渡月橋の説明も「竹林の道」ページのしおりに書いてあるのですが、ここにも少し書いておきますね。
桂川を挟んで広がる「嵐山」エリアと「嵯峨」エリアをつなぐ「渡月橋」は、平安時代の834年から造り始められました。鎌倉時代の第90代亀山天皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」「まるで月がこの橋を渡っているようだ」と詠んだことから、「渡月橋」という名前になりました。現在、橋の足の部分や床の部分は鉄筋コンクリートでできてますが、欄干(手すりの部分)は木造なので、まるで昔の橋が今に残っているようで、嵐山のシンボルとなっています。実際、時代劇でも橋が出てくる時は、よくこの「渡月橋」で撮影されています。 |
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竹林の道はおみやげ屋さんの並ぶ道からちょっと中に入った所にあるのですが、そのおみやげ屋さん通りまで戻って、駅と反対の方に歩いていくと、どん詰まりにあるのが渡月橋です。
渡月橋に着いたら、早速河原に降りて写真を撮ってみます。 |
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ママが川原に降りたら、当然子供も川原に降りてきて遊び出します(笑)
この後川の方まで降りていこうとする子供達を叱りとばしながら、15分くらいここで遊んでいました。何か子供達、川原をステージだと思っているらしく、やたら踊りまくっていました……。 |
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その後渡月橋を渡って嵐山エリアに移動。
私、実は渡月橋ってもっと細い橋で、床も表面には木材が貼ってあるんだと思っていました。まさか車が通るほど広くて、アスファルトの橋だとは思ってませんでした……。
だって時代劇で見る時には、まさかそんなに大きな橋には見えなかったんですもの……!!
まさに百聞は一見にしかず……。
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嵯峨エリアの方はおみやげ屋さんの並ぶ「町」という感じでしたが、嵐山エリアの方は山へ続く広い河原みたいな感じになっていました。
こちらも桜はまだですが桃が咲いていたので、「写真撮らなきゃ!!」と……。
この後子供達は敷かれた砂利を集めたり山を作ったり足で線を引いたりして、パパママに「ちゃんと跡を元に戻せ〜〜!!」と怒られまくりました(苦笑) |
この後、大分日が落ちてきたので(橋を後にしたのが5:30でした)、また歩いて駅まで戻り、JRで京都駅へ。京都駅に着いたらまず駅ビルでお弁当を買って、荷物を出してバスで宿へ移動。
……も、すごいバスステーション広いし、バスの量多いし、どれに乗って良いのか分からなくて、10分くらい路線図見たりバス停表見たりしてウンウン唸っていました……。
京都の宿はバス停の真ん前にあったビジネスホテルでした( ^ω^;) 本当は町家ゲストハウスに泊まりたかったのですが(ファミリールームだと4人まで1部屋1万円くらいで泊まれるのです!ビジネスホテルより安いのに町家に泊まれるなんて、なんて贅沢!!)、ゲストハウスはほとんどが6才以下禁止で、6才以下大丈夫なところはさすがに満室でした……orz しょうがないので町家ゲストハウスは次のお楽しみにとっておいて、旅行会社に「出来るだけ安いところで!」とお願いしたら、京都はビジネスホテルになってました。でも朝食バイキングが豪華らしいので楽しみですvv |
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