お母さん!!その京都・奈良旅行、
夏休みの自由研究にしませんか!?


4月2日:金閣寺


朝起きて楽しみにしていた朝食バイキングに行くと、京都のおばんさいから洋食まで、ものすごい量のおかずが並んでいます。わ〜い、普通のホテルみたいvv さぁご飯を取ってこようとご飯コーナーに行くと、なんと関東では稀少品になっている納豆が山積みになっているではありませんか!! 納豆は関西の人はあまり食べないと聞いていたので、納豆なんて作ってるのは北関東だけだと思っていたのです……。恥ずかしい!! 

で、お店の人に訊いてみたら、「製造地は書いてないんですが、販売は神戸のお店ですね」と。え〜。関西にも納豆の販売元あるんだ……。あ、でも名古屋とか九州は食べるって聞いたことあるし、やっぱり色んな所で作ってるんだね……。関西の方、ごめんなさい!! 

お店の人に「関東の納豆はほとんどが北関東産なので、震災で工場潰れちゃって、なかなか買えないんですよ」と言ったら「それでですか!ここ3週間、お客様が納豆を取られることが多くて、納豆の減りがいつもより多いんで、どうしてかなって思ってたんですよ」と。みんな考えることは同じですね……。もちろん私たちも「次いつ食べれるか分からないから!」と、毎日納豆食べました……( ^ω^;) お土産に買っていきたかったんですが、観光地ばかり回っていたのでスーパーを見つけられず、残念ながら買ってこられませんでした。子供達も好物なのですが……。

そんなこんなで朝食を平らげ、朝9時に宿を出発して、今日も1日歩き回りますよ!!


まずは、1つ目のお寺、金閣寺のしおりをどうぞ。

(例のごとく、赤い字は娘のぢぞ吉が書き込んだ答えです)
金閣寺

 金閣寺は、正式名を「鹿苑寺」と言います。このお寺では舎利殿(仏陀の遺品を納める建物)を「金閣」と呼ぶので、このお寺自体も「金閣寺」と呼ばれるようになりました。
 
 元々この場所には鎌倉時代の1224年に西園寺というお寺が建てられたのですが、室町時代の1397年に、室町幕府の将軍の足利義満が西園寺と自分の領地と交換して、新しく建物を造り直して「鹿苑寺」となりました。
 
 ところがこのお寺は何回も何回も火事にあって、何回も何回も同じように建て直されています。一番最近では今から61年前の1950年、このお寺で働いていた見習いのお坊さんが火をつけて、金閣寺は屋根の飾りを残して全焼してしまいました。この事件をテーマに何人かの人が小説を書きました。今ではきれいに再建されて、昔のまんまの姿に戻りました。

 金閣寺はなんと言っても金色に光る舎利殿が目を引きますが、この金色の色は、(本物の金を貼り付けています・×金色の絵の具で塗っています)

 さて。ここで金色だけに気を取られないで、よく見てください。1階だけ金色ではありません。実はこのお寺は、1階・2階・3階と、建築様式が違うのです。その違いが分かるかな?どうしてこんな建て方をしたのか、考えてみよう!
わかりません(←分からなくても正解ですが、もう少し考えようよ……)



金閣寺はチケットの替わりにお札をくれました。このお札、途中に「要らないお札はここに入れてください」と箱が置いてあって、「お札なのに!?」とちょっとびっくりしました。いや、でもなんかお札だとありがたみがあって良いですね。
入り口からはいるとすぐにお馴染みの景色が見られます。

上のしおりにも書きましたが、金閣寺は1階にだけ金箔が貼られていません。何でかしらと思っていたら、たまたまそばを通りかかっていたタクシーの運転手さんがお客さんに説明をしていたので盗み聞き。

「1階は元々護衛役の詰め所だったから、護衛共の為に金箔なんて貼らんでも良いだろということで、金箔が貼られなかったんですな。義満さんはケチだったんですなぁ」と。

なるほどそういうことか!!本当かウソか分からん話だけど、私的にはすごい納得したよ!!ありがとう、見知らぬタクシー運ちゃん!!
上のしおりに書きましたが、金閣(舎利殿)は一層ごとに建築様式が違います。

一層目は寝殿造り(平安時代の貴族の邸宅などに用いられた建築様式)で、「法水院」と呼ばれています。二層目は武家造り(鎌倉時代の武士の屋敷に用いられた建築様式)で「潮音洞」と、三層目は禅宗仏殿造り(唐様と呼ばれる、唐の建築様式を模した様式)で造られ、「究きょう(「立」の下に「見」という字)頂(きゅっきょうちょう)」と呼ばれています。

金閣の中は立ち入り禁止なのですが、金閣の脇に内部の写真が架けてあったので、写真に撮ってみました。

こちらが三層目。ここには仏舎利が納められているそうですが、見たところどこにあるのか映ってません。ガイドブックの後ろ表紙には、全ての扉を閉めた三層目の、真ん中の窓際に小さな厨子が置いてある写真が載っているので、多分それが仏舎利なんでしょう。

普通仏舎利って容れ物に入れて塔の下に入れる物なんだけど、舎利殿の下池だしねぇ……。
こちらは二層目の中。

中に納められている仏像は、真ん中が岩屋観音で、周りに四天王が配されています。
一層目は何とか外から望遠で中の仏像が取れないものかと頑張ったのですが、やっぱりダメでした(笑)

中に納められている仏像は、真ん中に宝冠釈迦如来像、向かって左に足利義満坐像(出家後の姿)で、向かって右には書の掛け軸が架けてあるみたいです(ごめんなさい、何の書かは分かりませんでしたι)

しおりの中で「なんで三つの建築様式を変えたのか」というのを考えさせる問題を作っていたのですが、正解は義満に訊くしかないので分かりません。でも鹿苑寺発行のガイドブックに(以下引用)『平安時代、鎌倉時代、そして唐様と、すべての様式を折衷させた独創的な建築で創建当時はもちろんのこと、今も驚嘆に値する建築技術の結晶で、その流麗な姿は庭園、境湖池の優雅さと相まって、いよいよ美しく、今やまさに世界の名建築となっている』(引用終わり)と書いてあるから、多分義満も「どうだ!?誰もマネできないようなすごい建築だろう!?俺カッコイイ!?」くらいのつもりで造ったんじゃないかなぁと、勝手に推測しています(おいおい)

金閣の脇を通って、階段を上がって丘の上に出ると、義満が自分の領地と交換したという西園寺の名残の池と塔が見られます。
その後お茶室などを見てからおみやげ物屋さんを通って、外へ。

外に出ると長い階段が続いていて、いつの間にこんな山の上まで上っていたのかしらとびっくりします。

この後、バスで3駅隣の竜安寺へ移動です。今日はバス移動が多いので、1日券を買っておきましたvv でもあんまりバスが来ないので、短気な私らは隣の駅まで歩いて移動。その後すぐバスが来るようだったので、2駅分だけバスにのりました( ^ω^;) も、こんなことしてるから足が痛くなるんだよ……orz

「竜安寺」へGO!


※なお、旅のしおりは素人が子供に向けて作ったものですので、細かい点で間違いなどあるかと思いますが、
間違い等見つけたときはぜひメールなどでお知らせ下さい。で、できればお手柔らかに……(ノω`);;



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