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研究会報告―「『よつ葉らしさ』の根源を探る」第2弾 D

よつ葉にとって「政治」とは何か

関西よつ葉連絡会の事業活動の中で生じた出来事について、その意味と今日的な教訓を考える研究会。最終回の5回目は、「よつ葉はどうして政治活動に取り組むようになったのか―豊中市議選への35年にわたる関わりの中から考える」と題して、9月26日に実施した。それまでの事業活動に関わるテーマとは少々毛色の異なる内容だったが、50人ほどの参加者が集まった。

今回は、よつ葉の政治とのかかわり方をテーマとして、現大阪府議会議員である小沢福子さんの報告を中心に行いました。その他の報告者は、鈴木明美さん(鰍ミこばえ代表)、津林邦夫さん(北大阪合同労組書記長)、加藤憲章さん(広島生き活き農産代表)の3名です。

「よつ葉」の前に「政治」があった

小沢福子さんが初めて地方議会の議員選挙に立候補したのは1974年、大阪府豊中市の市議会議員の補欠選挙でした。当時25才になったばかりの小沢さんを選挙に担ぎ出したのは、まだ『新左翼』と名乗っていた、現在の『人民新聞』を発刊していた政治グループの人たちです。その時、関西では未だ、よつ葉牛乳の共同購入運動は始まっておらず、当然、関西よつ葉連絡会も誕生していません。

この豊中市議補選は1議席を争うものでしたが、日本共産党の公認候補者1人だけの立候補が濃厚となっていて、無投票で当選が決まりそうな状況だったのです。豊中市に住んでおられた日中友好運動の活動家を中心に、学生運動を経験した若者たちが集まり、小沢福子さんを担いで、共産党候補との一騎打ちの闘いとなりました。共産党はヒステリックな「過激派キャンペーン」を繰り返しましたが逆効果となり、結果は小沢さんの圧勝。関西では当時としては先駆的な「市民派議員」の誕生として、マスコミにも取り上げられたほどでした。

翌1975年には、統一地方選の中で豊中市議会議員選挙の本選挙が行われ、小沢さんは見事、再選を果して、豊中市での議員活動が本格的にスタートしたのです。その後、小沢議員の活動の一つとして、豊中市内の支持者の人たちに呼びかけ、よつ葉牛乳の共同購入運動が始まりました。

以上の経過から明らかなように、よつ葉牛乳の共同購入運動を担う人たちが地方議会の議員選挙にかかわっていったのではなくて、豊中での議員活動の一つとして、よつ葉牛乳の共同購入運動が組織されたのです。したがって、この当時から、よつ葉の創成期にかかわってきた人たちにとって、政治運動へのかかわりは、あらためて、その意味や必要性を問うようなものではなく、言わば「自明の理」だったと言えます。選挙への違和感という点では、むしろ、「ずっと『ブルジョア選挙なんてナンセンス!』と言ってきたのに、何故、自らが選挙活動なんかにかかわるのか、というところの方にあった」と、当時を振り返って、鈴木さんは語ってくれました。

「モノの売り買い」を超えて

1979年に行われた次の統一地方選で、小沢さんは落選します。そして、その4年後、1983年の選挙では、当時すでに近畿各県に会員網を拡大しつつあった関西よつ葉連絡会が総力を注ぎ、組織をまき込んでの選挙戦が行われました。当然、牛乳の共同購入会に入っていただけの会員の側からすれば、突然、地方議員選挙への協力を呼びかけられ、とまどいや反発、中には会を脱会する会員も少なからず出たそうです。

1987年の統一地方選では、小沢さんに加えてもう1人、当時の社会党から新人として立候補した一村和幸さんも応援しました。豊中の共同購入会では、選挙戦術として豊中市を南北に区分し、2人の当選を目指して選挙に取り組みました。しかし、結果は2人とも落選。小沢さんの豊中市での議員活動は、この年で終ります。その後、よつ葉の応援する豊中市議として、一村さんが小沢さんを引き継ぎ、1991年から2007年まで4期16年にわたって、活動を続けていくことになります。

津林さんや加藤さんからは、初めての小沢選挙の過程で生じたドタバタ、ビックリ、テンヤワンヤの状況について報告がなされ、さまざまな社会運動、政治運動とよつ葉牛乳の共同購入会の事業活動とが、未分化、不可分の状態で重なり合い、入り交じっていたことが理解できたように思います。食べ物や農業に対する現在のよつ葉の考え方や、事業活動を担う経済組織のあり方、運営の特徴も、実は、そうした過程の中で形づくられてきたことが報告されました。

加藤さんによれば、当時の問題意識として、さまざまな社会運動を背景に、地域の人たちと広く深い関係をつくるための手段として選挙運動への取り組みがありました。よつ葉が設立されて以降は、会員との間に「モノの売り買い」を超えた関係をつくれるか否かの重要な試金石となってきたそうです。どちらかと言えば「選挙のための選挙」という面が濃くなっている現在でも、その点は変わっていないように思います。

生活の問い直しとしての政治

一方、小沢さんは議員として、候補者としてかかわってきた立場から、参加した若いよつ葉の職員の人たちに、自らの生い立ちから今日に至る政治への思いについて、次のように語ってくれました。「誰もが生きていく上で、根っこのところに政治があることから眼を逸らさないでほしい。私は母子家庭に育って、小さい時から、詳しい仕組みは分からないけれど、社会を動かしている政治の存在に何となく気付かされてきた。議員になって、この年齢になって、ようやく、ちょっとは、その仕組みが見えるようになった。年齢を経ないと見えないのは当たり前。『分からない』と言って逃げていては、いつまでたっても見えてはこない。」

日々の暮らしの中で、国政はもちろん地方自治体レベルでも、制度の枠内で営まれる政治が「縁遠いもの」に感じるのは、やむを得ないところです。しかし一方、その「縁遠いもの」によって、私たちの身近な生活の有り様が決められてしまうことも、また確かです。今回の報告を通じて、よつ葉が何か特別な形で政治と関わっているわけではなく、むしろ、身近な生活のあり方を問い直す中で政治を捉えていることが、少しは参加者に伝わったのではないかと思います。(研究所事務局)

◆  ◆参加者の感想◆  ◆

政治と自分の関係を考えることから

「なぜ自分を政治と切り離して考えることができるのか」という小沢福子さんの問い。まずは、これについて自分に問いかけることから始めるべきだ、と感じました。僕の政治に対する一番古い記憶は「リクルート事件」や「佐川急便事件」。私欲を満たすために立場を利用し、法廷では「秘書がやった」と言い逃れをする。また、社会を良くするためという目的は同じはず(?)なのに、政党間・派閥間で足の引っ張り合いにばかり力を注いでいる。いわば、僕の中で政治とは、胡散臭そうなオジサンがブラウン管の中で何だか真実とはかけ離れているようなことを繰り返す、小泉政権の始まるずっと前からある意味「劇場型」だったような気がします。つまり、何だかドラマを観ているようで、自分たち自身が主役とか言われても実感がない。恐らくその積み重ねで僕や同世代の多くは「政治アレルギー」を持つようになったのではないかと思います。それは、よつ葉に入ってからも根強く残っています。そこからくる政治離れは、権力を握っている層にとって都合のよい状況を作り出すと感じながらも……。

「全ての人間は政治的・社会的である」。この言葉は、何となく分かります。人間だけでなく、人間の活動から生み出されるものも全て政治の影響を受けている。いつもの満員電車の中で、隣の人のiPodから音漏れしている曲を歌うミュージシャンも、向かいの席に座ったキレイなお姉さんが持っているブランド物のバッグも……。政治に無関心な世代が興味あるものだって、よくよく考えると全てが政治で決まったことに規定され、ときには意図的に大衆心理を操作する道具に使われたりする。しかし、それに気が付いたとして「じゃあ積極的に参加して国民1人1人の意見が反映されるよう、政治を自分たちの手に取り戻そう」なんて、どこかのスローガンのようには考えられないのが実際のところです。

自分たちの描く姿を実現する、また主張を発信していくための手段として、必然的に政治と関わり利用しようとしてきた世代から、僕のような人間が多い世代によつ葉が交代していこうというこの過渡期。研究会の最終回で「なぜよつ葉が政治と関わるのか」というテーマが与えられたことも、必然のように感じます。一方、外に目を向けたとき、自分たちが歩みを共にしていかなければならない世代は、もっと大変なことになっているのではないでしょうか。

特定の業界の代理人みたいな、自らの利益を最大限にすることが目的の為政者は確実に再生産されていくだろうし、何よりその為政者が作ったシステムの中で収奪され、それに気付かず、むしろ知らぬ間に加担している人の割合は確実に増えている。そんな時代だから、自分なりの政治への関わり方・スタンスを模索しなければとは感じています。政治に明るくないことへの贖罪のように、選挙のビラ配りや宣伝カーの運転手を手伝うだけではなく……。例えば食物アレルギーを持っている人が何も食べないわけにはいかないように、政治アレルギーがあったとしても、政治と関わらず生きていくことはできないのだから。(松原竜生:鰍ミこばえ)

地域で多様な「線」を繋いでいきたい

私が選挙に行ったのは、高槻での小沢福子さんの選挙が初めてです。それまでは、まったくと言っていいほど、政治や選挙に興味ありませんでした。現在の社会に対してとくに不満があったわけでもなく、何か具体的な問題を抱えていたわけでもなかったからだと思います。実際、世間で騒がれる重大事件以外は、まったく興味がありませんでした。よつ葉に入社した後も、福子さんの選挙にかかわるまでは、何も変わらなかったように思います。私が無関心だっただけかも知りませんが、私が入社した頃は、よつ葉の中でも今のように選挙や政治を感じる機会はなかったように思います。

そんな中、入社して2年目か3年目の時に、「高槻生協の福子さんが選挙に出るから配達代走してこい!」と言われ、配達の応援に行きました。これが初めての選挙との関わりだと思います。その時は「自分たちの仲間が出るから応援しよう」くらいにしか思っておらず、福子さんが選挙に出る理由だとか、よつ葉がどうして議員を出そうとしているのかなど、考えたこともありませんでした。ただただ仲間を応援し、一票を投じて当選を願うだけでした。しかし、ここで初めて政治活動なるものを経験したことから、この選挙をきっかけに、可能な限り投票に行ったり、眠い目をこすりながら夜遅くまで開票結果を見るようになりました。また、自分の住んでいる地域のことも気になりだし、少しずつ政治に興味を持ちはじめたように思います。

今回の報告の中で、「政治活動の中からよつ葉が生まれた」との話がありました。私自身は何か社会運動をしていたわけでもなく、単なる就職先としてよつ葉に入社したので、いわば業務の一環のように、よつ葉の活動の一つに選挙・政治があるのだ、と思っていました。ただし、業務の一環としての選挙活動だとすれば、「食べものの配達が仕事なのに、なぜ選挙なんだ」となるかもしれません。また、会社の利害関係だけで見も知らぬ候補者なら、選挙を手伝うことに疑問を感じたかもしれません。しかし、私の場合は、仲間が候補者となり、その活動を応援する形だったので、単なる業務の一環として考えるのではなく、最初から自然に参加できたのだと思います。

報告の中で印象に残ったものとして、「世の中の根本を決めているのは政治」という言葉がありました。実際、今の世の中は何かおかしい。その根本の政治を変える必要があるでしょう。そんなに簡単に政治が変わるとも思いませんが、何もやらなければ変わらないのも事実です。もちろん、そのためには、いろんな関係の繋がりも必要だと感じました。この点では、「日常生活はそれぞれの地域で営まれ、その生活が基盤で、その地域でのかかわりの中によつ葉があったり、選挙があったりする」との言葉に頷かされました。

とはいえ、現在の私の活動は、年月を重ねて「点」は増えてきましたが、「線」になっていないのが実状です。まずは「線」に、そして「線」を繋げ、最終的には「面」に近づけていくことが課題だと、今回の報告を聞き、改めて気づかされました。(横井隆之:よつ葉ホームデリバリー京阪)


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