論文 「帝国主義新時代」

◆対抗勢力の登場で列強の盟主に

 この古典的段階は、第二次世界大戦とその後に続いた植民地解放運動の高揚で終わったが、帝国主義はそれを越えて新たな段階へと進化した。1950 ・60年代に新局面が始まった。この段階の特徴は、資本主義世界経済の中心がイギリスから米国へ移ったこと、および社会主義ソ連の出現である。ソ連の存在は第三世界における革命運動の刺激となり、同時に資本主義列強を冷戦軍事同盟へと結束させ、それが米の盟主的地位をさらに強化した。米はこの盟主的地位を利用して、中心国、とりわけ米国の周辺部経済的支配、ひいては世界経済支配を意図したブレトン・ウッズ体制 ― ガット、IMF、世界銀行 ― を確立した。
 米が覇権的存在になったからといって、資本主義諸国間の競争がなくなったわけではない、とマグドフは言う。「アメリカの世紀」という言い方がよくされるが、現実的な研究者は、覇権というのはいつでも歴史的に一時的なものと考える。資本主義の不均衡発展という現実が、例え水面下に隠れることがあっても、帝国主義者間に絶え間なく競争と対立があることを物語っている。「不均衡発展する中心部産業間の敵対は、帝国主義という車輪のハブである」とマグドフは書いている。
 米の帝国的役割と並んで成長した米軍国主義は、冷戦の産物ではない。冷戦によって条件付けられはしたが、冷戦が米ミリタリズムを産んだわけではなかった。それは、資本主義世界経済の覇権国としての米が、必要とあれば武力に訴えても海外投資への門戸を開くという要請から産まれたものだ。事実米国は自国企業の要請を前進させるために武力を使用してきた ― ラテン・アメリカが好例で、そこでの米の支配力に関しては他の帝国主義国も手出しができない。ポスト第二次世界大戦期、米はさまざまな局面でこの軍事的役割を周辺部各地で行使したのみならず、それを共産主義に対する防衛の一部と正当化することができた。
 グローバルな覇権国で軍事同盟のリーダーとしての軍事的役割と結びついた軍国主義化は、国内のあらゆる面に浸透するようになり、アイゼンハワーが大統領退任スピーチで使った用語「軍産複合体」さえ控えめな表現に見えるくらいだった。すでにアイゼンハワー時代に軍需生産部門が富蓄積のセンターとなっていたのだ。軍需生産が米国の経済全体を支え、経済不況を抑える一つの要因だった。
 現代の帝国主義を記述するうえで、マグドフの分析は、システム中心部の資本にとって帝国主義がいかに自己利益につながるものかを示す証拠を提供してくれる(例えば、米海外投資収益が国内非金融企業全体の税引き後収益に対して占める割合は、1950年は約10%であったのが、1964年には22%に上昇した)。周辺部からの剰余の吸い上げ(そして周辺部に残った僅かな剰余が、帝国依存の歪んだ階級関係のために適正に使用・配分されないこと)が、周辺部の永続的後進性の主要原因である。
 さらに、マグドフの研究には、当時あまり注意されなかったが、非常に重要な観察が二点ある。一つは第三世界の借金地獄への警告。もう一つは、銀行や金融資本のグローバルな役割の増大を詳述したこと。第三世界の借金地獄問題が多少なりとも理解され始めたのは、1980年代初期、ブラジル、メキシコ、その他のいわゆる「新興工業経済群」の債務超過が突然露見してからであった。帝国主義研究者がグローバル経済の金融化がもつ重要な意味を認識し始めたのは、やっと1980年代後半になってからであった。
 マグドフのように帝国主義の問題を歴史的・構造的に見ると、イラン、グアテマラ、レバノン、ベトナム、ドミニカ共和国などへの米の軍事介入は、決して「米国民の保護」のためではないし、共産主義拡大を防ぐためでもないことがよく分かる。それは、複雑な歴史的脈絡の中で展開する帝国主義の現象であり、米の資本主義世界における盟主としての役割から生じたものである。しかし、リベラル派識者はこういう見方に真っ向から反対した。彼らも米が帝国的拡大をやっていることを認めるが、それを故意ではなく偶然だと主張したのである(かつて大英帝国の膨張に対して同じような議論が横行したことがある)。彼らは、米対外政策の基本は理想主義であって、物質的欲望ではない、と説いた。ベトナム戦争については、国の舵取りを誤った一部の有力政治家の「貧困な政治的知性」の産物だ、とした。1971年、ジョンズ・ホプキンス大学上級国際関係研究大学院の米外交政策研究者ロバート・W・タッカー教授は『急進左派と米対外政策』(“The Radical Left and American Foreign Policy”)という著書を出し、その中で、米は「基本的には私心のない無邪気な性格」からこの戦争を始めたが、その性格こそがベトナムに関して米の「面目を保つ」救いとなっている、と述べた(p28)。 彼の考え方は当時のリベラル派反戦論者の考え方を反映したものであった。ベトナム戦争には反対だが、米が軍国主義的で帝国主義だとする左派の解釈を否定したのである。
 同書でタッカーの攻撃の的となったのは、ウィリアム・アップルマン・ウィリアムズ、ガブリエル・コルボ、ハリー・マグドフであった。マグドフ攻撃は、米企業及びそれに奉仕する米政府がグローバル規模の原材料支配を目論んでいるというマグドフの主張に対してなされた。タッカーは、石油問題が発生したときマグドフ見解の誤りが明らかになった、と論述。もし本当に米が第三世界の資源に対し帝国主義的野心を抱いているのだったら、ペルシャ湾の石油支配に乗り出したはずなのに、そうしなかったではないか、と言うのである。論理も歴史的事実も無視した議論である。彼によると、

 急進派の考えだと、中東では米が自国経済利益一辺倒になるはずである。しかし、周知のように、米政策はその反対の方向であった。産油国が使用料や課税を上げる圧力を行使したにも関わらず(その圧力に対して目立った対抗措置も不在)、米政府は、自国石油企業が以前中東で享受していた有利な地位が低下するのを、むしろ増長する政策をとったのである。『ニューヨーク・タイムズ』のジョン・M・リー記者を引用すると、「多くの人が驚くのは、石油会社や石油に関する思惑が、米のイスラエル支持政策に何の影響もおよぼしてないことだ」(p131)

 つまり、タッカーは、ペルシャ湾石油をめぐる動きは、米帝国主義にとって原材料支配が最大の課題とするマグドフ説が間違いであることを証明している、と言うのである。そもそも米のイスラエル優遇政策は米の経済利益に反するものなのに、米資本の思惑より優先されているではないか、と言うのである。今日ではこの議論のばかばかしさは力説する必要もない。米の中東への軍事介入は、1953年のイランを手始めに、数々行なわれてきた。中東地域の石油支配、自国石油企業の権益増大を目指した行動をやってきたし、現にやっていることは、誰の目にも明らかである。イスラエルについても、米がイスラエルを足の先から頭のてっぺんまで武装してやり、核爆弾さえ保有するのを許したのは、米の中東政策の一環であるからである。最初から中東における米の役割はあからさまに帝国主義的で、同地域の石油資源支配の維持を目的にしたものだ。経済研究を物価とか使用料収入に限定し、経済関係が政治的・軍事的な形をとることを無視するような研究だけが、このような明白な間違いを犯すのだ。


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