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今回、駅から歩いてきたので太閤塀を見ながら歩き、南大門をくぐり、塀に沿って北側の入り口まで歩いて、「こんなに大きな所だったのか」と感慨もひとしおで、お堂にはいるときに靴を脱ぐとか、もうそういうのもすっかり忘れていました( ^ω^;)
左の写真は、南大門と太閤塀をお庭から見た写真です。 |
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お堂の中は当然ながら写真厳禁ですので、パンフレットから写真をちょっと拝借。
しおりにも書きましたが、この三十三間堂には1001体の千手観音立像が、真ん中に本尊である座高335mの千手観音座像が、前面に風神・雷神と二十八武衆像が並んでいます。(四天王だけは本尊の周りに配されています) |
三十三間堂は1165年に創建されましたが、1249年に焼失しました。が、1001体の千手観音立像(千体仏)のうち124体はこの火事を生き延び、今も三十三間堂に並んでいます。
三十三間堂の千体仏は正式名称を十一面千手千眼観世音菩薩立像と言います。腕が42本なのに何で千手なのかは上のしおりに書きましたが、何で十一面(頭の上に頭が11個ついています)なのに千眼観音なの!?数足りてないじゃん!!と思われるかと思いますが、実は手のひらに一つずつ目がついているのです。千手観音は必ず一本何も持っていない腕があるのですが、その手のひらを見るとちゃんと目がついているので、ぜひチェックしてみて下さい。40本の腕に40個の目で、×25の世界だから1000眼なわけです。
しかしここの28武衆は鎌倉時代の作なので、武士好みな感じで筋骨隆々逞しくてステキですねvv |
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お堂から出てきたら、桜の花が少し咲いていました。もう桜が咲いていると無条件で写真を撮ってしまいます(
^ω^;) |
三十三間堂と言えば、千体仏の他にもお正月の「通し矢」が有名です。
三十三間堂は南北に35間、118.2mの長さがあります。(三十三間堂の33間は、長さの33間ではなくて、お堂の中の柱と柱の間が33あるということで三十三間なのです) この118mある西の縁で、新成人達が北端に的を立てて南端から矢を射るのですが、これは桃山時代に始まったことだと言われています。江戸時代にはこれがすごく流行って、24時間矢を射続ける「大矢数」という種目があり、最高記録では18才の青年が13,053本の矢を射かけて、8,133本を通したんだそうです。そんなどすごい競技があるので、当然建物に刺さると建物が傷みます。で、傷まないように銅板を貼り付けたんですって。
左側の写真は、射かける側の南側から北側を見た写真で、柱に銅板が貼ってあるのが見えます。右側の写真は的のある北側から南側を見た写真で、こちらから見ると銅板が見えません。矢が当たらない所には銅板を貼らない。素晴らしい!!(笑)
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そしてこれは出入り口近くのトイレの脇で見つけたマンホール。ちゃんと「三十三間堂防火池」と書かれています。特注!?特注だよね!?誰が特注かけるの!?消防署?京都府?やっぱり寺!? |
この日はとても暑かったので、子供も大人も上着を脱いで移動。私はコートを脱いでカバンに入れていたので、荷物がかさばって辛かったです……orz 実は子供達もすごい大きなリュックを背負っていて、通り過ぎるおばさん連中に「あないに小さい子があんな大きなカバン背負って可哀相になぁ」と言われまくったのですが、中にはやはり脱いだ上着がしまってあります……。だって、うちの子達ちょっとでも暖かくなると、すぐ上着脱ぐから必需品なんだもの……orz
この後、出入り口のすぐそばにバス停があることを知り、駅までバスで移動し、そこからJRに乗って嵯峨嵐山駅まで移動です。→「竹林の道」へGO! |