論文

帝国主義新時代

ジョン・ベラミ・フォスター『マンスリー・レビュー』編集者/翻訳:脇浜義明


 帝国主義は国家よりは支配階級の必要に役立つシステムである。それは民主主義と何の関係もない。帝国主義が寄生的現象としばしば言われてきたのは、おそらくそのためであろう ― ジョン・ホブソンのような鋭敏な批評家も、1902年の彼の古典的著作『帝国主義論考』(“Imperialism: A Study”)でそういう特徴づけをしている。このことから、帝国主義的膨張は、国の対外政策をハイジャックした有力者集団が狭い自己利益を追及するために起こす行動、というふうな素朴で幼稚な考え方が生まれやすい。
 現在のアメリカ帝国対外膨張を批判する評論家 ― アメリカの左派やヨーロッパ人 ― の多くは、ジョージ・W・ブッシュ政権下の米合衆国が、ポール・ウォルフォウィッツ(防衛副長官)、ルイス・リビー(副大統領補佐役主任)、リチャード・パール(防衛政策委員会)のような人物が率いるネオ・コン(新保守主義)一味に乗っ取られた、という議論をする。この一味には、ラムズフェルド防衛長官とチェニー副大統領の強力な後ろ盾があり、その背後にはブッシュ大統領の支持があると言われている。
 ネオ・コンが政権を牛耳るようになったのは、最高裁がブッシュを大統領と裁定した非民主的な2000年選挙と、国家治安体制強化をもたらした2001年9月11日のテロ攻撃の結果だ、とされる。こういうことのため、従来の米の対外政策と矛盾するような単独主義・好戦的対外政策が生まれたのだ、と議論は展開する。2003年4月26日号で『エコノミスト』はこの問題を取り上げた。「本当に小さな思想的一味が世界最強の国の外交を乗っ取ったのか?不正な影響力を行使して、他国の内政に干渉、帝国を作り、国際法を無視、そして後は野となれ山となれ、というようなことをやったのか?」
 同誌の答えは「ノー」であった。一味乗っ取り説を否定して、「ネオ・コンはもっと大きな動きの一部」にすぎず、「アメリカは世界再編成のために持てる力を積極的に活用すべきであるという考え方が、(政策決定するエリートたちの間に)ほぼコンセンサスとして定着していた」と述べた。これは正しい。しかし、『エコノミスト』およびこの件に関する主流派議論に欠けているのは、帝国主義は単に政策の問題ではなく、資本主義発展の性格から生じる一つの体系的現実であるという認識である。いわゆる「一極世界」の台頭と帝国主義の歴史的変化を結びつけて見るならば、現在の情勢展開を少数の有力者個人の誤った野心から出たものという説明が受け入れがたいことがわかる。むしろ、もっと深部で働く原因や現在の情勢を形成するのに寄与した個々の要因など、米帝国主義新時代の歴史的土台を検討することが必要である。

◆戦争を個人の政策に還元する誤り

 帝国主義的膨張に狂奔する米国は、政治の舵取りをする人物たちの気まぐれでそうなったのだという説明は、決してこれが初めてではない。ハリー・マグドフは1969年に書いた本(『帝国主義の時代:米対外政策の経済学』)の冒頭でこの問題を論じている。同書は米国における帝国主義の体系的研究を再導入した書ということができよう。彼は、「(ベトナム)戦争は包括的で一貫した米の対外政策計画の一部なのか、それとも権力の座にいるあるグループが引き起こした逸脱行為なのか」という問いをたてた。もちろん答えは、たしかに戦争を煽る人物が権力の座にいたけれど、戦争は米対外政策の基底に流れる傾向を反映したものであり、その傾向のルーツは資本主義にある、という内容である。同書は1960年代の米帝国主義を説明した最も重要な書となった。その中でマグドフは、米対外政策を支配する基底的な経済的、政治的、軍事的な力を明らかにした。
 ベトナム戦争当時に最も支配的だった戦争説明は、共産主義「封じ込め」のため ― したがって、戦争そのものは帝国主義となんの関係もない、というものだった。しかし戦争の規模とその激しさは、とても「封じ込め」とか「牽制」レベルを越えるもので、おのずからその欺まん性を暴露していた。それにソ連も中国もグローバルに拡大する傾向を見せていなかったし、第三世界の国々の革命はまったく国内問題であった(この点はポール・バラン、ポール・スィージー共著『独占資本』に詳説されている)。マグドフは、米の第三世界介入を冷戦の産物と見る米国内で有力だった考え方や、戦争を当時のテキサス男大統領とその顧問団の逸脱行為とみるリベラル派の考え方の両方を否定した。彼は、もっと歴史的パースペクティブにおいて考察すべきである、とした。

◆古典的帝国主義段階の対外拡張政策

 19世紀末・20世紀初期の帝国主義は、(1)大英帝国の覇権の崩壊、(2)独占資本の成長、すなわち、生産の集中と中央集権から生じる大企業中心資本主義の成長、という二大特性によって特徴付けることができる。これはレーニンが帝国主義の段階とした特徴である(彼は、帝国主義の段階を「可能な限り簡単に定義すれば、独占段階」と呼べる、と述べている)。これ以外にも考慮しなければならない要素がいくつかある。言うまでもないが、資本主義は限界を知らない蓄積欲によって動かされる独特なシステムである。それは、一方では、現在グローバリゼーションという用語で表されているプロセスを特徴とする世界経済の膨張であり、他方では、数々の競い合う国民国家という政治単位に分かれた経済体をなし、さらに、すべての局面で中心部と周辺部に分極化する傾向をもつ。 資本主義の黎明期16・17世紀から、そして独占段階ではなおさらのこと、中心部国民国家内の資本は、周辺部の原材料と労働力へのアクセスと支配を求めて動いてきた。独占段階では、国民国家とその企業は、世界経済のできるだけ多くの部分を自国家資本の投資先として確保しようと懸命だった。競争相手国の市場もその対象となったが、その面での食い合いよりは、主要には、富の蓄積の場をめぐる競争は、周辺部への支配力拡張競争として出現した。最も有名な例は19世紀末のアフリカ分捕り合戦で、当時の西ヨーロッパ諸国のほとんどがそれに参加した。

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