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活動報告:大野和興さん講演会
  TPPと「安心して生きる権利」

 

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については、私たちの暮らしに悪影響を与えるとして、各所で批判意見が提起され、反対運動が取り組まれている。当研究所もTPPを全面的に考えるべく、去る2月、北摂反戦民主政治連盟との共催で、TPP反対運動に取り組んでおられる農業ジャーナリスト大野和興さんをお招きし、講演会を行った。以下は、その概要である。(文責:当研究所)

 

唐突に現れたTPP

僕はこれまで50年くらい日本の村々を歩き回って、そこで聞いたことを都会の人に向けて書くという仕事をしています。そうした経験を踏まえながら、いま何が起ころうとしているのか、それに対してどう考えたらいいのか、お話できればと思っています。

  TPPはTrans-Pacific Strategic Economic Partner-ship Agreementの略語で、日本語で環太平洋戦略的経済連携協定と訳されます。環太平洋ですからアジア、中南米、北米、それからオーストラリア、ニュージーランド、この辺りの国々で一種の経済協定を結ぼうというものです。その中身は何かと言えば貿易や投資の自由化、要するにモノとカネの往来を徹底的に自由にするということです。  これが最初に焦点化されたのは、2010年10月1日、菅前首相が衆議院の所信表明演説でTPP交渉への参加方針を持ち出したときです。それまで政府部内でも国会でも、TPPについて、ほとんど公に議論されたことはなく、国会議員の多くは何のことか知らなかったという話もあります。

  ここから世の中で問題になっていくわけですが、当初はもっぱら農業問題、つまりTPPに参加すると農産物の関税はゼロになって、日本の農業は壊滅するというような扱い方が多かったと思います。実際、僕はその一ヵ月後くらいに『週刊金曜日』から「TPPと農業について書いてくれ」と言われました。しかし、僕は「農業じゃないよ」と答えました。もちろん農業にも大きな影響がありますが、本質的にはTPPは日米同盟の問題だと思っていました。だから、その点を中心に書くことにしました。

  なぜそう思ったか。それは、民主党への政権交替が生じ、鳩山政権ができたときの状況が後々まで引っかかっていたからです。鳩山元首相は普天間の県外移設を言う前に何を言っていたか。実は、「東アジア共同体」を推進すると言ったんですね。「東シナ海を真の意味で友愛の海にしたい」と言っていた。ところが、その中にはアメリカが入っていませんでした。この段階で、アメリカは激怒したようです。にもかかわらず、その次に米軍普天間基地の県外移設をブチあげた。ご存知のように、結局にっちもさっちも行かなくなって退任に追い込まれました。

  この時、政財界はもちろんメディアも含めて、「鳩山が日米関係をめちゃくちゃにした」と猛攻撃が行われました。実際、その通りだと思います。とすれば、次の菅政権としては、沖縄でもつれた糸を解きほぐすこと、また「東アジア共同体」などと言わずに従来通りの日米関係を回復することが最大の政治的任務になるはずです。その際、日米関係の回復のために持ち出されたのがTPPではないか、僕はそう考えました。だから、これは経済よりも政治の問題だ、と書いたわけです。 とはいえ、僕は仕事柄もあって百姓との付き合いが多く、そうした友人知人がTPPについて非常に心配していました。そこで、みんなで「百姓でまず運動を起こそうよ」ということで全国に檄を発して、菅前首相の所信表明演説から2ヵ月後、12月に各地の百姓が集まって、「TPPに反対する人々の運動」という枠組みを作りました。メインスローガンは“村でも町でも安心して生きたい”。問題は農業だけではないということで、敢えて「町」も入れたわけです。それから、年が明けて2011年2月に東京で集会とデモをしました。百姓が呼びかけて、にわかづくりで、しかも場所が東京なので、参加者は多くて300人くらいだと思っていたら、実際には500人以上になりました。

  当時、僕らはTPPをめぐる攻防の山場は4月か5月だと予想して運動を組んでいましたが、ご存知のように「3・11」があって、それどころではなくなりましたね。このままTPPは立ち消えになるとの予測も出るほどでした。ところが、消えませんでした。 震災から1ヵ月後の4月には、早くも経団連が「わが国の通商戦略に関する提言」を発表し、その中で「TPPによる震災復興」という新しい論理を打ち出します。TPPは「震災後の経済復興に向けたグローバルな事業展開、円滑なサプライチェーンの構築に不可欠」であり、参加しなければ「国内生産拠点がTPP参加国に移転してしまう」と言っています。 それに同調するかのように、5月頃からは日経、読売、朝日といった全国紙がTPP推進の社説を出します。そうこうするうちに菅首相が退陣に追い込まれ、野田政権が発足、今に至るわけです。

  政権発足直後の2011年9月22日、野田・オバマの初会談が行われました。その時、表面上は和やかですが、オバマ大統領は野田首相に「三つの懸案」について対応を急ぐよう、かなりきつく言っています。脅しに近いと言えるでしょう。1つは「普天間問題で結果を出せ」ということです。2010年5月に辺野古移設の日米合意をしたのに、いつまでさぼっているんだ、と。2つ目は「米国産牛肉を早く買え」。米国産牛肉は現在、BSE問題を理由に月齢20ヵ月未満の牛しか輸入していません。アメリカは、もう安全だと宣言していますから、月齢を引き下げて輸入しろ、と言うわけです。3つ目が「TPPをやる気あるのか」。震災を理由にするな、後で参加したいと言っても手遅れだぞ、と。野田首相が神妙な顔つきで「努力します」と答えている姿がテレビで流れました。

  ご存知のように、沖縄についてはその後、外務大臣、防衛大臣といった閣僚が現地を訪問して説得に当たりますが、逆に沖縄の反撥を招くばかりで、現状では打開策が見えない状況になっています。米国産牛肉については、輸入制限を月齢30ヵ月まで緩和しようとしています。そしてTPPでは、政府はこの会談を境に再び交渉参加へ積極的になり、野田首相は10月11日、TPP交渉参加に向けて関係国との協議に入る旨を表明しました。

 

経済のブロック化と軍事の関係

以上が、これまでの経過です。まとめて言えば、一つはアメリカとの関係修復の手段としてのTPP、そして震災からの復興を名目としたTPPですね。これらはいまも続いていますが、実はその後、もう一つ大きな要素が加わったと見ています。

サブプライム・ローンの破綻に始まったアメリカの金融危機は、2008年にリーマン・ショックへと至りました。それで収まったかと思ったら、今度はヨーロッパに飛び火して、ギリシャの財政破綻からギリシャ国債が紙クズになってしまった。現在は、ギリシャの国債を買っていた各国の金融機関が大変な状態になっています。イタリアやスペインはもちろん、いまやフランスやドイツも危なくなっている。

実情から見れば、世界経済は恐慌に入っていると言っていい。少し前には、第二次世界大戦に火つけた1930年代の世界大恐慌と違って今回は中国が買い支えているから、昔のようなことにはならないという意見がありました。しかし、年が明け、ヨーロッパ市場における需要の冷え込みは極めて深刻になっています。中国からすれば輸出先を失ったわけで、実際に中国の輸出産業は大きく打撃を受けています。だから、いま中国国内では、企業の倒産と労働者の解雇が拡大していますね。 つまり、アメリカで始まった金融危機はヨーロッパに波及し、中国やインド、ブラジルなどの新興国によって食い止められることなく世界を駆け巡っている。日本も当然そこに巻き込まれています。こうした世界経済の状況を踏まえてTPPを捉えるとどうなるか。

 第二次世界大戦から今日まで、いわゆる西側世界は自由貿易体制の堅持を標榜してきました。これは、第二次大戦の原因の一つとして経済のブロック化を捉えるためです。つまり、1930年代の世界恐慌の中で、世界の列強は植民地化などを通じて市場の争奪戦を行い、自らの経済圏の形成と拡大つまり経済ブロック化を推進していった。当時の日本もまた、自らの排他的な市場を確保するために、「満州」から中国中枢へと進軍し、アジア太平洋に侵略戦争を仕掛けていく。その過程で連合国側の経済ブロックと衝突して世界戦争へ至った。だから、経済のブロック化はしてはならないという教訓になるわけです。 そのため、アメリカを中心とした戦後の西側世界は自由貿易を推進していきます。モノやカネが自由に往来することが世界平和の道だ、ということですね。これを支えたのが、いわゆるIMF(国際通貨基金)やGATT(関税と貿易に関する一般協定)といった国際機関です。GATTは現在のWTO(世界貿易機関)の前身です。

 こうしてみると、TPPもまた、謳い文句としては貿易や投資の自由を掲げており、戦後の自由貿易体制の一環だと思われるかもしれません。実際、政府もマスコミも、学者もエコノミストもそう言っています。ところが、僕の感じではどうも違う。これまでの自由貿易の流れとは異質な面が強い。むしろ、経済のブロック化と見たほうがいいと思います。 経済のブロック化や市場の争奪戦は国家と国家、経済圏と経済圏の争いですから、当然にも軍事と密接に結びつきます。市場を確保するには、背後に軍事力が必要です。これもまた第二次世界大戦の教訓です。
戦後の日本は、軍事は日米安保でアメリカに任せ、自由貿易体制に沿って経済発展を勝ち得たと言われます。もっとも、日本は自衛隊という歴然とした軍事力を持っており、防衛予算つまり軍事費は世界第三位ですから、決してアメリカ任せとは言えません。実質的には“持ちつ持たれつ”の関係にあったわけです。とはいえ、ここにきて経済のブロック化傾向と軍事というものが、これまで以上に密接に結びつく状況が生まれてきました。ここが現在のTPPを見る上で、一つの重要な論点になるはずです。そして、この論点を明確に示したのが、昨年11月にハワイのホノルルで行われたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議でした。

APECというのは1989年に発足した非公式の会議です。日本、アメリカ、韓国、中国、東南アジア諸国を含めて21カ国が参加しています。毎年一回は首脳会議があって、昨年はホノルルが開催地でした。このとき、会議に参加した野田総理はオバマ大統領と会談を行い、TPP交渉への参加表明を表明しています。また、現在の交渉国である9ヵ国の間で、今後の交渉の方向性について大筋の合意が行われました。 それを受け、オバマ大統領はオーストラリアに飛び、ギラード首相と会談して、オーストラリアの北の端にあるダーウィンに米国の海兵隊を常駐させるという協定を結びます。同時に、オーストラリア連邦議会での演説で、これまでのイラク・アフガニスタンなど中近東から一転、アジア太平洋を最優先する新外交・安保戦略を表明します。 続けて、その足でインドネシアのバリ島に飛んで、東アジア首脳会議に出席します。この際、中国の温家宝首相との会談では、アジア太平洋地域における米国の国益について表明し、南シナ海問題をめぐる中国の動きを牽制しました。

  こうした動きから、TPPと連動した経済のブロック化の様相を伺うことができます。つまり、今後の世界経済の成長の中心とされるアジア地域の市場をいかに囲い込むか、ということです。言うまでもなく、争奪戦の主役は中国とアメリカであり、アメリカは中国に対する包囲網の一環としてTPPを位置づけている。そうした経済と軍事における中国封じ込めが一致したのが、実は去年のホノルルだったんですね。もちろん、普天間基地の移設を含む在沖米軍基地の再編も、そうしたアメリカの世界戦略の一部です。

  この中で日本は何をやっていくかと言えば、一つは武器輸出三原則の緩和ですね。すでに始まりつつあります。緩和の狙いは、アメリカと武器の共同開発を進め、輸出産業にしていくことです。日本の防衛産業は三菱重工や川崎重工など、最先端の科学技術を誇る多国籍化した独占企業が集中しています。先ほども触れた軍事費ですが、2011年を見ると、世界第一位のアメリカが約60兆円弱、第二位の中国が約7兆円、第三位の日本が約5兆円弱。つまり、一位のアメリカと三位の日本が手を組んで二位の中国を包囲するということですね。 しかし、こうしたアメリカを中心とする中国封じ込め戦略は、当然ながら非常に危険ですね。連鎖的な軍拡競争が起きるのは、火を見るよりも明らかです。中国はもちろん、中国と南沙(英語名:スプラトリー)諸島の領有権をめぐって争っているベトナムやフィリピンも、対抗して軍備を拡大するはずです。実際、フィリピン政府はアメリカとの軍事協力を強化する方針を打ち出しており、今年に入って、両国軍の合同訓練回数を増やすこと、沖縄の海兵隊の一部をフィリピン国内で活用することなどで合意しています。

  こうした大きな枠組みの中でTPPが果たす役割が明らかになってきた。つまりTPPは単なる経済の問題ではなく、極めてきな臭いものだと見るべきではないかと思います。これが、今日お話したい第一の論点です。

 

私たちの暮らしとTPP

●大野和興さん

非関税障壁の問題

次に視点を変えて、私たちの暮らしにとってTPPがどんな意味を持っているのか、お話したいと思います。先に触れた軍事的側面だけでも大いに問題ですが、私たちの暮らしの隅々にまで影響を及ぼすのも、また事実です。
この間、アメリカのニューヨークで「ウォール街を占拠せよ」という運動が盛り上がっていました。その中で言われていたのが「1%対99%」つまり1%の富裕層が99%の民衆の富を搾取しているという批判でした。これはTPPについても当てはまると思います。

ごく普通に考えて、TPPで得するのは大企業幹部や高級官僚といった一握りの富裕層、そして損するのは労働者、とくに非正規労働者、失業者、野宿者、農民、漁民、中小企業者。あるいは、自然環境を守りたい人、安全・安心できる食べものが食べたい人。思いつきで並べてみましたが、こんな構図が浮かんできます。その上で、私たちの暮らしに影響を及ぼすという際の影響の内容を見てみましょう。

さて、TPPでモノやカネの自由な流れを促進しようとするとき、それを邪魔するものは何か。一つは関税です。たとえばモノの貿易では、日本の米には700%くらいの関税がかけられているため、アメリカや中国の安い米が入らない、などと象徴的に言われています。しかし、それは、どちらかと言えば副次的な問題です。実は、TPPが一番問題にしているのは非関税障壁、つまり関税以外の貿易障壁です。これは非常に曲者なんですね。

非関税障壁とは何か、実例を挙げましょう。たとえば、アメリカの企業が日本に投資をしたとします。どこかに工場を造ったり、リゾート・ホテルを建てたりする。その時、最もお金がかかるのは何か。あるいは、逆に言えば、投資で儲けるために削りたいと思うのはどこか。恐らく人件費でしょうね。言い方を変えれば、労働者の権利に関わるコスト。実は、これが最大の障壁になります。 日本の労働者は、日本国憲法第28条によって「団結権、団体交渉権、団体行動権」に象徴される労働基本権が確立され、労働関係の各種法律が適用されます。だから、労働基準法に基づけば、企業側は労働者について簡単にクビは切れないし、最低賃金は守らないといけないし、8時間を超えれば残業代を払わないといけないなど、さまざまな縛りがある。会社側からすれば、邪魔で仕方がないわけです。

ただ、この間、徐々に骨抜きにされてきたとはいえ、人々の営為が歴史的に積み重ねられて得られた普遍的な価値ですから、さすがに正面切って労働基本権は邪魔だとは言えません。絡め手から攻めてきます。その一つが、今国会に上程された有期規制にかかわる労働契約法の「改正」案です。これは、「有期雇用が5年を超えれば『期間の定めのない安定した雇用(無期雇用)』に転換できる」というものですが、「無期雇用」を嫌がる企業側が上限の5年の手前で雇い止めをする可能性が高いなど、多くの問題点が指摘されています。

あるいは、菅前政権時代に提出された労働者派遣法の「改正」案をめぐる状況もそうです。「改正」案には、ワーキングプアを生み出す最大の原因だからということで、登録型派遣や製造業派遣の原則禁止などが盛り込まれましたが、その後、企業経営者側からの反発や野党側の抵抗が強まり、当初の案は譲歩を迫られています。 小泉政権時代に「痛みに耐えれば状況はよくなる」ということで労働者の権利が次々に奪われ、いつでもクビを切れ、いつでも賃下げができるようにした結果、ネットカフェ難民や派遣村の問題が湧き起こってきた。ようやく社会全体が“こんな状況はおかしい”と思い始めたのに、それを元に戻すようなことをしているわけです。

なぜそんなことをするのか。その背後には、やはりTPPへの参加を見越して、投資の自由を推進するために、非関税障壁としてヤリ玉に挙げられるだろう労働基本権の縛りを少なくしておきたいという考えが念頭にあるように思います。

 

医療保険制度への影響

次に、医療や健康の問題に移ります。これも投資の自由の問題に関わってきます。ご存知の通り、日本には国民健康保険を先頭に、いわゆる国民皆保険制度が備わっています。医者に言わせると、日本の皆保険制度は世界中で最も素晴らしい制度だとのことです。もちろん不十分な点はあるし、この間では保険料が払えず無保険になる人も増えています。しかし、病気になっても、それほど心配しないで医者にかかることができます。
 
 アメリカでは、こうはいきません。民間保険が中心の国ですから、保険料は恐ろしく高い。民間保険に入れない人が病気になって医者にかかろうとすれば、目が飛び出るような大金を払わされる。2010年になって、ようやくオバマ大統領が公的医療保険制度を導入しましたが、その途中で民間保険会社が猛烈なロビー活動で巻き返しを図った結果、かなりの抜け穴ができてしまったと言われています。

  ちなみに、僕たちが去年2月にTPP反対のデモした時、参加者の中に保険のコンサルタントをしているという女性がいました。驚いて「あなたの職業だったらTPP推進じゃないんですか」と尋ねたら、「むしろ、私ぐらい保険業界や保険制度について知っていると、とてもじゃないけど賛成できません。あんなものアメリカの保険会社を儲けさせるだけの話です。日本にとってはまったく必要ない」という答えが返ってきました。

  実際、テレビや新聞を見ると、医療関連の保険会社でコマーシャル攻勢が激しいのは、ほぼ外資系ですね。ところが、あれほど大々的に宣伝していても、日本では限界がある。つまり、中心に公的な医療保険制度があるため、補完的に民間の入院保険に入る人はいても、それ以上の展開は難しいわけです。だから、この限界を突破しようと思えば、日本の公的医療保険制度を崩すしかありません。実際、アメリカは日本と行っているTPPの事前協議で、この点を主張しているそうです。

  その方策の一つが、公的医療保険制度の中に自由診療(保険外診療)を浸透させることです。日本の医療制度では、保険診療と自由診療を併用する「混合診療」は原則として禁止されていますが、 その規制を緩和し、混合診療を認めさせようと、日本側に要求しているそうです。 アメリカ政府が経済交渉を行う場合、その背後に必ず関連する業界や企業が動いています。農業分野ならカーギルをはじめとする穀物メジャー、あるいはモンサントのようなバイオ化学メーカー。医療や保険制度ならアメリカの民間保険業界。これらが猛烈なロビー活動を行い、議員や役人に資金をばら撒いている。オバマの公的医療保険制度を骨抜きにしたのと同じ攻撃が、いまTPPという形で日本の公的医療保険制度に対して行われようとしている。

  薬の問題もそうです。日本では、公的医療保険制度の中で使える薬が決まっており、また薬価基準に基づいて薬の値段が定められています。これは、一方で製薬資本の利権になっている側面もありますが、それ以上に国民に安全かつ適正な価格で薬を保障するという意義も大きい。ただし、これは海外とくにアメリカの製薬資本にとっては困った仕組みです。それで、参入を容易にできるように、具体的な要求を出してくる。 これには先例があります。2003年〜04年にオーストラリアがアメリカとのFTA(自由貿易協定)交渉を行った際、アメリカ企業はオーストラリアの健康、文化、環境政策を非関税障壁とみなし、改変を要求しました。その中には、薬品価格の規制、遺伝子組み換え食品の表示、オーストラリアのメディア作品の保護などが含まれていたそうです。オーストラリアも日本と同じように医薬品給付制度(PBS)で医薬品取引を規制し、薬価の患者負担を低く抑えていましたが、それがヤリ玉に挙げられたわけです。

 

脅かされる食の安全

こうした問題は、当然ですが食の安全とも重なってきます。つまり、食品に関する表示制度や農薬や添加物の安全基準を非関税障壁と捉え、各国独自の表示制度や安全基準を改変し、海外からの輸入がしやすいよう緩和を求められるのです。 中でも、最も強く求められているのが、遺伝子組換えの食品の表示です。遺伝子組換えの食品の基になる種子は、アメリカに本拠を置く多国籍企業モンサントがほぼ独占しています。現在、アメリカの輸出産業の主軸を担っているのは軍需産業と食料産業ですから、アメリカは国家を挙げてモンサントを後押ししています。食料産業の中心は大豆やトウモロコシといった穀物が占めており、すでにほとんど遺伝子組換えになっています。 したがって、輸出戦略の目玉の一つである遺伝子組換え食品を売り込むためには、各国が独自にアメリカよりも厳しい表示制度を備えているような状況では困るわけです。たとえば日本は現在、一部の農産加工品について遺伝子組換えを認めていますが、意図して遺伝子組換え農産物を使用した加工品はもちろん、遺伝子組換え農産物が意図せずに混入する可能性が原材料の全重量の5%以上ならば、「遺伝子組換え食品」と表示する必要があります。

  ご存知のように、この表示はヨーロッパに比べて随分ゆるい。にもかかわらず、アメリカにとっては邪魔になるようです。ちなみに、現在TPP交渉に参加しているニュージーランドやオーストラリアは独自の表示制度を持っていますが、それをなくすべきだという要求がアメリカから出されています。

 

恐るべき「ISD条項」

もう一つ大きな問題として、最近ようやくメディアでも取り上げられるようになったのが、いわゆる「ISD条項」です。Investor State Dispute Settlementの略語で、日本語では「投資家対国家間の紛争解決条項」と訳されます。外国の企業や投資家が、ある国に投資して事業展開した際、相手国政府の法律や規制によって不利益や損害を被った場合、相手国政府を国際的な仲裁機関に提訴し、代償請求を求めることができる条約です。簡単に言えば、各国の法律や制度の枠を超えて投資者の利益を守る制度です。

  具体的な先例として、1994年にアメリカ、カナダ、メキシコの三ヵ国で発足した北米自由貿易協定(NAFTA)があります。この協定にISD条項が初めて盛り込まれました。その結果、メキシコで大変なことが起こりました。

  まず、アメリカの産廃業者がメキシコに進出し、環境汚染を引き起こしました。これ自体も問題ですが、メキシコの法律に違反していたため、進出先の自治体が操業停止を命令したんです。ところが問題の産廃業者は、あろうことか北米自由貿易協定のISD条項を盾に、メキシコの法律は我々の投資して儲ける自由を侵害したと主張し、世界銀行の仲裁機関に提訴しました。この仲裁機関の判断基準は環境や安全といったものではなく、投資した企業が損害を被ることで結果的に投資の自由が侵害されたかどうか、その一点です。

  どう考えてもおかしな話ですが、すでにそうした内容の協定を結んでいるため、どうしようもありません。結局、訴えたアメリカの産廃業者が勝ち、メキシコ政府は莫大な賠償金を支払わざるをえませんでした。 実は、昨年ようやく韓国国会で批准された韓米自由貿易協定(今年3月15日に発効)にも、やはりISD条項が入っています。そのため、いま韓国では協定の破棄を目指す抗議運動が盛り上がっています。そしていま、アメリカはそんなISD条項をTPPにも入れようと躍起になっているんです。

 

被害者意識だけでいいのか

以上、簡単に見ただけでも、TPPの恐ろしさが分かると思います。私たちの生活が大変なことになってしまう。だから反対するのは当然とも言えます。実際、いま日本で取り組まれているTPP反対運動は、もっぱら日本が受ける被害の側面を強調しています。 しかし、それだけでいいのか。たしかに、日本の99%にとっては大変なことになる。でも、1%にとってはどうでしょうか。日本の企業や投資家の中には、円高の追い風を受け、海外投資を加速させているところもあります。そこからすれば、もしTPPにISD条項が入っていれば儲け放題です。日本の資本にとっては美味しい話です。

 これは決して仮定の話ではありません。たとえば、かつてトヨタはフィリピンに進出して「フィリピン・トヨタ」という子会社を作りました。その後しばらくして労働組合が結成されると、フィリピン・トヨタは組合幹部をすべて解雇しました。しかし、フィリピンの労働者はねばり強く闘いを続けました。いまも毎年日本にやってきては、日本の労働者と組んで親会社のトヨタに対して抗議活動を行っています。

 ところが、これに業を煮やしたトヨタは当時のアロヨ大統領に「善処」するよう圧力をかけました。そこからフィリピン政府による労働運動潰しに拍車がかかりました。いまのところフィリピンはTPPの交渉国に入っていません。しかし、もし交渉に参加してISD条項が盛り込まれたTPPを締結していたなら、フィリピンの労働者が労働組合をつくったことで、あるべき利益が侵害された、フィリピンの労働法はISD条項に違反しているとして、投資元のトヨタがフィリピン政府を世界銀行の仲裁機関に訴えたかもしれません。 あるいは、交渉参加国のオーストラリアで言えば、次のようなことも考えられます。オーストラリアでは、先住民アボリジニの暮らす土地には豊富なウランが埋まっているそうです。コロンブスから500年、世界の先住民の歴史は植民地化の歴史です。元々住んでいた土地を追われ、海を追われ、山を追われ、辺境地へと追いやられていきました。いま住んでいるのは、最も住むのに適していない劣等地であることが多い。自然環境も厳しく、得体の知れない風土病も発生する。ところが、よくよく調べると、風土病の原因はウラン鉱脈だったということもあったようです。

いま世界では、福島原発事故があったとはいえ、原発建設ラッシュが続いていますから、ウランはいくらあって足りない。世界最大のウラン埋蔵国であるオーストラリアでは、これまでも大々的にウラン採掘が行われてきました。ところが、採掘の過程で放射能を含む汚染水が漏れたり、採掘後にウラン滓が放置されたりして、環境破壊や被爆による健康被害といった問題が発生しました。これに対して、先住民を中心にした抗議運動が続けられ、その結果、各州ごとにウラン探鉱・採掘に規制をかけるようになっています。

東電をはじめとする日本の電力各社も、オーストラリアのウランを買っています。現状では直接投資をしているわけではありませんが、今後の状況次第では、投資を通じて現地資本と共同開発をする可能性もあります。その時、もしISD条項を含むTPPがあれば、抗議運動や州の規制は投資の自由を奪う、あるいは本来得られる利益を侵害するものだとして訴える余地が生じてしまいます。 つまり、日本の資本にとって、TPPは利益を生み出してくれる便利な道具という側面があるわけですね。だから、TPPを単に「国益」の観点から、日本を被害者としてのみ捉えるのは、明らかに一面的です。僕らはこの点を注視しないといけないと思います。

僕は昨年11月、「TPPに反対する人々の運動」の一員として、ハワイでのAPEC首脳会議に対抗して行われた民衆会議とデモに参加しました。会議の名前は「モアナ・ヌイ」。ハワイ先住民の言葉で「偉大な海」を意味するそうです。その名の通り、太平洋の各地域に生きる先住民が主役の会議でした。APECが推進するグローバリゼーションの中で、生活の地を追われようとしている人々です。必死になって「我らが海と居住地を守れ!」と訴えていました。一緒にデモをする中で、二つのことを強く感じましたね。

  一つは、アメリカの国土としてのハワイではなく太平洋の島としてのハワイという構図。これは日本にいるだけでは、なかなか見えません。もう一つは、こうした太平洋の先住民から見れば、オーストラリアもニュージランドも日本も、明らかにアメリカと同じ強者なんです。にもかかわらず、私たちは被害者意識だけで運動していていいのだろうか。

実際、被害者意識に基づく運動は、かなり根強いです。たとえば、田母神俊雄という人をご存知でしょうか。彼は自衛隊の航空幕僚長でしたが、核武装論を公言して辞任しました。その彼が、いま右翼グループの一種のカリスマ的指導者として、TPP反対の運動を煽動しています。彼が街頭演説すると、周りには日の丸を持った若者などが取り囲みます。同じく、「在特会」という悪名高い排外主義者の集団もTPP反対のデモをしています。というのも、TPPは国家が自主的に関税を決める権利を否定したり、国家が決めた法律や制度の枠組みを超えた国際的な規制を強要することで、日本国家の独立性を危うくするからだそうです。たしかに分かり易い考え方です。

 

「国益」論を超えて

あるいは、これほど極端ではありませんが、京都大学准教授の中野剛志という若手の学者がいます。代表的なTPP反対論者として、テレビや新聞でも顔が売れています。彼はもともと経済産業省の官僚で、国家を軸とした経済理論を唱えています。代表作『TPP亡国論』(集英社新書)はベストセラーになりました。タイトルから推察できるように、徹頭徹尾「国益」の観点からTPPを論じています。日本がTPPに参加すれば必ず損をする、「日本を守れ」。それが結論です。しかし、その「日本」は、必ずしも僕たち一人一人の暮らしではありません。あくまで日本国家なんです。

だから、彼は原発を肯定します。というのも、国家の安全保障において最も重要な柱はエネルギーであり、原発は資源の少ない日本が依拠すべきエネルギーである。それ故、反原発、脱原発は国家の安全保障を危機にさらす、というわけです。たしかに、国家の安全保障から見れば、そうでしょう。しかし、それは民衆の安全保障ではありません。 つまり、私たちの運動が一方的な被害者意識だけで、日本の資本や国家が持ち得る加害性の側面を見ようとしなければ、結局は「自分たちさえよければ、他者はどうなっても構わない」というところに行き着いてしまう危険があると思います。

ちなみに、いま右派の中では、「TPP反対で反原発」の立場もあれば「TPP推進で反原発」の立場もあり、「TPP反対で原発推進」の立場もあれば「TPP推進で原発推進」の立場もあって、ときおり内輪モメが起きるような錯綜した状況が生まれています。 だからこそ、僕はTPPについて論じる場合にも経済的側面だけ見るのではなく、やはりアメリカの軍事戦略や日米関係の問題、また経済のブロック化と軍事の問題、さらには日本国家と資本の加害者性などなど全体状況との関係で捉える必要があるのではないかと思います。

 

「安心して生きる権利」のために

では、どうすればいいか。やはり地域から運動を始めるしかないと思っています。TPPに参加すれば、ほぼ確実に農業は壊滅するでしょう。しかし、それは一産業としての農業だけの話はなく、地域経済・地域社会そのものの崩壊を意味します。農村や漁村の場合、基本的には農業や漁業という地域の資源に依拠した生業があり、そこで地域の雇用が確保され、得られた利益は地域の商店や農協・漁協、信用金庫などを通じて循環していく。そうした望ましい地域経済のあり方は完全に壊れます。言い換えれば、私たちが安心して生きるための基盤が失われるのです。

そう言えば、この間テレビで、TPPに関する街頭インタビューをしていました。インタビュアーが若者に「牛丼が安くなっていいね」と水を向け、若者は素直に「それならTPPに賛成する」と。ありがちな誘導です。 しかし、TPPに参加していない現段階でも牛丼の値段は下がっていますよね。少し前、並一杯の定価は350円で、期間限定で280円になったりしていました。それが、最近では定価が280円になってしまった。そのうち250円になると言われています。たしかに原材料費の削減もそうですが、一番の原因は人件費の削減ですよ。とくに悪質なのが『すき家』です。 では、何故そこまで安売りをするのか。それは、280円の牛丼しか食えない層が膨大にいるからですよね。しかし、考えて下さい。これまで350円だったものを280円にするために人件費を削る。賃金を下げる。そうなると280円でも食えない人が出てくる。だから250円に下げる。またまた賃金を下げる。そんな悪循環、貧困の連鎖が避けられません。

国内だけではありません。原材料の輸入牛肉を安く仕入れようとすれば、何らかの形で輸入先の畜産関係者にしわ寄せが行くでしょう。言わば地球規模のデフレ・スパイラルの進行です。TPPがそれに拍車をかけるのは間違いありません。逆に言えば、私たちは、それを跳ね返すような経済の仕組みを地域から作っていかなければいけない。

 

オルタナティブな仕組みを目指そう

この点で、皆さんたち関西よつ葉グループの取り組みは一つの示唆を与えていると思います。詳しい数字を知っているわけではありませんが、生産・加工・流通・消費の一体化を追求し、モノとカネを地域の仲間で回していく仕組みを作り、それを結んでいく。こうした地域経済の確立が、皆さんたちの狙いではないかと推察しています。
TPPへの対抗という場合、もちろん集会やデモといった抗議運動も必要ですが、やはりTPPに対するオルタナティブ(別の選択肢)を模索していくことが重要です。その中で初めて、人と人との協同や自然との共生という価値観が出てくる。間違っても「自分たちさえよければ」という排外主義は出てこないはずです。

僕いま福島県の三春町というところで、60代、70代の農村女性たちと組んで、小さな生産と小さな加工を再生する取り組みをしています。60代、70代というのは、農村は若い人が居ないからです。三春町は日本三大桜の一つ滝桜の名所で、毎年30万〜40万人の花見観光客がきていましたが、福島第1原発からおよそ50キロということもあって、去年はほとんどゼロでした。

三春町の農村女性たちは、これまで野菜や餅、梅干や漬物など、自分たちで生産・加工したものを観光客に販売していました。そんな中で観光が壊滅的打撃を受け、せっかく作ったのに捨てるしかないという。もったいないですよね。だから、せめて去年作ったものだけでも売りたい、ということで、各方面に相談しています。そうした小さな生産・加工・販売、それを買ってくれる消費者との関係を、もう一度作り直すことが狙いです。

三春町の場合、原因は原発ですが、おそらくTPPの場合にも同じ問題に突き当たるはずです。僕はなぜTPPに反対するか、一言で言えば自分たちの足元の安心して生きる権利を壊してしまうからです。TPP推進の背景にある考え方は、基本的には成長至上主義、経済成長のためには危険も省みない、危険は弱いところへ押しつければいい、というものです。他方、TPPに反対する側は、無限の経済成長などあり得ない、ほどほどに暮らすべきだという考え方。これは原発も同じでしょう。経済成長を至上とする国家のエネルギー戦略であったり、「原子力ムラ」の利権構造に依拠する推進派に対して、脱原発というのは、自然環境や特定の地域、弱い部分を犠牲にした成長はおかしいという価値観に依拠しています。

その意味では、TPPの問題は実はTPPだけにとどまる問題ではなく、現在の社会のあり方、それを支えている価値観をめぐる構造的な問題だと捉えられるでしょう。そうした意味でも、オルタナティブなもう一つの仕組みを地域から、どのように作っていけるのか、現在そうした取り組みを行っている日本各地、世界各地の試みが、どのようにつながっていけるのか、将来展望はそこに集約されるのではないかと考えています。

 


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