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【アソシ研リレーエッセイ】「コール」を意識して年頭に思う

 年末から正月にかけてのアルコール漬けで澱み切ってしまった脳みその再稼働に向け、今年も年明けにアソシ研で各商業紙の新年社説に目を通してみた。この10年余くらい毎年、日本のジャーナリズムの(ある意味で社会の)混迷・衰弱を改めて実感させられるようなものばかりで、今年も予想通りそうだったのだが、「へえ〜」と意外だったのは読売の社説。
 中味は「日米同盟関係の強化で中国の脅威に対抗せよ」というような従来の主張の繰り返しなのだが、これまでと違って胸くその悪い居丈高さというか迫力が全く感じられなかった。昨年末の読売ジャイアンツの内紛が象徴する如く、老醜・ナベツネ体制もようやく落日かな?
 それはともかくとして、当然とは言え、世界・日本が大きな転換点に立っているのだという現状認識・危機感だけは、さすがに共通していた。が、問題は歴史認識の欠如、つまり現状が歴史的に捉えられていないことなのだろうと思う。
 読売にせよ、「アメリカが言っているのだから当然」と目が点になってしまうようなTPP(環太平洋経済連携協定)賛成論をぶつ政治家や評論家にせよ、アメリカの時代・覇権の終薫を受けて世界が激動しているのだという認識は皆無と言っていいのではないか(いやむしろ、分かっているからこそ旧来の構造にしがみつくしかないのかもしれないが…)。
 最近読んだ本の中に二つの似たようなフレーズがあった。「社会の実態の変化に比べて、思想の変化は十数年遅れる」「先行して激変する経済に比べて、政治と精神の革命は大幅に遅れる」。「3・11」を受けても煮え切らない日本の現状、それとは違う意味だが、世界中で繰り返し巻き起こる「『指導勢力』なき民衆叛乱」などについて考えると、なるほどそうなのだろうと納得してしまった。だとすれば、「このままではいけない」「変えねば」という思いはあっても、「どこへ」「どうやって」が見えてこないジリジリするような状態が、これからも当面(少なくとも十数年?)は続くのだろう。
 さらにだとすれば、我々の課題は何なのか。肝心なところをはしょって言ってしまえば、正しいか正しくないかに関係なく自分なりの時代認識を持つ(その努力をする)こと、そしてそれに基づいて自己の立ち位置を確定すること。もう一つは、現実の闘い、人々の生活・実感に内在(する努力を)しつつ、とりあえずは十数年(?)後を見据え、未来・展望の確立に向けた共通の聞いを共に担い続けること、だと考えている。
 そんなことを思っていたので、年明けの会議でその旨を提起した。しかし、後になってふと思った。俺にとっての十数年後って、いったい何なのか?
 振り返ると、50代の頃は「あと10年は」と、それでも10年くらいを単位として考え、動いていたように思う。が、60を超した今では、自然に3〜5年が単位になってしまっている。人生のゴールまでにそれをあといくつ重ねられるかという脈絡でしか、十数年後は考えられなくなっている。
 考えてみれば、自然というか至極当たり前のことだし、別にだからと言って焦っているわけでもないのだが、そろそろ時間との追い駆けっこに入っているのだということは、再認識せざるを得なかった。
 で、あれやこれやと行きつ戻りつした挙げ句の2012年初頭の個人的な結論、やっぱり開き直って行けるところまで奔(はし)り続けるしかない!
(津林邦夫:北大阪合同労働組合)


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