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対談報告:大阪ダブル選挙の結果を受けて
いま、私たちにとって「政治」とは何か?

昨年11月に行われた大阪府知事選挙と大阪市長選挙は、周知のように橋下=大阪維新の会の圧勝に終わった。こうした動きを肯定的に評価するにせよ否定的lこ評価するにせよ、その背景にどのような社会的要因があるのか、その要因がなぜこうした現れ方をしているのか、考える必要がある。研究所では今回、そうした観点から今日の政治状況を考える対談を企画した。参加者は、当研究所代表の津田道夫、そして前大阪府議会議員の小沢福子さん。以下は、その概要である。

何が問題なのか?

【津田道夫】昨年11月27日に大阪府知事と大阪市長を選ぶダブル選挙が行われ、前府知事の橋下徹氏が代表を務める地域政党「大阪維新の会」の候補者が、いずれも他候補に大差をつけて当選しました。維新の会の人気は昨年4月の統一地方選挙から続いていますが、衰えるどころか、むしろますます拡大する傾向にあります。
 ダブル選挙の過程では、これまでの行政慣行を否定し、「独裁」の必要性まで公言しつつトップ・ダウンで物事を決めようとする橋下氏の手法や思想がクローズアップされると同時に、人格や生育環境までもが取り沙汰されました。
 とりわけ、知事が教育委員会を飛び越えて教員人事や学校運営といった教育行政に関与する「教育基本条例」、あるいは職員に対する労務管理を強化する「職員基本条例」の提案は、大阪だけでなく全国からも注目を洛び、「ハシモト」による「ファシズム」すなわち「ハシズム」との批判が業き記こりました。
 しかし、フタを開けてみれば、そうした批判は多くの有権者の気持ちとは交わらなかったわけです。僕たちにしても、これまで30年以上にわたって、生活の場としての地域に足場を置く中から政治に取り組んできましたが、少なくとも選挙という場面では維新の会の動きに太刀打ちできませんでした。
 こうした事態をどう考えるのか。現在進行中の事態でもあり、すっきりした結論は出ないでしょうが、現在の政治のあり方を考える視点ぐらいは見出せないものかと考えました。そこで、僕らの仲間でもあると同時に、これまで三期12年にわたって大阪府議会議員を務めてこられた小沢福子さんにお願いし、対談の機会を設けることになりました。

【小沢福子】津田さんの問題意識を記したメモを事前にいただきましたが、私も基本的に同じ見方です。世の中のさまざまな課題に対してまともに向き合おうとすれば、橋下さんの言っていることは思いつきの産物で、およそ具体性のない絵空事であることは、はっきりしています。しかし、それがまかり通ってしまう、人々を掴んでしまう、そこが一番の問題だと思います。
 私自身の体験で言えば、市町村のような基礎自治体の議員の場合、有権者との結びつきは非常に具体的な生活上の問題に関わるため、“維新旋風”などには吹き飛ばされない関係があります。しかし、それが府議会議員や首長の選挙になると、有権者の関心も拡散し、“漠然とした変化への期待”といったものに集約されていきがちです。
 昨年の選挙で手伝ってくれた支持者の方々は、「これまでは自分たちを多数派(一般的市民)だと思っていたけれども、いかに少数派かよく分かった」と言われていました。時々の社会状況によって多数派の範囲も変わります。だから、少数派と多数派が入れ替わることもあるし、多数派が正しいとは言えません。しかし、やはり多数派の動向には、その時の社会状況が反映されていると思います。「分かっていない」とか「騙されている」では済まない。そこにどんな言葉で語りかけ、自分たちの主張を伝えていくのか。
 私自身の実感で言えば、小泉(元首相)さんが登場した頃から、「言葉が奪われていく」という危機感を覚えていました。というのも、かつてなら、普通の市民が暮らしの中で感じる実感が、隣近所の井戸端会議や住民運動などを通じて、自分たちの言葉として表現されてきたと思います。しかし、この間は、そうした実感が表現として実を結ぶ前に、政府や行政による出来合いの言葉にすくい取られてしまう傾向が強いようです。そうではない言葉をどう紡いでいけるのか、とてもしんどい状況になっていると思います。

侮れない部分

【津田】そうです。だから、僕も問題の中心とすべきは橋下氏の手法や思想、人格ではないと思います。むしろ、そうした欠点含みの手法や思想、人格にもかかわらず、それが人々に受け入れられ、期待を集めてしまう現代社会の構造こそが問題だと思います。
 先ほど小沢さんが指摘したように、僕たちの周りでも、橋下氏や維新の会に投票した人々について、「分かっていない」とか「騙されている」という批判が聞かれます。僕は、それは少し違うと思う。たしかに、橋下氏や維新の会の主張は中身も具体性も乏しい。でも、何故そうした主張に人々は惹かれるのか、正面から向き合うべきだと思います。そうでなければ、対抗する方針も出てこないのではないか。
 マスコミなどでは大阪の抱える「閉塞感」を根拠に挙げる分析も多いですが、なにも大阪だけが閉塞感を抱えているわけではありません。日本全体でも世界全体でも、事情はそれほど変わらないはずで、実際イタリアやフランスなどでも、従来とは違った政治りーダーに人々の人気が集まるという状況が生じています。その意味でも、橋下氏の個人的な資質の問題で済ますことはできないでしょう。

【小沢】日本も含めて「先進国」と言われる国々では、交通網の整備や教育制度の充実、社会保障や医療制度の整備といった人々の生活にとって必要不可欠な領域が政治の焦点になるような事態は、基本的に1970年代で終わっています。もちろん、細かく見れば、それぞれの制度の中ではその都度手直しや充実が必要ですが、社会の骨格となる制度やその法的な裏打ちについては、完成していたと言っていいでしょう。
 しかし、そうした、曲がりなりにも「豊かな社会」が実現してみると、次はどこを目指すのか、ということが問題になります。日本の場合、そうした議論が生まれてきたのは80年代ですが、バブルやら何やらのおかげで、それほど表立った話にはなりませんでした。むしろ、既存の制度に乗っかっていれば、それなりにやっていけるのだから、これまでの延長線上でいいだろう、という感覚だったと思います。
 それが克服すべき問題として、いよいよ煮詰まってきたのが90年代でしょう。私の経験では、そのころから地方分権をめぐる議論が盛んになったと思います。たとえば、日本は中央集権体制によって経済成長を実現し、全国一律に学校制度や医療制度を普及させたけれども、同時に、そうした中央集権体制に伴って、官僚の天下りや公共事業依存といった利権構造も確立されました。こうした中央集権体制と利権構造の一体化を打破しない限り、次の社会は展望できないというわけです。
 私は1999年に府会議員になりましたが、大阪府の場合にも、国と同じような中央集権体制と利権構造の一体化が存在しました。なにせ一般会計の年間予算が3兆円で、関連する出資法人も多いわけです。横山(ノック)さんや太田(房江)さんの時代にも、こうした法人の縮小を手がけましたが、関係団体の抵抗もあって不徹底に終わりました。それに対して、橋下さんは予算の見直し、補助金の見直しを徹底しました。とくに大阪府が独自で補助金をつけているものについては、すべて一旦ストップし、成果主義に転換すると言いました。
 そうした意味では、たしかに突くべきポイントをよく突いていると思います。

【津田】そうですね。それと公務員の待遇や教育問題への成果主義の持ち込み。これは大阪府でも大阪市でも一貫しています。しかし、僕の印象から言えば、そうした問題に対する橋下氏の取り上げ方は、教育現場の実態や公務員の仕事の内容をよりよくしていくというよりも、むしろ民間企業に勤める人々の標的にしようとするものに見えます。
 いま世の中では、不況で仕事がない、あっても低賃金でコキ使われる、身体や心を蝕まれるといった現状が蔓延し、その渦中にいる人たちは、出口が見えない中で藻掻いています。そんな人たちからすれば、教員も公務員も「親方日の丸」で身分も賃金も保障されている、けしからん、となる。つまり、人々の不満を自分より少し恵まれているように見える部分に向けさせ、そこを叩くことで溜飲を下げさせるということです。

【小沢】恐らくそうでしょう。でも、教育現場の実態や公務員の仕事の内容をよりよくしていこうと考えたとしても、現行の政治システムでは手だては非常に限られているのも事実です。
 先ほども触れましたが、中央集権体制と利権構造の一体化が足かせになっていることが明らかな時代になっても、それを内部から変えようとする目立った動きは現れませんでした。つまり、教育現場の実態や公務員の仕事の内容をよりよくしていく当事者側からの動きは、少なくとも府民や市民の目に見える形で存在しなかったんです。
 とくに中枢にいる職員は変えようとして下手に泥をかぶるより、いただくものはいただいてサッサと泥船から逃げていったと言えるでしょう。だから、腰砕けになるのも当然です。もちろん議員連中もそうした構造の中にどっぷり浸かってきたわけですから、橋下さんの指摘に丁々発止でやり合えるような根拠はなかったと言えます。
 これは、単に溜飲を下げて満足する人たちだけの話ではありません。さまざまな市民運動に取り組んできた人々の中でも、現行の政治システムでは補助金の使い勝手もよくないし、本当に必要なところには行かないから、それを打破して徹底的に分権化しなければいけないという点で橋下支持に回った人々も少なくないとのことです。

【津田】橋下氏が、既存のシステム、既得権益を守りたい層に対して、非常に鋭い批判を行ったことは間違いないでしょう。しかし、銑く切り込んだ上で、それをどう作り変えようとしているのか、そこが見えない。スローガンとしての「大阪都構想」ぐらいしかないのが実際ではないでしょうか。にもかかわらず、人々が惹かれてしまうのはどういうことなのか……。

“不合理なもの”は潰せ!

【小沢】議会の問題で言えば、議会が実質的に機能しているのかどうか、そのあたりも問題です。議会の基本的な役割は議論を尽くすことですが、大阪府議会の場合、5人以上いなければ「会派」として認められず、代表質問もできません。あとは議員に一律認められている一般質問ですが、府議会では一人あたり4年間に2回しか回ってきません。しかも一回の時間は20分です。
 私などは、まさに一人しかいなかったため、その都度議会で問題にしたいことがあっても質問できませんでした。たしかに、議会には各種の常任委員会(大阪府は8)があり、そこで補うことも不可能ではありませんが、行政の範囲が広域になればなるほど議員数は多くなるので、一人あたりの発言回数は制限されてしまいます。
 本来なら、議員が率先してこうした議会の状態を改革していくべきでしたが、そのまま放置することしかできなかったわけです。橋下さんに見事に突っ込まれ、まともな反論一つできなかったのも、当然といえば当然です。

【津田】いわゆる議会制民主主義の形骸化ですよね。

【小沢】そうです。そもそも橋下さんが府知事選に立候補したとき、自民党も公明党も中央は「我関せず」、府連レベルで推薦・協力したわけですが、両党が組織票を基盤とするのに対して、橋下さんはそれを上回る“浮動票”を集めてしまった。いわば、民主主義の形骸化によって枠の外に置かれていた人々と直接つながる形ができてしまった。これは、既存の政党にとって大きな脅威です。

【津田】ただ、橋下氏と彼に投票した人々は、いったいどこでつながったのか。もっと言えば、橋下氏が考えていることと投票した人々が考えていることとが本当につながっていたのか。この点は疑問として残ると思います。

【小沢】その点では、二つの側面があると思います。08年に橋下さんの号令で出された府の「財政再建プログラム」で、精神障害者に関する施策の予算や補助金が削減・廃止されました。夜間中学校への給食補助金や通学補助金もなくなりました。いずれも大した額ではありませんが、財政均衡のための補助金見直しという大義名分の下で、杓子定規に潰されてしまいました。こうした人々と橋下さんはつながっていなかったと言えます。
 と同時に、橋下さんとつながった人々にとって、こうした人々は自分たちと同じではないという感覚があるのではないでしょうか。少なくとも10年前なら、精神障害者や夜間中学校の問題を取り上げ、広域行政として府がすべき問題であると訴えれば、直接関係のない人でもそれなりに聞く耳を持っていたと思います。ところが、いまはそうではなくなっている。

【津田】繰り返しになりますが、橋下氏の行動パターンは、何か目指すべき将来像があって、そこへ近づけていくために財政均衡を重視するとか、予算を有効活用するといった発想ではなくて、現状に問題があるから論理的に不整合があればとにかく潰す、対象について価値判断はしない、そんなやり方ですね。
 一般市民から見て不合理な行政慣行を潰すことは、たしかに将来へ向けた一歩になるかもしれません。しかし、潰すこと自体がそのまま新たなものを建設することにはならないはずです。
 にもかかわらず、とにかく潰すことへの賛同が呼びかけられ、そこに雪崩を打って集まっていく。建設することに比べれば、潰すことは比較的簡単です。そもそも、社会全体が未来に向けて建設すべきものを構想する余裕すら持てなくなっているのかもしれません。

【小沢】先ほどの繰り返しになりますが、大阪府にしても大阪市にしても、双方の職員にしても議員にしても、やはり70年代までに形成されたシステムに安住し、社会の変化に対応できなかった、もっと言えば対応しようとしてこなかったことは事実と言わざるを得ません。だから、そうしたシステムを潰すべきだという橋下さんの主張が的を射ている一面は間違いなくあります。
 ただ、津田さんが言われるように、橋下さんは具体的に何かを作っていこうという呼びかけはしていません。意図的がどうかは別として、これは非常にうまい戦略だと思います。有権者にすれば、橋下さんから不合理な行政慣行を潰すことへの賛同を呼びかけられ、それに応えるだけなら自分の不利益にはならないわけですから、拍手喝采するのも当然でしょう。
 もっと言えば、競争と成果主義を軸とする橋下さんや維新の会を支持した人々は、自分たちは競争しても勝てる、成果主義ならもっと見返りが得られるという、いわば橋下さんと同じ生活感覚の人々ではないかと思います。私自身の実感として、人間が生活していく上で忘れてはならない部分、たとえば自分が行政から置き去りにされたり、シワ寄せを受けたりする可能性、あるいは、そうした境遇に自分以外の誰かが置かれる可能性に対する視点というものが社会からなくなりつつあるように感じます。

「ハシズム」を受け入れる社会

【津田】それほど余裕のある人ばかりではないでしょう。やはり現状への不満が根拠になっているのではないですか?

【小沢】「ないものねだり」の面もあると思います。一方では、これまでのシステムでは対応できなくなっているから、それを潰さなくてはならない。これは不満の部分ですね。しかし、もう一方で新しいシステムは見えず、その意味では不安である。だから、そこを何とか説明してほしい、安心させてほしい。
 でも、それは無理ですよね。新しいものについては言わない橋下さんに下駄を預けておいて、でも何かしら安心させてほしいなんて。そもそも、新しいシステムは政治家にお願いするものではなく、自分たちで作っていかなければならないわけですから。

【津田】一旦これまでの話をまとめてみると、実際に大阪府で橋下氏と対峠した小沢さんの視点からも、橋下氏の手法なり主張には、それなりに的を射ているところがあった、というのが一つですね。つまり、戦後から70年代までに形成された既存のシステムが必然的に伴ったマイナス面や、時代状況が変化する中で生まれてきた不合理といったものに対して、あるいはその中にどっぷり痩かって内部変革の機会を見いだせない公務員や議員に対して鋭く切り込んだ。
 また、そこに切り込むために、あるいは切り込むことによって、長期不況が続く中で悪化していく生活環境に不満を持ち、イラ立ちを抱えている人々に対して一定の方向を指し示し、それによって支持を得た。
 しかし、橋下氏もその支持層も、切り込んで対象を叩いた後に何を創るのか、どこを目指すのか、具体的な経路や手順について見通しがあるわけではない。現状では、手近な対象を叩いて溜飲を下げるに留まっている。
 とすると、橋下氏の政治手法や主張が問題なのはもちろんだけれども、それ以上に、そうした非常に曖昧な呼びかけにいとも容易く応じてしまう人々の生活のありよう、もっと言えば、社会そのものの基盤が希薄になっているような現状の方が問題なのではないか。
 こんな形になりますかね。

【小沢】そう思います。その点で注目したのは、市長選挙の際に大阪市24区の中で橋下さんと平松さんが最も接戦を演じたのが、西成区と平野区だったということです。生活保護の受給率で見ると、西成区は第一位で平野区は第三位で、生活が苦しい世帯が比較的多い地域と言えます。推測ですが、厳しい生活状況に直面している人々は直感的に、橋下さんが市長になったら自分たちは切り捨てられると感じたのではないでしょうか。
 一方で、橋下さんや維新の会を支持する人々は、おおむね「勝ち負けは仕方ない、頑張って上昇すればいい」という考え方だと思います。こうした価値観は、たしかに苦からありました。ただ同時に、「負けた」人に対しては、国や行政がしかるべき対応をすべきだという懐の深さもあったように思います。ところが、いまやそうではありません。「負けた」人に税金を使うなどもってのほか、という考え方がますます色濃くなり、極端な考え方の人だけでなく、「普通の人」にもかなり痩透しています。

【津田】ということは、「ハシズム」というキャッチフレーズに見られるように、ファシズムや独裁という強圧的なイメージで橋下氏を批判すること自体が、ピントがズレていたわけですよね。

【小沢】そうなんです。私が橋下さんやそれを支持する人たちに対して思うのは、もっと成長するとか、もっと上に行くとか、そんなことはもうあり得ない。それよりも、これまで右肩上がり、イケイケでやってきた時代が転換点を迎えて、一種の反省の時期に至ったわけだから、これまでに現れた問題点を踏まえて今後どうしていくのか、新たな価値観を模索していくべきだと思うんです。そこの部分で対抗軸を創っていかないと、本当の批判にならないのではないでしょうか。

【津田】もっとも、そう言ったとしても、大方の人たちには相手にされない可能性が高いでしょうね。

【小沢】たしかにそうかもしれません。でも、世の中の人がすべて勝てるわけではないし、かつてのような高度経済成長が再び訪れることはない以上、それこそ「1%と99%」のように、大多数の人々は職烈な競争の中で、早晩「もうたくさん」と思うようになるはずです。
 たとえば、橋下さんが府知事の時代に、国の高校無償化法案に上乗せして、私立高校の無償化も行うことが決まりました。その結果、それまで公立高校重視の風土だった大阪でも、東京などと同じように私立高校への志願者が増え、公立のいわゆる「底辺校」とよばれる高校では定員割れが拡大しました。
 橋下さんは、こうした公立高校に対しては整理統合を行い、成果に応じて待遇に差をつけると公言しました。競争を持ち込んで全体のレベルアップを図るという理屈です。
 こうした動きに抵抗したのは、対象となる高校の地元住民でした。やはり、競争が必要とはいえ物事には限度がある、と考える人も多いんです。

“何を創るのか”をめぐる闘いへ

【津田】最初の話に戻りますが、橋下氏がさまざまな場面で見せる「現状打破」の姿勢に対して大きな支持が集まり、それが政治的な力になって物事が進んでいる一方、その中身として出てくるのは成果主義であったり競争原理であったり、いずれにせよ未来展望を感じさせるものではないように思います。

【小沢】その通りですが、同時に、それを批判する私たちとしてはどんな未来展望が出せるのか、問われてくると思います。それなしには、人々から「守旧派の抵抗」と見られてしまうんです。
 公務員改革について言えば、よく知られているように、日本は諸外国と比べて人口に対する公務員の比率が高いとは言えません。むしろ少ない。ただ、本当に住民が必要とするところに配置されているかと言えば、そうではない。たとえば、最近では地域の人間関係が希薄になる中で、孤独死やら何やら、対応しなければならない問題が増えています。
 そこで重要な働きをするのが民生委員です。民生委員は、地方公務員法では「非常勤の特別職の地方公務員」と解釈されますが、事実上は民間ボランティアで、交通費などの実費支給こそありますが、いわゆる報酬はありません。引き受け手を探すのも大変なのが実際です。だから、単純に公務員を削るのではなく、住民の役に立たない部署に配置している公務員を有効活用できる部署に振り分ければ、住民の暮らしにとって役立つものとなるはずです。
 そうした形で批判の論陣を組んでいかないと難しいと思います。

【津田】ただ、そうした具体的な指摘というのは、人々の耳には入りづらいですね。むしろそれをすっ飛ばして乱暴に「人員削減」「給料カット」という方が受けてしまう。

【小沢】結局は自分たちの首を絞めることになるはずなんですが……。

【津田】具体的な手順とか手続きといったものを踏まえようとすれば、それなりに時間もかかり、天地をひっくり返すような変化はできません。そうした積み重ねよりも、とにかく即効性のありそうな、インパクトのありそうな主張が求められているのかもしれません。その点では、むしろ具体性がないほうが期待を持つことができる。例え将来、自分たちの首を絞めるものだったとしても、現状が続くよりはマシだということでしょう。
 とすれば、こうした状況に対して、僕らはどう立ち向かったらいいのか。さきほど、「ハシズム」「独裁」という批判の観点を紹介しました。しかし、これは批判としては的外れだったわけですね。そうなると余計に、僕らにはどんな批判ができるのか。

【小沢】私自身は昨年の統一地方選で、橋下さんや維新の会を直接批判するような選挙運動を組んだわけではありません。それよりも、住民が日々の生活の中で抱えている問題に届くような内容を心がけて主張を訴えました。しかし、それが届かなかっただけでなく、届けようとした人々の多くが橋下さんや維新の会に惹かれていったことについて、足下の活動のあり方を見直さなければならないと思っています。
 と同時に、開き直りに思われるかもしれませんが、逆に橋下さんや維新の会を支持した人々に問いたいこともあるんです。それは、従来の議会制民主主義が形骸化し、投票した後は政治家に任せる「お任せ民主主義」では済まない状況の中で、まだ「お任せ」で行くんですか、ということです。

【津田】しかし、それが橋下氏や維新の会への有効な批判になりますか? それこそ人々の間に分断を持ち込むだけでしょう。

【小沢】でも、少なくとも自分の選択に関して他の人に説明することは必要ではないでしょうか。日本の政治は「託す」政治だと言われますが、私は託したいと思ったことはありません。

【津田】小沢さんはそうかもしれませんが、代議制民主主義である以上、小沢さんに投票した人の中には「託した」人もいるわけですよね。

【小沢】現行の議会制民主主義の限界です。有権者は「選択する」権利しかありません。「お任せ」するしかないんです。だから、いつまでたっても行政の仕組みが縁遠いものにしか感じられない。そのイラだちが「ぶっ潰せ」に集約されているのではないかと思います。
 もちろん、現在の制度に代わるものはすぐには見つかりませんが、現段階で有権者の政治参加を仮すとすれば、少なくとも投票率が70%以下の選挙については無効にすべきだというぐらいの考え方が必要だと思います。70%というのは、政党関係者や各種の利益団体などの、いわゆる「組織票」に左右されない投票率です。これくらいの投票率がなければ、本当に「託した」ことにすらならないと思います。

【津田】しかし、投票率が70%以下の選挙は無効とすると、日本で行われる選挙はほとんど無効になりますね。

【小沢】無効でいいです。自分たちが主権者なんだから。実際、日本の現行システムでは、無効になってもそれ以前の議会で議決されたとおりに実行されますから、実害はありません。官僚組織があれば政治は停滞しないんです。それで本当に困るのか困らないのか、やってみるぐらいのところまで行かなければ、有権者にとって政治や議会の必要性が真に問われることはないでしょう。
 有権者こそが今日の日本の政治をつくっておきながら、あたかも被害者のようにしか実感できない状況こそが、実は最大の問題だと思うんです。

【津田】言いたいことはよく分かりますが……。

地べたから対抗軸を!

【小沢】今日たまたま新聞で、病児保育を支援するNPO(非営利組織)を設立し、自分でモデルをつくって政治家に制度的裏付けを求めるロビー活動をしている若者の話を読みました。実際に、従来のような政党政治の経路を通じて制度づくりを実現するのではなく、日々の暮らしから直接出てくる要求を具体化し、その現実をもって制度づくりを迫っていくような、いわゆる「提言型」の動きは、いたるところで始まっています。

【津田】そうですね。それも含めて、単なる現状批判ではなく、現状を具体的に作り替える糸口のようなものがどこに見出すかが、今日の話の最後になると思います。もちろん、何かしら明確なものがあるわけではありませんが、やはりすべてを一挙に変えようとするのではなく、あるいは変えてくれそうな誰かに期待するのでもなく、日々の暮らしの具体的な一つ一つに踏みとどまって、自分はそれをどう変えるのか、どんな方向を目指すのか、考え、行動していかなくてはならないと思います。
 橋下氏や維新の会を支持する人たちを突き動かしているのが焦燥感や不安だとすれば、僕らは生活の中で安心とか信頼が実感できるような関係をつくることによって、結果として批判の対抗軸を形成していくことになるはずです。そうでなく、同じ土俵に乗っかって、別の焦燥感や不安を焚きつけるような形で対抗軸をつくったのでは、元も子もないのではないでしょうか。
 そう考えると、やはり現在の都市における生活世界の空洞化というところから問題にして、それを克服するものをつくって行かざるを得ないように思います。これは、僕が長い間農村で畜産に携わってきたから、よけいにそう思うのかもしれませんが。

【小沢】基本的に賛成です。いまの世の中が難しいのは、物事の判断を自分でしなければならないからです。それこそ「自己決定、自己責任」ですが、はたして人間は何でもかんでも自己決定できるものでしょうか。もちろん、権力者や慣習によって個人の自由が抑圧されるのは間違いです。しかし、やはり人間はさまざまな関係の中で育まれるからこそ、そうした関係を背景にして自らのあり方を選んでいくものではないでしょうか。
 実際、私が相談を受けた人の中にも、一方では自己決定ができない人、もう一方では単なる利己主義を自己決定と勘違いしている人が少なくありませんでした。今日の社会における関係のありようを反映していると、つくづく思います。とくに都市部では難しいです。

【津田】そうですね、地方ならまだまだ具体的な人間関係の中で物事を決めたり実行することは多いですが、都市はシステムが代行していますからね。その意味で、僕は人間と自然の関係を基礎として人間同士の関係を再構成していこうと考えると、どちらかといえば地方に可能性を感じてしまう、というかイメージが湧くんです。

【小沢】やはり労働と生活が一体化している、あるいは極めて近いからでしょう。そこはとても大きいと思います。とすれば、都市部でも労働と生活の距離をどれだけ近づけていけるか、そうした労働のありようをどのように実現できるかがポイントだと思います。その点で、私は今後、NPO法人「関西仕事づくりセンター」の活動を通じて、いま暮らしている高槻市を中心に、仕事を軸にみんなが集えるような場所づくりをしていきたいと考えています。
 私は議員をしていたとき、もう少しまともに生きていける世の中にしたいという思っていました。その思いは、かつてもいまも変わりません。橋下さんや維新の会が何をしようが、それにされないようなタフな関係を、地べたの生活の中からつくっていきたい。それが橋下さんや維新の会、あるいはそれを生み出す社会への対抗軸になると思っています。
【津田】分かりました。今日は長時間ありがとうございました。

阪府知事選・市長選の結果についての考察
※中心的分析は「橋下」ではなく「なぜ人々が橋下に票を入れたのか」。

1.資本主義システムの危機の深化が底流
・新自由主義的政策(資本の専制)による延命の破綻
貧富の拡大、社会保障の後退、生活領域の隅々に市場経済が痩透、失業の拡大、能力主義の徹底、競争の至上化
・金融資本主義の破綻
国家財政による金融資本の延命、日・米・欧での国家財政の行き詰まり、「リーマン・ショック」、EU諸国の金融危機

2.民主党による政権交代への失望
・既成政治システムヘの根強い不信
09年8月の政権交代への人々の期待は2年間で完全に裏切られ、新自由主義への回帰
・強いリーダーシップヘの渇望
人々は個人に解体され、結集軸が見出せず。主張する個人は少なく、評論する個人ばかり。ボピユリズム(衆愚政治)の基盤を技術的に支える世論調査処理の進化。

3.「ファシズム」の歴史的性格
・資本主義システムの危機の局面で反資本主義的政策を主張する対抗革命
資本主義が壊す人的依存関係、共同性の復権を目指す。社会主義への変革ではなく前近代への復古。結果としての資本主義の延命、戦争への道。
・橋下=大阪維新の会の主張はファシズムか
むしろ新自由主義の徹底。共産党による批判の誤り。
・ファシストではなくデマゴーグ(扇動家)
公務員バッシング、既成政党バッシング、「主敵」の設定とその打倒。

4.民主主義の捉え直しの必要性
・現在の民主主義は内実として自由主義と民主主義(自由と平等)が含意されている。この二つはどのようにして両立しうるのか。
・議会制民主主義の機能不全は深刻。この変革への提案が「大阪都構想」。しかし、地方自治体の制度変更で解決しうる問題ではない。
・対抗運動としての地域=生活空間での自治。前提として、人的関係を軸とした基礎となる地域組織の創出。「選挙=民主主義」を超える内実の形成。
 


(終わり)


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