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アソシ研リレーエッセイ:「そこら辺で採れたもの」の価値

お盆に高校の同窓会で帰郷した。当たり前のことだが、会場にいたのは10代ではなく、日本の高齢化に貢献している50代の人間ばかり。それでもみんな、お決まりの文句「オマエ全然かわっとらんなー!」を連発しながら嬉しい再会に深夜まで大声で語り合った。道で会っても絶対に誰だか分からないくらい変わってしまった外見とは裏腹に、話をしているうちにだんだんと昔の自分に戻っていくような気持ちになっていた。

昨年の夏、その中の数名と再会したときのこと。「田中はいま何ばしよっとやー」「俺は、自分とこで牛とか豚飼って、地元の野菜とか会員に配達しとる関西の変な会社で働いとる」「そんならその豚肉一回食わせてくれ」「何で牛じゃなくて豚なんや!」「いいやんか、俺も何か送ってやるけん」ということで、よつ葉のギフトで企画している「豚の味噌漬け」を送ってやった。その後、農家をやっている男からお返しにイチジクが届いた。一年ぶりに再会した同窓会の席で、みんなに「こいつが作ったイチジク旨かったぞー」「そりゃー当たり前じゃ。スーパーに売っとるのは一日経っとるからな。俺のは採ってすぐ送ったから旨いはずや」。物々交換の会話みたいで楽しかった。

そんな会話もあって、今年は地元の小学校で校長先生をしている友人も県内の果物を送ってきた。出身は福岡県の南部農村地帯なので同級生には農家が多かったが、大部分は会社員や公務員や学校の先生になって、農家をやっているのはわずかしかいない。同窓会で数十年ぶりに再会した農家に嫁に行った女の子(?)から「あまおう」という品種のイチゴを送ってもらう約束をした。今は12月が「旬」になってしまったイチゴだが、知ってる奴が作ったものだと何か特別な感じがして嬉しくなる。

昔は「そこら辺で採れたもの」より、遠くの名前も知らない所で採れたものに特別な価値があるような気がしていた。おそらく自分だけではなく、多くの日本人がそうではないかと思う。偽ブランドや産地名を偽装したものを高い値段で買う奴、薄っぺらな本物志向を自負している奴ほど騙されやすく、それを忘れてまたすぐ騙される。未だに続いている食品の産地偽装や薬品混入の問題。マスコミの大騒ぎとそれに乗せられた世論。「いい加減に気がつけよ!」と言いたくなる。偽装など昔から当たり前にあったことだ。もともと、「伝統や特別な技術に支えられた特定の産地やメーカー」の高価な商品イメージなど、市場という仮想現実の世界で作られた幻影みたいなもの。

数年前、よつ葉農産という会社で働いていたときに「地場と旬を農の中心に!」というスローガンを作った。「地場と旬」を売りものにして「新鮮です!」とか「安心です!」というのではなく、農業・農政の中心に「地場と旬」を据えるべきだという想いがあった。もちろん、農業をこんな風にしてしまっている社会・経済のあり方そのものを変えない限り、そんなことは実現しないことも分かっている。しかし、よつば農産を離れて4年以上が経過して、同窓会で友達に再会し、いろいろ自省することも多かった。

農産物に限らず、人間にだって仕事にだって「そこら辺で採れたもの」の価値がちゃんと見えているのだろうか。今の人間関係や仕事の中でそのことを真面目に考えてみようと思う、今日この頃です。(田中昭彦:関西よつ葉連絡会事務局)


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