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【連載】ネパール・タライ平原の村から(18)
ネパールのカースト制度について(その1)

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井君の定期報告。今回は、その18回目である。

 人口約2600万人の多民族国家ネパールは、憲法で「法の下の平等」が保証されています。しかし、王制時代の憲法では、カーストを温存する「ヒンドゥー教王国」であるとも謳われていました。こうした矛盾を民衆に訴え、低位カーストの人々から支持されたのが、前回に紹介したマオイスト(共産党毛沢東主義派)です。
 昔と比べると、今はカースト制度による規制にも、ずいぶん変化が見られるようになったと言われています。それでも庶民の暮らしの中には、150年以上続いたカースト制度が根強く残っています。今回は、こうしたネパールのカースト制度について述べたいと思います。

 ネパール語では、カーストのことを「ジャート」と言います。いつもネパール人と間違えられる僕は、初対面の人に「あなたのジャートは何?」と聞かれます。当初は“初対面でも身分階層を尋ねるのか?”と戸惑ったものです。ところが、この「ジャート」という言葉、ネパールではカーストだけでなく、「民族」という意味も含まれているそうです。つまり、モンゴロイド系の顔をした僕は、「どこの少数民族か?」と聞かれていたわけです。

 この点では、さらに知人から、「日本の何ジャート出身なのか」と聞かれたことがあります。彼らの暮らしの中では、身分階層と民族区分の意味を持つ「ジャート」は、存在しているのが当然なものとして認識されていることがわかります。
 ネパールには、ヒンドゥー教徒以外にも、土着の宗教やチベット仏教を信仰する人がいます。彼らは、もともとカーストを持たないチベット・ビルマ語系少数民族です。しかし、長い歴史の過程で、インドから移動してきた、ヒンドゥー教を信仰しカーストを持つインド・ヨーロッパ語系の人々によって、彼らはカースト制度の枠に組み込まれてしまったのです。
 こうしたネパールのカースト制度の特徴について、何度も耳にした表現があります。それは、「首から上の頭脳はバフン(ブラーマン)」「身を守る肩・腕はチェトリ(クシャトリア)」「胴体は少数民族」「足はダリッド(不可触民)」という、人間の身体に例えたものです。
 この言葉どおり、人々は「バフン→チェトリ→少数民族→ダリッド」という順に、四つの社会集団に序列づけられています。上位カーストの「バフン」と「チェトリ」は、人口の約三分の一と言われています。政治家や公務員の多くは、この二つのカーストが占めています。

 この間ネパールでは、王制の時代が終わって複数政党制が復活し、マオイストが政権を担うに至ったように、政治権力のありようは大きく流動しました。しかし、低位カーストの人々からすれば、「常に利益を得ているのは高位カースト」というのが実情です。


 日本をはじめ、いわゆる先進国ではお馴染みとなり、世界中で普遍的なものとされている「自由・平等」といった理念と比較すると、カーストは旧い慣習のように映ります。しかし、以下のような例もあります。
 僕が以前に訪問した山岳部のプンマガル族の村では、「鍛冶屋」を職業とする「カミ」と呼ばれる最下層カーストの家が一軒だけありました。この一軒で、村の全ての農機具を作り、修理もします。そのお礼として米や食料が交換される仕組みが、最近まであったとの話を聞きました。
 同じく山岳部のタマン族の集落に訪問した時も、集落の真ん中にやはり「カミ」の家が見られました。どうやら、彼らは農村社会の必要に応じて、ネパール全土に居住しているそうです。つまり、カースト制度が農業を支えるシステムとして機能していた側面もあるということです。
(藤井牧人)


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