◆ソ連崩壊で迎えた帝国主義新時代
事実として、中東産油地域やカスピ海域に米帝国が拡大していったことほど、帝国主義新時代を端的に表明するものはない。冷戦時代はソ連の存在のため、ペルシャ湾での米の影響力は限られたものであった。しかもその地域の基地として当てにしていたシャー治世のイランに、1979年イラン革命が起きてシャーが打倒された。この革命は米帝国主義にとって、ベトナム戦争以来最大の敗北であった。
実際、ソ連ブロックが崩壊した1989年以前には、この地域で米が大きな戦争を巻き起こすとは考えられないことだった。このため、この地域における米の支配力はかなり制限されたものだった。したがって、1991年ソ連の黙認を得て行なった湾岸戦争が、米帝国主義とグローバル権力拡大の新時代の始まりと言える。ソ連の弱体化にともなってすぐさま米の軍事介入、最も重要な世界資源である石油を支配するうえでキーポイントとなり、ひいてはグローバル支配戦略にとって重要な要所となる地域への米の大規模な軍事介入が行なわれたのは、単なる偶然ではない。
1991年湾岸戦争当時、ソ連が非常に弱体化して、米政策を黙認するしかない状態だった。しかし完全に死に絶えたわけではなかった(完全解体はその年の後半)。まだ米にとって好ましくない方向へ展開する可能性も、僅かながら、あった。同時に米の方も、経済競争分野で主要な競争国に少なからず陣取りされ、その経済的覇権が著しく低下、対外政策のブレーキになっているという懸念が政権内にも広がっていた。ジョージH.・W・ブッシュ政権が「新世界秩序」宣言をやったが、それが何を意味するのか、誰も分からなかった。ソ連崩壊があまりにも急激で突然だったので、米支配階級も外交政策エリートたちも、どう進路を決めたらよいのか確信が持てない状態だった。
◆唯一超大国の「国家改造介入」論
湾岸戦争中、米のエリート層の意見は分かれていた。一部は、当時の『ウオール・ストリート・ジャーナル』が主張したように、イラク侵攻に積極的だった。もう一部は、イラク侵攻・占領は困難でふさわしくないという意見だった。その後10年間は、米対外政策に関する議論は、今や米が唯一の超大国となったのだから、その地位をいかに活用するかに終始した。これは、例えば、対外関係委員会発行の『フォリン・アフェアーズ』などを見れば明らかである。一極主義(この言葉は1991年にネオコン学者チャールズ・クラウトハマーが導入した)や単独主義議論はすぐに米卓越性、覇権主義、帝国、帝国主義を公然と口にする議論に発展していった。米が帝国主義的役割を発揮することを是とする議論がますます広がり、具体案も提案された。この種の議論は新時代が始まったときからあったが、それは目的というより有効性の観点からなされていた。特に注目すべき新帝国主義議論は、前述のロバート・W・タッカーがディヴィッド・C・ヘンドリクソンと共著で著した話題の本『帝国への誘惑』(“The
Imperial Temptation”対外関係委員会発行)である。そこには実に率直な記述がある。
米国は今や世界唯一の超軍事大国である。その軍事力の範囲と効果は歴史上の大帝国のそれをはるかに超える大きさである。ローマ帝国はせいぜい地中海周辺地域が勢力圏だったし、ナポレオンは大西洋には進出しなかったし、ロシアの広大な地では敗北した。大英帝国が世界の海を制したと言われるパックス・ブリタニカ全盛時代でも、ビスマルクは、もし英海軍がプロシア沿岸に上陸したらその地方の警察が逮捕するまでだ、と豪語できる程度だった。現在の米国は過去のいかなる大国とも比べ物にならないほど強力な軍事力を保有している。それは地球上のどこでも攻撃できるグローバルな力だ。最高度に発達したテクノロジーで武装し、最高度の戦争技術を習得した戦争プロが指揮する軍隊で、それを大洋を越えてどこへでも即座に輸送・展開できる。かつての敵は内部崩壊して、今や退却状態。
こういう情勢では、米国は、大昔からある一つの誘惑 ― 帝国への誘惑 ― に駆られて当然であろう・・・米国はかつての植民地列強を駆り立てたような帝国へ向かう気はないが、植民地支配に伴う義務を負わずに帝国的役割を行使するというビジョンに惹きつけられているようである。(p14−p15)
両著者は「帝国への誘惑」に抵抗すべきだと言うのであるが、その理由は、それが古典的帝国主義の蒸し返しになるからというのではなく、米国のやり方が中途半端すぎるという理由からである。つまり、軍事力を行使したが、帝国支配が当然負うべき被征服国の再建に伴う義務を怠るような帝国になるな、と言っているのである。
ケネディ式の冷戦時代リベラリズムを彷彿させるが、同時に一部のネオコンをも惹きつける被征服国の国作りという展望に基づいて、タッカーとヘンドリクソンは次のようなケースを想定して描いてみせた。湾岸戦争後米国は直ちにイラクへ侵攻し、占領し、バース党を政権の座から追放すべきだった。それが帝国としての責任だ。「圧倒的軍事力を見せつけたのだから、米には、ややリベラルな考え方のイラク人を集めて暫定政府を作らせ、それを国際的に認知させる時間的余裕がとれたはずだ・・・もちろんそれを米傀儡政権だと非難する声もあがるだろうが、一方かなりの正当性を獲得できることも確かだ。国連の監督のもとでだが、イラク石油資源の活用もさせれば、イラク人民からのかなりの支持も期待できたはずだ」(p147)
何年か前にタッカーはマグドフに反論して、米がペルシャ湾の石油に手をつけなかったのは米が帝国主義国でない証拠だと書いたばかりだったのに、同書では、タッカーとヘンドリクソンは、イラク占領が米の利益になる理由について何らの幻想ももたなかった。つまり「石油」であることをはっきり意識していた。「石油ほど重要な意味をもつ産物は他にない。先進国経済も途上国経済もペルシャ湾資源に大きく依存している。その重要なエネルギー資源が集中する地域はこれまで比較的近づきがたいところで、政治的に不安定なところだ。石油獲得は、拡張主義先進勢力が、その侵略的野心を実現するうえで必要な絶大な経済的基盤を提供するもので、みんな喉から手が出るほど欲しがっている」(p10−11)。だから、米の中東支配の欲求は疑うべくもなかった。米は湾岸戦争のような異常な事態で武力行使したのだったら、それをもっと責任をもって拡大すべきだった
― つまり、イラク統治支配へと拡大すべきだった、と言うのである。
この議論は、体制内の保守(またはネオコン)からではなく、リベラルから出ているのである。体制内の議論というのは限られた層の中で行なわれ、そこにいるリベラル対外政策アナリストの多くは、たぶん支配下においた国の作り変えに興味があるせいか、その点では保守派よりもタカ派で、むしろネオコンに近いといえる。タッカーとヘンドリクソンにとって、帝国主義というのは政策決定者の選択問題である。「帝国への誘惑」に関する問題である。その誘惑に抗してもよいし、もし誘惑に乗るなら、国作りというリベラル派の夢にのってやるべきだ
― 自由主義原理に基づいて征服した国の社会を設計せよ、と言うのである。
事実、1990年代の政権エリート内には驚くべきコンセンサスができあがっていた。前ブッシュ大統領政権当時、国家安全保障委員会のメンバーで、大統領の軍事方針に関する原稿を書いたリチャード・N・ハースは、自著『介入』(“Intervention”)1994年版の中で次のように書いた。「米は、軍事行動を起こしても敵対超大国と衝突する危険がなくなったので、今や自由に何処へでも介入できる」。軍事行動の限界についても、「何でもできる。ただ何もかもをするわけにはいかないだけだ」(p18)と述べた。さらに、イラクやその他の国へ介入してその国を作り変えることについても詳しく述べている。ハースはもう一冊、『気が進まぬ保安官』(“The
Reluctant Sheriff”
)を1997年に出し、その中で、米を保安官、保安官の指揮下で動く民兵隊を「自らの意志で参加した国々」(p93)と描き、保安官一派は国際法なんぞあまり気にする必要はないが、過度に闘争的で疑い深い自警団みたいにならないように用心すべきだ、と書いている。
ハースの覇権に関する議論は、米のグローバルパワーについて体制内で見解が分かれている点に触れているので、重要である。彼は、米は地上最強の力を有するという意味で「覇権国」であるが、覇権の永続化を外交政策の目的とするのは危険な幻想である、と警告する。
1992年3月「ペンタゴン文書」と呼ばれる『防衛計画ガイダンス』の草稿がマスコミに漏れたことがあった。これは、ブッシュ(父)政権下の国防省がポール・ウォルフォウィッツ(当時政策次官)監修で書いた秘密文書で、「(ソ連崩壊後の)わが国の戦略は、将来グローバルな競争勢力を出現させない方向に焦点を定めて、調整されなければならない」(『ニューヨーク・タイムズ』1992年3月8日)と書いてあった。ハースは、『気が進まぬ保安官』の中でこれを取り上げ、そもそも将来グローバルパワーの出現を阻止すること自体不可能であるから、そういう戦略は間違いである、と主張した。物質的資源の成長や発達にともなってそういう大国または勢力が出現することはあり得る。経済力が巨大化すれば必然的に巨大な軍事力を保有する能力も生じるし、そういう経済力を実現した国家が軍事大国になるかどうかは、「その国が国益・自国に対する脅威・政治文化・経済力をどう見るかにかかっている」(p54)と述べている。永続的に覇権国でいるのは不可能なのだから、唯一合理的な長期戦略は、マドレーン・オルブライトが名づけた「主体的多国間主義」(assertive
multilateralism)、またはハースの言う「保安官と民兵隊」的やり方である、とした。
2000年11月、ハースがブッシュ政権のコリン・パウエル率いる国務省に政策計画主任として雇われる直前のことだが、彼は『帝国アメリカ』(“Imperial
America”)と題する論文をアトランタで発表した。これは、米はその「有り余る軍事力」を活用してグローバルに「支配力を拡大」する「帝国的外交政策」を考えるべき、という内容であった。一方で永続的覇権を不可能としながら、他方で、現在ある類まれな有利なチャンスを全面的に利用して、米のグローバル戦略資産を高めるべく、世界を再編成せよと勧めているのである。つまり、世界的に軍事介入をやれと勧めているのである。「過大膨張」と「過少膨張」を比較すれば、「帝国にとっては過少膨張の方がむしろ危険であると思える」と言う。2002年になると彼は、イラク侵攻を画策する政府を代弁して、自国領土内へのテロ攻撃を制御できないようなダメ国家は、「通常国家主権というものが意味する諸権利、例え他国と関わりなく自国領土内だけで平和に暮らすという権利すらも、失っているのだ。米国はもちろんどの国家も軍事介入の権利を持っている。特に対テロのような場合には、予防・先制・自衛的軍事力行使の権利がある」と述べている。 |