お母さん!!その京都・奈良旅行、
夏休みの自由研究にしませんか!?


4月1日:三十三間堂


京都に着いたら荷物をロッカーにしまって、三十三間堂に移動です。バス停が多すぎて何がなにやら分からなかったので、そのまま歩いて移動。京都駅から15分くらい歩いたところにありました。

では、最初に三十三間堂のしおりをチェックしましょう。

赤の字で書いてあるのは、ぢぞ吉が書き込んだ答えです。

三十三間堂

 三十三間堂の正式名は「蓮華王院」で、平安時代の後期の1165年に、後白河上皇(後白河という、元天皇だったお坊さん。天皇を止めた後も、「上皇」という名前で政治を行っていた)が、当時力を持っていた平清盛にお金を出してもらって造ったお寺です。その本堂は、柱と柱の間が33もあったので、「三十三間堂」と呼ばれています。長さは120mもあり、あんまり長いので、お正月には本堂の裏で、北端に的を置いて、南端から弓矢で射抜く「「三十三間堂の通し矢」という行事が毎年行われています。

 この三十三間堂、なんと言っても1001体の千手観音で有名です。1000体の千手観音立像が並び、その真ん中に本尊(一番メインの仏さま)である大きな千手観音座像が座っています。そしてその本尊の後に、実はもう1体千手観音立像が建っているので、1001体の千手観音立像と、1体の千手観音座像、それからお堂の両端に風神雷神、1000体の千手観音の前に28部衆(観音さまを守る武神将)が立っているので、全部で1032体の仏像が立っていることになります

 この千手観音、「千手」と言っているけど、本当は( 42 本)しか腕がありません。これは、胸の前で組んだ2本の腕を除いた40本の腕の、1本1本が「25の世界」を救う、と考えられているので、「25の世界×40本の腕=1000の世界を救う」から、千手観音、と呼ばれています。「25の世界」といのは、仏教では仏様の住む世界や人間の住む世界や地獄など、世界は25の世界からできていると考えるからで、その全ての世界を千手観音が救うと考えられています。胸の前で組んだ腕の他は、全て世界の人々を救うために必要な道具を持っています。

 この1000体仏は全て顔が違っていて、その中には、必ず「あなたが会いたいと思っている人」がいると言われています。「将来巡り会える大切な人」かもしれませんよ。気になる観音様はいましたか?

勢円さん(作)のかんのんさま
 
 実は三十三間堂は1000体仏が有名ですが、実は地震で建物が壊れないようにする建築方法(免震建築)でも有名です。地震が来ると逆にものすごい揺れて、地震と一緒に揺れることによって壊れないようにできているのです。三十三間堂にいる間に、地震が来ないと良いですね!!

 私も中学校の修学旅行で三十三間堂には一度来ているのですが、お堂の中を「はい、立ち止まらないで〜!」と歩かされた覚えしかなく、せっかく美術の先生がとても詳しいプリントを作ってくださったのにそれをチェックする余裕もなく、自分の会いたい人と同じ顔をしているという観音様を見つけることも出来ず、がっくりした覚えしかないのです……orz




今回、駅から歩いてきたので太閤塀を見ながら歩き、南大門をくぐり、塀に沿って北側の入り口まで歩いて、「こんなに大きな所だったのか」と感慨もひとしおで、お堂にはいるときに靴を脱ぐとか、もうそういうのもすっかり忘れていました( ^ω^;)

左の写真は、南大門と太閤塀をお庭から見た写真です。
お堂の中は当然ながら写真厳禁ですので、パンフレットから写真をちょっと拝借。

しおりにも書きましたが、この三十三間堂には1001体の千手観音立像が、真ん中に本尊である座高335mの千手観音座像が、前面に風神・雷神と二十八武衆像が並んでいます。(四天王だけは本尊の周りに配されています)
三十三間堂は1165年に創建されましたが、1249年に焼失しました。が、1001体の千手観音立像(千体仏)のうち124体はこの火事を生き延び、今も三十三間堂に並んでいます。

三十三間堂の千体仏は正式名称を十一面千手千眼観世音菩薩立像と言います。腕が42本なのに何で千手なのかは上のしおりに書きましたが、何で十一面(頭の上に頭が11個ついています)なのに千眼観音なの!?数足りてないじゃん!!と思われるかと思いますが、実は手のひらに一つずつ目がついているのです。千手観音は必ず一本何も持っていない腕があるのですが、その手のひらを見るとちゃんと目がついているので、ぜひチェックしてみて下さい。40本の腕に40個の目で、×25の世界だから1000眼なわけです。

しかしここの28武衆は鎌倉時代の作なので、武士好みな感じで筋骨隆々逞しくてステキですねvv 
お堂から出てきたら、桜の花が少し咲いていました。もう桜が咲いていると無条件で写真を撮ってしまいます( ^ω^;)

三十三間堂と言えば、千体仏の他にもお正月の「通し矢」が有名です。

三十三間堂は南北に35間、118.2mの長さがあります。(三十三間堂の33間は、長さの33間ではなくて、お堂の中の柱と柱の間が33あるということで三十三間なのです) この118mある西の縁で、新成人達が北端に的を立てて南端から矢を射るのですが、これは桃山時代に始まったことだと言われています。江戸時代にはこれがすごく流行って、24時間矢を射続ける「大矢数」という種目があり、最高記録では18才の青年が13,053本の矢を射かけて、8,133本を通したんだそうです。そんなどすごい競技があるので、当然建物に刺さると建物が傷みます。で、傷まないように銅板を貼り付けたんですって。
左側の写真は、射かける側の南側から北側を見た写真で、柱に銅板が貼ってあるのが見えます。右側の写真は的のある北側から南側を見た写真で、こちらから見ると銅板が見えません。矢が当たらない所には銅板を貼らない。素晴らしい!!(笑)
そしてこれは出入り口近くのトイレの脇で見つけたマンホール。ちゃんと「三十三間堂防火池」と書かれています。特注!?特注だよね!?誰が特注かけるの!?消防署?京都府?やっぱり寺!?

この日はとても暑かったので、子供も大人も上着を脱いで移動。私はコートを脱いでカバンに入れていたので、荷物がかさばって辛かったです……orz 実は子供達もすごい大きなリュックを背負っていて、通り過ぎるおばさん連中に「あないに小さい子があんな大きなカバン背負って可哀相になぁ」と言われまくったのですが、中にはやはり脱いだ上着がしまってあります……。だって、うちの子達ちょっとでも暖かくなると、すぐ上着脱ぐから必需品なんだもの……orz

この後、出入り口のすぐそばにバス停があることを知り、駅までバスで移動し、そこからJRに乗って嵯峨嵐山駅まで移動です。→「竹林の道」へGO!


※なお、旅のしおりは素人が子供に向けて作ったものですので、細かい点で間違いなどあるかと思いますが、
間違い等見つけたときはぜひメールなどでお知らせ下さい。で、できればお手柔らかに……(ノω`);;



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