論文 「帝国主義新時代」

 ハースの『帝国アメリカ』が出る2ヵ月前の2000年9月、ネオコンの新アメリカ世紀計画が、『米国防衛再建』(“Rebuilding America's Defense”)と題する報告を出した。これは、ディック・チェイニー、ドナルド・ラムズフェルド、ポール・ウォルフォウィッツ、ジョージ・W・ブッシュの弟のジェブ、ルイス・リビーの要請によって書かれたレポートである。レポートは、「現在、米に立ち向かうようなグローバルパワーはない。この有利な立場を維持し、未来に向かってできるだけ拡大する大戦略を、米はとるべきである」とうたっている。21世紀の米国の主要な戦略目的は「パックス・アメリカーナ」を維持することで、これを実現するためには、新たな「海外基地」や前線司令部を世界中に設置するなどして、「アメリカの防衛線」を拡大することが必要である、と述べている。ペルシャ湾問題に関しても、レポートは率直である。「米国は過去数十年間湾岸地域の安全保障に関し、もっと永続的な役割をもとうとしてきた。現在イラクとの未解決対立が米進出に当面の正当性を与えてくれるが、湾岸に強力な米軍を配置する必要性は、単なるフセイン政権云々を越えた重要な課題である」。
 従って、9・11テロが起きる前から支配階級と対外政策関係のエリート(ネオコン以外の者も含めて)は、ソ連崩壊がもたらした有利な状況に乗じて、さらに新たなライバルが出現しないうちに、米帝国拡大政策へ乗り出していたことは明らかである。1990年代は、継続的な経済成長鈍化傾向にもかかわらず、米経済はヨーロッパや日本よりも好調だった。特に90年代後半のバブル期にそれが顕著だった。そのうえ、ユーゴスラヴィア内戦の処理で見られたように、ヨーロッパは米なくして軍事行動ができなかった。
 このように、1990年代末までに米国に帝国主義議論が盛んになっていたが、それは、左翼陣営からではなく、リベラル派とネオコン陣営から起きていたのだ。帝国的野心が公然と口にされるようになっていたのである。そして2001年9月以降は、米の勢力膨張のための軍事介入への意欲は、支配階級の中心的なコンセンサスの一部となった。2002年9月議会に提出された「国家安全保障戦略」は、潜在的敵対勢力に対する先制攻撃を原則化し、次のように述べている。「米合衆国は・・・敵が合衆国及び同盟国及び友好国に対し、その意思を押し付けるために行なう如何なる試みに関し、これを撃退する能力を維持しなければならないし、そうする決意である・・・わが軍は、潜在的敵対勢力にわが国よりも強力、またはわが国と同等な戦力を開発しようとする野心を断念させるほど強力でなければならない」。
  『ニューズウィーク』ワシントン支局の編集長マイケル・ヒースは、自著『自己との戦争 ― 何故米はよりよき世界を作るチャンスを無駄にしているのか』(2003年)(“At War with Ourselves: Why America is Squandering its Chance to Build a Better World”)の中で、リベラル派の主張について書いている。リベラルは、相手国が腐敗した国、あるいは米の戦略的利益が危険にさらされている場合、覇権国としての米が軍事介入するのは正しいことだが、それには広範な多国間同盟と、事後の国作りが伴わなければならない、とする。しかし実際は「多極的な偽装をされているだけで・・・単独行為だ」(p245)と批判する。この議論は、帝国拡大への批判ではなく、タッカーやヘンドリクソン式の、帝国拡大には帝国としての義務も伴うべきだ、とする議論である。相手国の国家改造も含めよ、という議論である。ヒースは、「米本土の治安体制作りや麻薬との戦争をとりしきる『親玉』はいたが、やつけた腐敗国を再建する『親玉』はいない。たぶん、いるべきなんだろうが」と書いている。
 「国家改造介入」と呼ばれてきたものは、最初ブッシュ政権は否定的だったが、今ではもう論争の種になっていない。このことは、イラク侵攻の少し前に出た対外関係委員会レポート『イラク ― その後』(“Iraq: The Day After”)がイラク再建に触れていることでも明らかである。レポート作成者メンバーの一人、ジェームズ・F・ドビンズは、国際安全保障と防衛政策に関するランド・コーポレーション・センターの所長で、かつてソマリア、ハイチ、ボスニア、コソボへの軍事介入のときクリントン政権の特使として働き、さらにブッシュ(二世)政権下でアフガン侵攻後の特使ともなった人物で、リベラル・ネオコン両政権下で「国家改造介入」(剣の外交)を唱えた。彼は、対外関係委員会レポートの中で、はっきり次のように述べている。「他国の国家改造の是非をめぐる内部論争はもう終わった。民主党・共和党両政権とも、米国の軍事力を使って悪党国家を改革し、壊れた社会を修復してやる決意があることは明白である」。

◆一部徒党説の誤りと帝国の現状

 以上述べてきたことはすべて、マグドフが30年前に『帝国主義の時代』で提起した問題、「(ベトナム)戦争は包括的で一貫した米の対外政策計画の一部なのか、それとも権力の座にいるあるグループが引き起こした逸脱行為なのか」と関連し、現在我々がおかれている状況に鑑みて重要な問題提起である。前述したように、今や体制内に、客観的諸要因と安全保障の必要性から米国は拡大政策をとる、そして、米の世界支配(出来るだけ広範囲に、出来るだけ長期的に)を拡大することは米資本主義の全般的利益につながる、というコンセンサスが成立している。新アメリカの世紀計画の報告書『米国防衛再建』によれば、「一極性」獲得が必要なのだ。
 この2年間、米国の左翼全般には、この帝国主義的拡大を、支配階級のほんの一握りのネオコン勢力(共和党右翼をも含まない)の、軍部と石油資本の膨張野心に乗ったプロジェクトだと解釈する傾向が見られる。これは、危険な間違った解釈である。現在、米の寡頭政治体制内あるいは外交政策体制内には目立った意見の対立はない。もっともやがて政策のつまずきが露見してくるにつれ、対立が出てくるだろうが。だから一部の徒党による政権牛耳りなんかではなく、支配階級の要請と帝国主義のダイナミックスに根ざしたコンセンサスに基づいた行動なのである。
 しかし米国と他の主要資本主義諸国との間には相違がある ― 資本家間の対立は帝国主義という車輪のハブである。米が帝国主義的グローバル秩序の中で世界政府のような地位を築こうとしているのだから、当然、他国が黙っているわけがなかろう。けれども米は世界の覇権者地位を主張しているものの、その経済力は、かつて第二次世界大戦後の時期のように圧倒的ではない。他の主要資本主義国と比して、ポスト大戦期よりはるかに弱化している。『イラク ― その後』の中でジェームズ・ドビンもそのことを認めている。  「40年代後、半米国は世界のGNP総計の50%を生産していたので、そういう任務(軍事介入しその国を改造すること)を、大なり小なり、独力で成し遂げることができた。冷戦直後の90年代には、幅広い連合の中心となって、他国改造の大部分を担うこともできた。現在では、自由イラクを建設することは米単独でできる力はないし、また単独でやる必要もない。広範な国際的協力体制が必要だろう。ただしそのためには、1940年代はもちろんのこと1990年代の教訓をしっかり胸にとどめるべきである」(p48−49)。
 言い換えると、90年代後半、比較的好調だったとはいえ米経済がポスト大戦期よりは主要競争国と比してかなり弱くなっているため、あからさまな覇権国家の振る舞いをする余裕はないのである。いやでも「自らの意志で参加する国々」との連合に依存せざるを得ないのだ。
 しかし同時に、グローバル覇権新帝国主義の時代に入った米は、その帝国勢力をどんなことがあっても最大限に拡大し、資本主義世界を自らの利益になるように従属させる体制を築こうとしていることは明らかである。ペルシャ湾とカスピ海盆は、単にそこが石油埋蔵量が豊富というだけでなく、高度生産による大量石油消費のため世界の石油埋蔵が減少していく中で、同地の石油埋蔵が占める比率が急速に高まり、重要性が増してきたのだ。これが米国の埋蔵原油支配への刺激となったのは言うまでもない。現在および将来のライバルを押しのけて独占する必要があった。
 しかし米の野心はそれだけにとどまらない。そもそも原動力になっているのは、限界というものを知らない経済野心である。マグドフが『帝国主義の時代』の最後で述べているように、「国内市場の占有率と同じくらいの率で世界市場を支配することが米多国籍企業の公然たる目標」であったが、それは今も変わらない。フロリダに本社があるワッケンハット矯正コーポレーションはオーストラリア、イギリス、南アフリカ、カナダ、ニュージーランド、オランダ領アンチル諸島で刑務所民営化をかちとった(『刑務所産業のグローバル化』www.futurenet.org 2000年秋)。このように海外における米企業の利益向上をはかることが米国家の主要任務である。モンサントの遺伝子組み替え食品、マイクロソフトの知的所有権、ベクテル社とイラク戦争などを考えればそれは明らかである。米企業・米国家の二人三脚的膨張が世界一般にとっていかに危険であるかは、強調してもし過ぎることはない。
 イスタヴァン・メスザロスが自著『社会主義か野蛮か』(“Socialism or Barbarism” 2001)で書いているように、米がグローバル支配を目指すのは、資本主義・帝国主義の機能から必然的に出てくるものだが、それが今や人類にとって、「一つの巨大な覇権的帝国主義国家が、永続的な基盤で・・・とてつもなく馬鹿げた、持続不能な世界秩序を押し付け、全世界を暴力支配する」という、途方もない脅威となっている。
 この新米帝国主義は、それ自身矛盾を生み出すだろう。中でも、他の大国が米と同じような好戦的手段を使って自己主張するかもしれないし、弱小国家や非国家勢力があらゆる種類の戦略を駆使して、「非対称的」形態の戦闘を作り出すだろう。近代武器が最高度に破壊力をもち、それが世界中に拡散していることと考えあわせれば、これが世界の人々にもたらす結果は、これまで人類が経験したことがないような破局的なものになるだろう。米国は「パックス・アメリカーナ」(アメリカに従属した平和)を創り出すどころか、新たなグローバル・ホロコーストへの道を敷いているのだ。
 この絶望的な状況の中で唯一持てる希望は、米国内および世界で萌しが見えた底辺からの反乱の動きである。反グローバリゼーション運動は、1999年11月シアトルでの大成果の後の2年間、世界舞台で活躍し、2003年2月人類史上最大のグローバル反戦運動のうねりへと引き継がれていった。帝国主義戦争を止めるためにこんなにも素早く、こんなにも大量の世界の人々が立ち上がったのは歴史上初めてのことであった。新帝国主義時代は同時に新反乱時代でもある。過去数10年間帝国主義的秩序の戦略家を悩まし続けてきたベトナム・シンドロームは、今やもっと大きなグローバル・スケールの帝国シンドロームと重なりあうように思える ― これは誰も予期しなかったことだ。このことが、何よりも、米支配階級の帝国拡大戦略が最後には失敗し、破滅する(但し世界の破滅にならないことを切望する)だろうことを明瞭に示している。         (小見出し編集部)

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