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ということで、仁和寺です。
仁和寺の入り口の門を「二王門」と言い、三代将軍家光が建てました。この門は「京都三大山門」に数えられています(他の2つは知恩院三門と、南禅寺三門です)
三大山門だけあって、すごい大きいです……!! |
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上の仁王さんは二王門の仁王さんです。 |
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そしてこちらが仁王さんの足。
この筋張った、血管の浮き出た足の甲もステキなのですが、足の指先がぎゅっと地面を踏みしめているのがステキです!!!
(や、すいません、ガチムキ好きなのでつい……) |
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こちらは二王門をくぐってすぐ左手にある「勅使門」。この門は大正に入ってから(1923年)に再建された宮殿風の門なのですが。
ちょっとアップにして見ていただくと。 |
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分かります!?
なんか、すごい装飾が綺麗なのですよ!!これ、実際に見ると透かし彫りがとても綺麗に光の中に浮かんでいて、メッチャ綺麗です!!
ワタクシ、勝手に心の中で「ゴスロリ門」と呼んでおりました(おいおい) |
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こちらは二王門と金堂の間にある中門に安置されている増長天と多聞天です。向かって左側の、手に宝塔を持ってる方が多聞天、右側の方が増長天です。
何気なく置いてあるけど、すごい綺麗な像だよ〜!! 外に置いておいて良いの!?(いや、門の中にあるので、ちゃんと屋根はありますがι)
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中門入ってすぐの所に植えられている「御室桜(「仁和桜」とも言います)」
樹高は2m程にしかならず、遅咲きで有名です。岩盤のすぐ上に土壌が薄く乗っている所に植わっているので、背が伸びないのだそうです。この桜、ここ仁和寺でしか咲かないそうですよ。 |
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でも咲き頃はまだまだ先のようです……。
いや、もうちょっとって感じなんだけどな……。 |
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こちらが仁和寺の金堂。
この金堂、二度焼失したのですが、江戸時代初期に京都御所の紫宸殿を移築した物だそうです!現存する最古の紫宸殿なんですって。
紫宸殿って言ったら、源氏物語とか枕草子とかの舞台か〜と思うと、なんかすごい興奮します。
しかしそんな移築しちゃったりとか、「現存する最古の」とか言われちゃうって事は、紫宸殿って意外としょっちゅう建て直して古いのはよそに移築したりしてたのかしら……。 |
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そしてこちらが上のしおりで「探してみよう!」と言っていた「黄石公」です。屋根の真ん中よりのの左右に乗ってます。袖がひらっとしてるのが可愛いですvv しかし昔の亀って、なんで髭が生えてるんだろう……。
この黄石公を見つけてきゃっきゃきゃっきゃしながらしおりに書き込みをしていたら、そばにいたおばさん連中に「あのおじさんは何なの?」「長生きできるの!?」「ヤダ!何であんなおじいさんがいることに今まで気づかなかったのかしら私何度も来てるのに!!」とやいやい言われ、黄石公の説明を何度もさせられました……。そりゃ意識してなきゃ気づかないよ、小さいもん、黄石公……。
いや黄石公も可愛くてステキなのですが。
右側の写真、柱に細かく金模様が施してあって、やっぱり紫宸殿は違うわ〜とか萌えてみましたvv こんなステキなところで帝達は暮らしてたんだなぁ。でもこの紫宸殿が御所にあった頃は、帝といえども台所事情は相当大変だったろうから、美しい建物なだけになんか複雑だなぁ……。 |
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こちらは仁和寺の鎮守が祀られている、九所神社。
この辺りは林のようになっていて、子供達が大喜びで走り回っておりましたよ(
^ω^;) |
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こちらは金堂の西側に建っている「御影堂」で、中には弘法大師空海の像が祀られています。
字が汚いことを気にしている娘に「ここに祀られているのは字が美しいことで有名な弘法大師だよ!!弘法大師にお願いしたら、字が綺麗になるかもしれないよ!!」と言ったら偉い熱心にお祈りして、お寺から出るなりしおりの後ろにひらがなを書いて、「ママ!弘法大師にお願いしたから、私字が上手くなったと思わない!?」と喜んでました(笑) |
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そしてしおりにも書いた本物のクローバーが貼り付けてあるお守り。
札所のおじさん曰く、「このお守りを見て、漫画家の青木琴美さんは『僕の初恋をキミに捧ぐ』を思いついてマンガに書いたんですよ」とのこと。
そのせいかこのお守り、「幸福守」と「恋愛成就守」の二種類になっておりましたよ。娘は「恋愛成就のお守りを買って!」と言ったのですが、「お前にはまだ早い!!」と、幸福守の方をゲットしてきました。 |
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こちらは中門から二王門を臨んだ所です。
広っ!!
さすが宇多天皇がここで院政を敷いただけあって、門跡寺院と言うより院政御所だよね……。 |
この後めっちゃ苦労して太秦映画村にたどり着きました……。ということで、→太秦映画村にGO! |