タイトル
HOME過去号92号

アソシ研リレーエッセイ
「現実」を覆い隠す「非現実」

 私の住んでいる尼崎市の消費生活センターが「放射能と食品の安全性」と題する講演会を開くという。講師は、東大名誉教授・内閣府食品安全委員会委員の唐木英明氏。怪し過ぎる肩書きだ。
 調べると、彼の主張が見えてきた。「放射線100ミリSvによるガン発症リスクは、たばこの受動喫煙によるそれより低い。その程度なら許容しよう」。福島県放射線アドバイザー、福島医大副学長に抜擢された山下俊一のお仲間のようだ。
 同時期、佐賀県・玄海原発4号機の再稼働を受け、地元で反対運動をやっている方に話を聞いた。佐賀でも「放射線の影響は大騒ぎする程ではない」キャンペーンが繰り広げられ、「参加者は減ってきている」と危機感を漏らしていた。
 放射能安全神話が創作され、全国的にまき散らされているようだ。尼崎での講演会も、全国キャンペーンの一環である可能性が高いので、地域の仲間が声をかけ合い、事前学習会をすることになった。そこでわかった最大のポイントは、唐木氏の専門は、放射能でも食品の安全でもなく、リスクマネージメントであることだ。
 唐木氏のキャッチコピーは「正しく恐れよう」。つまり、やたらに「危険!危険!」と言う連中は正しい知識がないからで、「正しい知識を持てば、恐れるはどのことではない」という。原発に素朴な疑問を持つ人々を丸め込む専門家なのだ。
 実際に講演会を聞いて。二つの特徴を感じた。@因果関係が立証できない健康被害については、「ない」としてしまうこと。A被害が生み出される原因には言及しないこと。
 @は、水俣をはじめとする公害事件では、常に用いられてきた手法だ。水俣病は、あれほど顛著な健康被害の現実が確認されながら、因果関係が立証されるまでの10年間「ない」ものと放置された。現実が否定され、「猫踊り病」という非現実がまかり通った。
 唐木氏は講演の中で、チェルノブイリの放射線被害について「多くの住民が放射性セシウムで内部被曝したが、ガンの発症率や死亡率の上昇は認められていない」とまで言い切った。
 低線量被曝とガン発症の因果関係は、そのメカニズムも含めて「わかっていない」ことの方が多いのが現状だ。内部被曝については、さらに「わかっていない」ことが多い。唐木氏は、「わかっていない」という現実を、「ない」という非現実に置き換える東大名誉教授なのだ。
 Aは、唐木氏の隠れた主張と言ってよい。事故による放射線リスクの現実を、まず自然放射能と比較して相対化し、さらに喫煙や飲酒によるリスクと比較して、「大したことはない」という非現実に置き換える。ここでは、放射能汚染が東電によって引き起こされたという明確な「現実」を隠し、自然放射能や個人の嗜好と同列に置くことで、非現実的な自己責任による「防護」を迫る。
 原発事故発生当時の衝撃が薄れ、「見えない放射線」の現実を、見えなくさせるキャンペーンが展開されている。それは、東電の加害責任、人生の基盤を奪われた被災者の現実を「復興」という非現実で蔽い隠し、見えなくさせるのと同じだ。
 「無限のエネルギーによる便利な生活」という非現実に埋没し、加害者の責任が不問にされ、被害者が自己責任で生活再建を迫られているという「現実」を見失ってはならない。
(山田洋一:『人民新聞』編集長)


200×40バナー
©2002-2011 地域・アソシエーション研究所 All rights reserved.