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研究会報告―「『よつ葉らしさ』の根源を探る」第2弾 C

はじめに

関西よつ葉連絡会の事業活動の中で生じた出来事について、その意味と今日的な教訓を考える研究会。4回目となる今回は、「『地場と旬』を柱とした農産の確立―鰍謔ツば農産の設立に至る過程をめぐって」と題して、8月22日に実施した。報告者を含め70人近い参加者が集まった。

農産物への考え方、その確立をめぐって

今回は、二つの出来事を題材に行いました。一つは、関西よつ葉連絡会が取り扱っている農産物の集荷・供給の体制がどのように形成されてきたのか、その経緯にまつわる出来事。そしてもう一つは、2000年4月の「よつ葉有機」基準の確立から翌年の「鰍謔ツば農産」設立に至る中でなされた、農産物に対する考え方をめぐる議論です。報告者は、松永了二(安全食品流通センター代表)、一瀬啓次(元高槻農産)、橋本昭(アグロス胡麻郷代表)、田中昭彦(関西よつ葉連絡会事務局長)津田道夫(よつば農産代表)の5名です。松永氏は、高槻市原地区における地場野菜の取り組みに当初から携わり、一瀬氏は安全食品流通センターの地場野菜部門の責任者として、橋本氏は京都府日吉町(現南丹市)の農家グループ責任者として、田中氏はよつば農産設立時の代表として、津田氏はよつば農産の現代表として、いずれも上記の過程に深く関わってきました。

地域ごとに異なる地場との関係

私たちの農産品の取り扱いは、関西よつ葉連絡会の創設直後から、果物、根菜を中心として、全国各地の生産者から直接届けてもらう産直運動として始りました。つきあいのきっかけはさまざまで、各産地の農家の栽培方法やこだわりも千差万別でした。強いて共通点を見出すとすれば、当時は農産物の物流を圧倒的に支配していた農協出荷にあきたらない農家、生産者グループで、つくり手と消費者が直接、顔の見える関係をむすんでいこうという試みにチャレンジしていた人たちだったと言えるようです。もちろん、その中には、有機農業を強く志向していたグループもあれば、あまりそうでもなかったグループもありました。

一方、葉物を中心とした軟弱野菜は、高槻市原地区と豊能郡能勢町の農家から集荷する試みが始っていました。原地区は、かつて日本共産党の活動の一環として設立され、その後休眠状態にあった「原生協」の再建運動の中で、能勢町は、1976年に設立された能勢農場の事業活動の一環として、地元の農家から野菜を集荷し、よつ葉の会員へ引き売りする形で、それぞれ開始されたものです。その後、原生協は再建と並行して高槻市内における消費者グループの組織を進め、北摂・高槻生協と改組する一方、原地区の農家の野菜出荷を積極的に組織し、出荷農家の集りである高槻地場農産組合が設立されていきます。販売先も生協の配送だけではなく、高槻市内を中心に8店舗を出店。その後、店舗部門は且ゥ然館として独立しました。

他方、能勢では能勢町全域に野菜の集荷が拡大していきますが、出荷農家の組織化はなかなか進まず、旬の時期の野菜の過剰と品質のバラツキの大きさが課題となっていました。出荷先としては、徐々に配達エリアを拡大していた関西よつ葉連絡会とその店舗が中心で、前日出荷されてきた野菜を、能勢農場が一方的に振り分けて届けるというやり方が、1994年頃まで続きました。

地場野菜を軸にした体制づくり

こうした歴史的にも形成過程の異る原地区と能勢の野菜を「地場野菜」として、よつ葉の会員に注文を受けて届けるという試みが最初に始まったのは、1994年のことです。しかし、この試みは集荷の変動と注文数の調整をこなす体制がない中、1ヵ月ほどで頓挫を余儀なくされます。この際の反省が、後の物流センター(安全食品流通センター)設立へとつながっていきました。

一方で同時期、京都府日吉町で野菜の生産グループを組織していた「アグロス胡麻郷」との関係が生まれ、また、よつ葉全体の物流センターが亀岡市東別院町に建設されたのを受け、地元の農家グループが「丹波会」という出荷組合をつくります。こうして、原地区、能勢町、日吉町胡麻、亀岡市東別院町という、それぞれ異った経過をくぐって組織されてきた四地域の農家グループは「摂丹百姓つなぎの会」を結成し、よつ葉に対する「地場野菜」の出荷が本格的に始まりました。

ところが、集荷・企画の体制はといえば、農作物のカタログ企画は都市部の事務所で仕事をする鰍ミこばえが担う一方、集荷は東別院の物流センターが担うという分業体制が、それ以前と変わらずに続いていきます。こうした分業体制では、注文による集荷とは違い、収穫された野菜の全量引き取りを原則としていた地場野菜のスムーズな物流を実現することは困難でした。そこで、地場野菜を中心とする農産物の企画、集荷、検品、仕分けを担当する農産物専門の会社の設立が準備され、2001年に「鰍謔ツば農産」が発足しました。

「よつ葉有機」基準の確立

折しもその前年、「農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律(改正JAS法)」に基づいて農水省が法制化した「JAS有機」基準に対して、よつ葉は全国の農産物の生産農家に呼びかけて集会を開き、独自の「よつ葉有機」基準を対置することを決定しました。これは、日本の農業、農産物に対する関西よつ葉連絡会の考え方を整理し、今後の方針を確立していく大きなきっかけとなった出来事でした。よつば農産の設立と合わせて、単に農法としての「有機」で判断するのではなく、「地場と旬」という本来的な農のあり方に基礎を定めることで、より広く地域の農の現状にかかわっていきたいというよつ葉の考え方は、こうして徐々に、実体として形づくられてきました。

研究会では、以上の経緯について、それぞれのかかわりから報告がなされ、参加者を交えた質疑応答が行われました。(研究所事務局)

◆  ◆参加者の感想◆  ◆

大切なのは誰もが続けられる農業

私がよつ葉と出会ったのは2001年3月です。今回の報告で、その一年前くらいに「よつば農産」が設立されたと聞き、とても驚きました。それは、もっと以前から必要だっただろうに、そんなに最近のことだったのかと思ったから、そして、にもかかわらず、短期間でこんなにもシステマチックかつスムーズに回っているからです。

実は、私はよつ葉と出会う以前、1987年頃から野菜を扱う仕事をしていました。「無農薬、無化学肥料の野菜」から「有機農産物」への移行について、農家と話し合ったり、実践されている諸外国の話を聞いて、どう対応できるかを考えていたことがありました。慣行農業との差別化、播種以前からの作付け契約を通じた収入安定化、と同時に、作る人も食べる人も安全な農業を考えること、それが新規就農者や後継者を増やすための一端を担えるようにも考えていました。

かつて、米国における有機農業の発展を支えてきたと言われる「カリフォルニア有機農認定団体(California Certified Organic Farmers; CCOF)」の農家を見学したことがあります。認証を取り、その看板を掲げてフリーマーケットで販売している若い農家。ワイナリーと宿泊施設を経営しているぶどう園の農家。ぽん菓子の製造工場がやっている米農場。当時まだ日本では見かけなかったサラダ用ベビーリーフを大規模に栽培している農家。そこでは多くのメキシカンを雇っており、私の知っている日本の農家に当てはめるのは難しいように感じたりもしました。また、降雨量が少なく湿気が少ないため、そもそも殺菌用の農薬をさほど必要としないという気候風土の違いも。

それまでも、自ら有機認証について勉強し、農家同士で情報交換しながら取り組んでいる日本の生産者を見ていた私にとって、「よつ葉有機」基準は「甘い」「ぬるい」といった思いがぬぐえませんでした。生産者の集まりの中で、「この薬がよー効くで」とか「ここのポイントで効かすんや!」とかいった自慢話(?)を聞いたりすると(すべての農家がそうだった訳ではありません)、今まで考えていた有機基準とは全く違う世界に違和感を覚えざるを得ませんでした。

でも、徐々にこう思うようになりました。「慣行農業そのままでもOKやん!」と。そう、大事なのは特別な人だけができる農業ではなく、「そのままでもOK」からスタートできる有機農業、農家が続けていける農業ではないでしょうか。そのために、よつ葉がどんなふうに地場の農家と取り組んできたのか、私自身は何ができるのか、このあたりが少しずつ分かってきたところです。

今、よつば農産では生産者と話し合い、作付け履歴を記録し始めていると聞いています。大変でしょうが、作る人も食べる人にとっても、安全で美味しい、継続可能な農業のためには必要なことだと思います。少しずつでもゆっくりでも、たくさんの農家の人たちが達成できる目標をもって生産することが大切だと感じています。

これまで詳しく知らなかった地場野菜とよつ葉の関わりを知ることができ、私自身の今後を考える上でも勉強になりました。(安原きみよ:能勢産直センター)

信頼関係に基づく「生産・流通・消費」を

研究会の開催される金曜日は配達で遅くなる日と重なり、途中からしか参加できませんでしたが、感想をいくつか書きたいと思います。

報告の中で一番印象的だったのは、津田さんが「有機JAS法は、第三者が見張っていないと農家は嘘をつく、というのを前提にしてできた法律だ」と言われたことです。

僕は二十数年前、東京のJAC(ジャパン・アグリカルチャー・コミュニティ)というところから無農薬野菜を仕入れ、トラックに積んで引き売りの八百屋を始めました。まだ「無農薬野菜」という言葉が新鮮な響きを持っていた頃です。当時、何人かが集まり酒が入るような席で自己紹介をする場面がありましたが、僕が「無農薬野菜の八百屋をしている」と言うと、必ず「畑を24時間見張っていられる訳ではないので、農家はきっと嘘ついて農薬をまいているに違いない」などと言う人がいたものです。

実際、その数年後には、マスコミで連日のように、農薬を使って栽培した野菜に有機野菜シールを貼り付けて高値で販売するという手口を、正義を振りかざしたように報道していましたし、それを取り締まり、消費者の利益を守るという口実で有機JAS法が制定されました。心ある生産者や消費者グループは制定に反対しましたが、一般の消費者は有機JAS法を歓迎・支持しましたし、よつ葉の職員の中でも「よつ葉有機は会員に説明できない」と嘆く者も出てきました。

「24時間見張っていないと嘘をつく」とか「嘘のシールを貼る」とか「第三者が認証しないと信じられない」などと、人と人の信頼関係もバラバラにされています。BSE(牛海綿状脳症)や残留農薬、産地偽装など食をめぐる問題も後を絶ちません。「私たちはモノよりも人にこだわります。バラバラにされた生産・流通・消費のつながりを取り戻し、そして人と人とのつながりを作り直します」という「よつ葉憲章」の言葉を、これからも言い続け、実践していかねばなりません。

また、300軒近い農家が昔ながらの輪作を生かして少量多品目の野菜を生産し、何でも出荷・全量引き取りという、他では類を見ない取り組みに「以後20年間苦しめられた」という言葉は(思わず笑ってしまったのですが)、相当な苦労をしながら野菜セットを作り続けた一瀬さんの実感でもあり、誇りでもあったのでしょう。そのことが、当初は無理・非効率と思われていた「よつ葉農産」を立ち上げることにつながったのですから。

最後に、橋本さんが「良い農業(有機)と、悪い農業があるのではない。季節外れの野菜や、遠くから運ぶため腐らない野菜など、結果的に薬に頼らざるを得なくなってしまっている農業を見直し、『地場』と『旬』に素直に暮らしていくという基本に戻るのが大切」とおっしゃられた言葉がとても心に残りました。(新見輝人:よつ葉ホームデリバリー奈良南)


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