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連載 ネパール・タライ平原の村から (21)
       2年目を迎えたネパールから

 

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井君の定期報告。今回は、その21回目である。

 

気がつけば、いつの間にか、ネパールへ来て2年が経過しました。今回は、この2年を振り返って思うことを述べたいと思います。

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ネパールへ来て2年、それは、よつ葉を辞めて2年とも言えます。仕事を辞めると伝える前まで、国際協力という枠にも入らず、売るモノもない小さい存在の僕は、そのまま忘れられると勝手に思っていました。 しかし、そうではありませんでした。「向こう行ったら、まず一ヶ月内に一筆(メール)送るように」との、よつ葉のおじさんたちの言葉。相手の大小には関係なく、とにかく“人”に興味があることを知りました。「藤井さん、どこへ行っても相手は同じ人間だから」と激励の言葉も。

 あたり前のようで、今もって言葉の意味をちゃんと分かっていない気もしますが、たぶん変わるのは場所だけだということでしょう。どこ行っても人に問題を投げかけたり、投げかけられたりすることに変わりない、と解釈しています。 そんな言葉を時々思い出しながら、この間、毎月よつ葉のお便りも海を越え、たくさん届いています。それを見ながら、僕にはよつ葉関連各社の総会ように日々の仕事を振り返る機会がないことに気づいたり、自分が地域とつながっているか、地域とつながる取り組みをしているか、ここで原発や工業社会とは異なる社会のあり方を考えることも大事ではないか、と自問自答したり、はたまた、こうした原稿を通して何を伝えたいのか、現実や実態を正確に書いているか、と考えることがあります。

そこから過去の記述を振り返ると、いくつか気付くこともあります。僕はどちらかというと、ネパールの昔ながらの暮らしを中心に語っています。それを通じて、伝統的な世界が見えてくるかもしれません。ところが、実際に書き進むうちに、実はそうした部分を書きたい僕がいるだけだ、ということにも気が付きます。実生活、とくに農業では、伝統的な部分は、あくまで暮らしの一側面でしかないことを、いつも意識させられます。

●山岳部の様子
平地の暮らしとの比較もしてみたい。

僕が住む地域の建物は、市街地ですら数年前までは2階建てが珍しかったのが、今では4階建てや5階建てもあるほど都市化が進んでいます。かつては畔道のようだったと聞く村の中の道は、アスファルト道路に変わっています。そこを歩く牛の姿や薪を担ぐ女性の姿の方が、最近は不自然に見えてきました。

風景だけではありません。人も世界各国に出稼ぎに行き、香港やアメリカへの永住者も多く、非常に国際的です。あるいは、かつてネパールでは、全人口のうち平地であるタライには3分の1が暮らしているというのが常識でした。しかし最近、ついに過半数を超えたというニュースを聞きました。つまり「ネパール人=山岳民」というイメージが修正せざるを得なくなっているということです。

 

●都市化が著しい首都カトマンドゥ

山を降りた人々の大半は、都市部かタライ平野か、海外で働いていることになります。ネパールも全体としては、都市中心の工業社会に向かっている(向かわされている)ようです。

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ただ、こうして外から「伝統だ」「近代だ」と言うよりも、問題は変化の内側にいる人々の生活であり、当事者としての認識であり、彼らが実際に語っている言葉だと思います。書きたいと思いながら、まだまだ書けていないことがたくさんあります。もう一度語学を磨き、記録してみたいと思います。     

       (藤井牧人)

 


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