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連載 ネパール・タライ平原の村から(16)
政治状況をめぐって(その1)

 ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井君の定期報告。今回は、その16回目である。

   

 首都カトマンドゥヘ出かけた時のこと。書店で「After War」というタイトルの写真集が目に留まりました。農夫とその息子・娘の3人が、手と手を取り合っている写真が表紙です。解説によると、息子はマオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)を鎮圧する国軍として働き、娘はマオイストとして武装闘争に参加していたとのことです。
 今から5年前、ギャネンドラ国王による独裁政治に対し、マオイスト・諸政党・一般民衆が連携した全国規模の民主化運動が展開されました。その結果、王制は廃止され、マオイストと諸政党の間で和平交渉が成立し、内戦が終結しました。本に出てくる家族も、ようやく再会できたのです。
 今回は、こうした当時の状況・思い出について、地元の村人に聞いてみました。

   

 90年代後半から、ロルパ郡という山岳部農村を中心に、マオイストによる武装闘争が激化します。「マオイスト」と言っても、普通の村人や知り合いの若者だったりもする、と村人は言います。06年、国王は「マオイストによる治安悪化を抑えることができない」「国民の信頼を裏切った」と政府を攻撃する演説を行い、特権を使って非事態宣言を発令しました。そして直接統治を始めます。集会・言論の自由が規制されます。これに対してマオイストが諸政党側に歩みより、全国民を巻き込んだ抗議行動、ゼネラル・ストライキが決行されました。
 学校や公共機関、商店が全て閉鎖され、道路に一切車が走ることがないゼネストが3週間続きました。当初、状況を見守っていた村の人も、「マオイストが警察所を襲撃する」という噂や無意味に低空飛行する軍用ヘリを何度も見る中、長引くゼネストに不安を抱くようになったとのこと。何より国王の強権に不満を抱いたとのことです。
 そんな中、村でも国道沿いの警察所付近で、デモが行われるようになりました。参加者は日ごとに増えていきます。デモの主催者も、女性グループ・諸政党・グルカ退役兵組織などが日替わりで務めました。最初は各家庭から1人、後には家族全員の参加が呼びかけられ、地域の誰もが参加する、本格的なデモが展開されていったのです。
 その時、首都カトマンドゥでは、数十万人規模のデモ・集会が行なわれていました。もっとも、テレビでは、どうにか治安が維持されているような映像が流れていたそうです。そんな中で4月24日、憂鬱そうな表情で「政権を諸政党側へ戻す」と表明する国王の姿が突然テレビに映し出され、人々は王制が倒れたと知ることになったのです。
 反対運動の期間中、首都圏の物価は高騰し、ガソリン不足でインドから石油を輸送するトラックが足止めされたりしていたそうですが、村の自給的な暮らしには、ジャガイモが不足したので、遠くの村まで自転車で買い付けに行ったというようなこと以外、大きな影響はなかったようです。

 

 06年の反王制・民主化運動は、国内外メディアから一般民衆が立ち上がった「革命」と評されました。それから5年以上が経過。それで暮らしは、本当によくなったのか? 次回は、村で普通に暮らしている人々にとっての「After War」「民主化」以降を紹介したいと思います。
(藤井牧人)


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