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【連載】ネパール・タライ平原の村から(19)
ネパールのカースト制度について(その2)

 ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井君の定期報告。今回ほ、その19回目である。

周囲の人々に「カーストについてどう思うか?」などと聞いたなら、恐らくあまりに当たり前のことを質問されて、返答に困るのではないでしょうか。あるいは単に「バフン・チェトリ・グルン・マガル」と血族グループを言うのではないでしょうか。時には、「カースト差別はよくない」と教科書的な答えが返ってくるかも知れません。
 今回は、周囲の人々が日々の暮らしの中でカーストをどのように捉えているのか、紹介したいと思います。

 ある日の晩、ラジオから各政党の幹部たちが激しい口調で討論を交わしている放送が聴こえてきました。それで相方に、こうした討論が放送されることは、以前はなかったのではないか、と聞いてみました。
 相方は「たしかに昔と比べ、自由な議論がなされるようになり、政治がずいぶん身近に感じるようになった」と言います。ただし、「今も昔も政治の舞台で発言しているのは、バフン(僧侶カースト)やチェトリ(戦士カースト)といった上位カーストであることに変わりはない」と付け加えます。今も昔も、「そこにグルンやマガルといった少数民族の人々はいない」というわけです。
 マオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)をはじめとして、少数民族やダリッド(不可触民)の代弁者のように発言をする政党も、幹部の多くは上位カーストが占めている。これが僕の周囲にいる少数民族の人々の認識と言えるでしょう。
 少数民族である相方の家族と暮らしていると、時に親しい上位カースト・バフンの人と一緒に稲刈りや農作業をすることがあります。また儀礼に招待されたりすることも多々あります。一見すると、実生活の中ではカーストなど全く存在しないように見えます。
 それでも、時おり会話の中で、「バフンはおいしい話を持ち込んで人を騙す」とか、「バフンは“したたか”だ」など、少数民族の側からステレオタイプな意見が洩れる場合があります。こうした意見が現れるのは、やはりバフンやチェトリが常に政治・経済的に優位な立場にいることと無関係ではないでしょう。

 とすれば、カースト制度の中で低位に位置付けられている少数民族の人々は、自らのさらに下に位置付けられているダリッドの人々をどのように見ているのでしょうか。実は、周囲の人々、とくに年配者にとって「彼らに触れたり、水を与えたり、神聖な台所に招くことはタブー」とするのが常識的な認識です。こうした視点は、上位カーストの人々と変わりがありません。

 近年、カーストに関する法律や人々の認識は昔に比べてずいぶん変化した、との意見も聞かれます。それを裏打ちするかのように、職業集団を形成する低位カーストの間でさまざまな変化が生じているとのことです。  たとえば、ネパールでは伝統的に「チヤメ」という掃除人のカーストがありましたが、時代が進む中で首都圏ではゴミが増え、清掃業の需要も増えたと言われています。一方、仕立て屋力ースト「ダマイ」は、衣料品が工場で製造されるようになったため、多くが仕立て業から離れることになりました。吟遊詩人力ハスト「ガイネ」は、かつては村々を歩いては社会の出来事を詩に乗せて伝えていましたが、ラジオやテレビの普及によって職を失ったそうです。  近代化によって職を得たカーストと、職を失ったカースト……。職を失った職業カーストの人々は、海外に出稼ぎに出るのが通例です。いずれにせよ、カーストは近代化による変化に見舞われながらも、簡単に否定されるわけではありません。想像以上にしぶとい制度のようです。(藤井牧人)


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