……。
真ん中ら辺に見える左右の黄色瓦の建物は、左がオペラハウス、右が国立音楽堂、奥の方真ん中に見える白い門が正門です。この正門から記念堂までが480mあるわけです。天井にはやはり美しく、青天白日旗が。 そして儀仗兵の交代。
踊り(?)は国父記念館と変わらない感じでした。やっぱり15分くらいの長さで。
今回は最終回なので、儀仗兵は交代しないで、みんなで一斉に退場してしまいました。儀仗兵が退場すると、すぐに私たちも1階へ。ここは外から見ると階段に当たる部分に作られたスペースです。この中央の通路は奥行きが80mあります。
中はおみやげ屋さんや展示室があり、特別展では何故かアニメの歴史みたいな展示もしていたのですが、もちろんそちらはスルーして、介石の展示を見に行きます!途中にあったおみやげ屋さんの看板。
ひど!!
……いや、まぁ、介石の表現もここまで自由になったって事で、良いんじゃないのかな……ははは(乾いた笑いで……)こちらは介石の展示から、若かりし日のイケメン介石ちゃん。
だから、上の介石と比べてよ!
可愛いじゃん!!!
特に背広の下がくしゃってなってる辺りが、萌なわけです!(って、おい! Σ ∈(´ω`;)ベシッ)こちらは介石ちゃん用に用意した公用車のキャデラック。
……でも、1回も使わなかったらしいよ……。ダメじゃん!
儀仗兵の交代が終わった後、結局娘と2人で1時間近く展示を見ていたのですが、ダンナから「いい加減に帰ってこい」と電話があり、外に出るとダンナが国旗の辺りでウロウロしています。
「いや、兵隊さんが国旗の所にいるから、そろそろ国旗下げるのかと思って」と!
ダンナ、よく気づいて呼び戻してくれました!ありがとう!!!
ということで、6:57、国父記念館から儀仗兵が現れました!
あ、お分かりでしょうか。記念堂の主体(白い建物の部分)の正門、もう閉じてますよ!儀仗兵の交代の後、割とすぐに閉じました。しかも人力で!人が16mもある扉を一生懸命閉じてましたよ……!ここで儀仗兵の方達が国旗に敬礼。そして儀仗兵交代の時のような、ちょこちょことダンスのように鉄砲を回したり交換したり敬礼したり腰を捻ったりしているうちに、そこから2人の儀仗兵の方が出てきて、国旗の下に移動します。 この国旗を降ろす作業ですが、視線は真っ正面から動かしません。
儀仗兵の交代の時もそうで、台から降りるときも自分の足元を見ずに、踵で台の角を確認してから降りたりしていたのですが、今回も一切目を上にも下にも向けず、真っ正面を見ながら国旗を降ろし、国旗を外し、国旗を畳んで、階段から下りてくるのです。
その為に、海兵さんが補助に付いていましたが、そこがちょっと可愛かったですv国旗を降ろして儀仗兵がまた記念堂に向かって帰って行くと、当然のように子供達が追いかけていきます。
なんか、時代が変わっても、子供ってのは兵隊さんを見ると追いかけるものなんだね……。
いや、子供が追いかけなかったら、きっとママが率先して追いかけてたと思うよ……?そして儀仗兵さん達は、展示室とかのある1階スペースに消えていきましたとさ。 ライトアップされた中正記念堂。
綺麗だなぁ……。そしてライトアップされた正門。
なんか、竜宮城みたいだなぁ……。こちらは、中正記念堂の脇に走る、回廊。
夢のように綺麗……(うっとり)
この回廊の隣に、健康道路というのがあって、まぁ、よく罰ゲームなんかで出てくる、道路に石がボコボコ浮き出させるように敷いてあって、裸足で歩くと健康でない人は痛いって奴ですが、回廊の長さが広場の周りをぐるり囲んで1200mあるので、健康道路も半端なく長いそうです……。
……せっかく美しい回廊の脇に、何て物を作るのか、台湾……orz
→→→4月2日:故宮博物館へGO!
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