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研究会報告:共同体・市民社会・アソシエーション
 マルクスの共同体/共同社会論

 これまで、人間が有史以来に形成してきた多様な社会をいくつかのモデルとして概括し、「原始共同体→奴隷制→封建制→資本主義→社会主義」のように、社会発展の歴史として把握する試みが行われてきた。だが、それは「進んだヨーロッパの市民社会と遅れた日本の農村共同体」といったように、モデルに過ぎないものを全世界共通の基準と捉え、各地域の社会がもつ具体的な内容を無視して、一方的に序列化する結果にもつながった。世界が大きく変化しつつある今日、われわれはこうした経験を反省しつつ、改めて過去(共同体)から現在(市民社会)に至る社会モデルの歴史的な展開を踏まえ、未来(アリシエーション)へ向けて、次の社会構想を展望していく段階にある。そんな観点から、当研究所では今年度の短期集中研究講座として「共同体・市民社会・アソシエーション」と題して、三回の研究会を実施した。今回はその第一回。共同体/共同社会論をめぐって、関東学院大学の渡辺憲正さん(社会思想史)にお話を伺った。以下は、その概要である。

はじめに

 私は、大学入学の一年後に大学紛争が起きた、いわゆる団魂の世代です。もともと理科系で、物理学を勉強しようと大学に入りましたが、時代風潮の中で、これまであまりに社会について知らな過ぎたと気づき、そこから学生運動などにも関わりました。学生時代にはレーニンに入れ込んだこともありますが、卒業する頃には疑問を感じるようになり、それからマルクスなどの勉強を始めました。
 マルクス主義は、エンゲルス、レーニン、スターリンという筋を通らなければ、もっと別の可能性があったはずで、その点は本当にやり直しが必要だと思います。私の仕事はマルクス主義批判のように見えますが、マルクス主義から離れるという意味ではなく、もっとまともなマルクス主義でなければならないと考えて研究しています。
 本日のテーマである共同体/共同社会について考えるようになったきっかけは、2002年頃に所有論に関する論文を書く中で、改めてマルクスの所有論に正面から取り組む必要性を感じ、『経済学批判要綱』(1857年〜58年執筆。以下『要綱』と略)を読んだことです。読み進めると、少なくとも戦後50年にわたる日本の共同体論研究のほとんどに根本的な欠陥があると分かってきました。
 戦後日本の社会科学の中で、農村の共同体的な規制を撤廃して市民社会を実現するという脈絡で共同体から市民社会への移行を論じ、共同体を遅れたものと見なす共同体論研究があったことは、ご存知だと思います。ところが、後で述べますように、その基本的な著作である大塚久雄の『共同体の基礎理論』をはじめとして、それらの『要綱』共同体/共同社会論把握はことごとく間違っていたのではないでしょうか。
 他方、共同体論に取り組むことは、単に思想史的な意義があるだけでなく、現在社会の焦点になっている問題を考える上でも重要だと思います。というのも、この間、コミュニタリアニズム(共同体主義)やナショナリズム、あるいは公共圏論や市民社会論など、さまざまな形で共同体主義をめぐる議論が行われているからです。私は、これらの共同体主義に対して批判をもっていますが、共同体主義を批判する際には、マルクスの議論を踏まえる必要があります。そこで今回は、マルクスの共同体/共同社会論について紹介した上で、現代の共同体主義をどう評価するかという順序で進めていきたいと思います。

1.『経済学批判要綱』の共同体/共同社会論

 まずは『要綱』の共同体/共同社会論を見ていきます。ここで私は「共同体」ではなく、「共同体/共同社会」という言葉を使っていますが、これは、一般に「共同体」と呼ばれる組織の中には質的に異なる内容が含まれており、それを区別したいからです。
 実は、マルクスが『要綱』の中で共同体に関連して使っている言葉には、@Gemeinde、AGemeinwesen、BGemeindewesen、CGemeinschaftの四種顛があります。その中でも基本的な区別を必要とするのはGemeinde、Gemeinwesenです。多くの研究者は一応、それぞれを訳語上で区別しています。Gemeindeはだいたい「共同体」と訳されており、定訳と言えます。一方、Gemeinwesenは定訳がなく、「共同集団」とか「共同団体」、あるいは「共同組織」といった訳語があてられています。しかし、この区別は不徹底です。
 まず、たとえば『資本論』の翻訳ではGemeindeとGemeinwesenを区別せず、すべて「共同体」と訳されています。あるいは『ドイツ・イデオロギー』の場合、服部文男訳も渋谷正訳も廣松渉訳も、いずれもGemeindeとGemeinwesenを「共同体」と訳しています。だから、日本語で読む限り、二つを区別することはできません。
 翻訳だけではありません。多くの研究者たちは、せっかくGemeindeとGemeinwesenに別々の訳語を与えているにもかかわらず、内容的には区別せずに、すべて同じものとして議論する傾向があります。質的に区別する必要性が分からないからです。
 たとえば大塚久雄は、Gemeindeを「共同体」と訳し、内容的には農業共同体と理解しています。一方、Gemeinwesenは「共同組織」と訳しています。その上で、こう言っています。「Gemeindeこそ、Gemeinwesenを根底にもち、自己を再生産していく主体たるべき社会関係である」。つまり、Gemeindeは再生産組織、再生産していく主体であり、それに対してGemeinwesenは、再生産していく主体であるGemeindeの根底にある集団的・共同的な組織だということですね。そして、これと関連して、大塚はマルクスから2箇所引用しています。まず『要綱』から「人々は共同体の所有としてのそうした大地に素朴に関係する」という箇所。それから、『資本論』の非常に重要で有名な箇所ですが、アジア的な形態について、「自足的な共同体がたえず同じ形態で再生産され」という箇所。これをそのまま読むと、共同体は再生産に関係あるように理解できます。ところが、ここで大塚が「共同体」と訳した2箇所とも、マルクスの原文ではGemeinwesenなんです。つまり、もともとGemeinwesenである部分を、大塚はGemeindeであるかのように「共同体」と訳し、Gemeindeは再生産に関わるという話をしているわけです。
 結論を言えば、実はGemeinwesenこそ再生産に関わるんです。この区別は非常に重要です。にもかかわらず、それを素通りしていたわけです。あの大塚久雄ですら、出発点になる基礎概念で重大な誤解をしていたのですから、大変なことです。

■GemeindeとGemeinwesenの概念的区別

 では、GemeindeとGemeinwesenは、内容としてどう違うのか。マルクスはどんな場合にGemeindeを使っているかというと、一つはギリシアのポリス共同体、もう一つはゲルマンの民会です。この二つの共通点は、まず男性だけの組織であること、女性はいないということです。まとめると、Gemeindeは男性中心の政治的組織と言えます。それに対して、Gemeinwesenは男女両性からなる経済的再生産組織です。これほど違うんです。
 我々が一般に共同体と言う場合、おおむね男性と女性がいるイメージを思い浮かべるはずです。ところが、ギリシアのポリスもゲルマンの民会も、男が仕切ってすべてを決定し、女性は関与できない。こうした組織が存在したことは歴史的事実です。ところが、それこそが「共同体」だとして、このイメージで共同体論を構成してしまえば、女性も経済も抜け落ちたものにならざるを得ません。
 ここで、マルクスの有名な言葉を二つ挙げましょう。たとえば、「商品交換は共同体と共同体の間で生ずる」というテーゼ。ここで「共同体」と訳されているのはどちらか。もちろんGemeinwesenです。商品を生産する組織は、Gemeinwesenです。それから「言語(言語体系)は共同体の所産である」。この場合の共同体も、やはりGemeinwesenです。たしかに、政治言語などはGemeinde、男性だけで作ることも可能でしょう。しかし、日本語という言語体系は男性だけでは不可能です。
 我々は一般に「共同体」という言葉を使いますが、実はその中に男性だけが仕切っているものとそうでないものがあると理解して初めて、女性を含む全体としての共同体/共同社会論が獲得できるのです。しかし、この区別は今まで蔑ろにされてきました。その結果、女性を含む経済的再生産組織(Gemeinwesen)の意味での共同体をイメージしながら男性のみの政治的組織(Gemeinde)に関わる部分の論議をしていたり、あるいは逆に、女性を含む経済的再生産組織(Gemeinwesen)を論じながら、検討対象は男性のみの政治的組織(Gemeinde)に関する記述だったり。そうした混同が横行していたのが、これまでの共同体を巡る議論です。これは改める必要があると思います。
 実際、この観点からマルクスを読めば、Gemeinwesenの部分には、わずかとはいえ、きちんと女性が出てきます。また、「共同体の解体」という時に、マルクスが想定しているのがGemeindeではなくGemeinwesenであることもよく分かります。まずは、こうした点を念頭に置いていただきたい。その意味で、私はGemeindeを「共同体」、Gemeinwesenを「共同社会」と区別して呼んでいるのです。ついでながら、Gemeinwesenは「共同体制度」、Gemeinschaftは「共同集団」ないし「共同制」と訳します。(以下、その意味で日本語のみ使用)

■『経済学批判要綱』の本源的所有形態論

 以上を踏まえた上で、では『要綱』の本源的所有(※)形態論はどう理解できるか。
 これまでの研究史の中で、本源的所有の第一形態は、おおむね「アジア的形態」と訳され、理解されてきました。そして、このアジア的形態から第二形態「古典古代的形態」へ、さらに第三形態「ゲルマン的形態」へ、というように捉えられてきました。しかし実は、これはまったくの誤読だったんです。というのも、第一形態は人間が定住する以前の共同社会を含んでいるからです。そこでは、「まずもって一種の自然生的な共同社会が最初の前提として現れる」と言われています。
 もちろん、共同体は存在しません。そもそも国家がありませんから。家父長的な関係があったとしても、まだアジア的形態には達していない段階です。アジア的形態は定住農耕が始まってからのことで、第一形態はそれ以前の段階を含んでいる。国家を想定しないような段階で自然発生的に現れる共同社会であり、男性だけが支配する政治的組織としての共同体は存在しないわけです。
 ところが、人間が定住するようになると、第一形態のあり方も変化します。定住が始まるのは、氷河期の終わりが1万年前で、牧畜と農耕の開始が6000〜7000年前ですから、だいたいその辺りです。民族が形成されるのはその後です。定住の始まった状態では、まだ国家は存在していません。民族という非常に凝集性の高い集団が形成されるのは、4000〜5000年前のことだと言われています。その頃に非常な干ばつに襲われ、集団化を密にしないと人間が生き残れないことから、民族という集団が形成されたと言われます。だから、それと共に国家や支配階級が生まれてくるという順序だと思います。
 その段階で初めて、スラブ的形態とか古代ケルトとか、いくつかある形態の一つとしてアジア的形態が問題になります。アジア的形態を簡単にイメージすると、いくつか存在する小規模な共同社会の上に、それらを統括するような形で君主や官僚集団(上位の共同集団)が存在し、共同社会がこの権力の末端組織としての共同体に(男性中心に)編成されるという感じになります。各地域の土地を占有するさまざまな共同社会があり、その上に最高の統一体とされる君主や政治組織が存在して支配している。
 だから、アジア的形態では、共同社会によってなされる所有と、それらを支配する総括的な統一体による高次の所有という形で、所有が二重になっているわけです。ここでは、共同社会が剰余生産物を最高の統一体である君主ないし上位の共同集団に貢納という形で差し出す関係が成立します。マルクスは、第一形態の基本はアジア的形態の中にも貫かれると言っていますが、それは、上位の所有関係を外してみれば、共同社会が相変わらず実質的に土地を占有しているからです。
 次に、第二形態「古典古代的形態」および第三形態「ゲルマン的形態」の話に移ります。これらにおいて共同体は、古典古代(ギリシア/ローマ)的形態の場合にはポリス共同体つまり国家として、ゲルマン的形慈では民会(戦争や祭祀のために催される集会)として、それぞれ理解されています。
 では、共同社会はどこにあるか。これについては、ギリシアならばポリス共同体と区別されるオイコスの領域、つまり奴隷や女性が実際に生産活動を行う領域にあるとみられます。だから、マルクスは第二形態についても、「部族組織から派生する共同社会を最初の前提とする所有形態」であると述べています。共同社会がないと共同体が維持できないからです。当然と言えば当然ですが。
 一方、ゲルマン的形態では、共同体は恒常的な組織ではありません。むしろ、「自由な土地所有者である家長が戦争や祭祀のために折々に催す『集会』として現存するだけである」と言われます。つまり、ギリシアのポリス共同体のように「国家、国家制度としては存在しない」ということです。ゲルマンでの共同社会については、再生産の単位である各家の経済的な関係として捉えられています。各々の家での土地所有を元に再生産を行っていることが基本であって、入会地のような土地の共同所有関係は補完的なものだと言うわけです。
 マルクスはその後、再生産と二次的転化形態について議論しています。中心となるのは共同体/共同社会の再生産です。マルクスは「生産そのものの目的は、生産者を、各人がもつこの(生産の)客体的存在諸条件の中で、これらの条件とともに、再生産することである」と言っています。「生産者そのものの再生産」こそが生産の目的です。これは、明らかに共同社会の再生産を述べたものだと言えます。同時に、共同社会の再生産は共同体の再生産を伴いますから、その限りで共同体の再生産についても議論しています。しかし、これは逆ではありません。共同体が再生産を担うわけではない。これは、よく覚えておいてほしいと思います。

(※)マルクスによれば、人間は自然の中で生まれた自然的存在であり、生活基盤である大地も自然から与えられている。人間は、所与の生活諸条件である大地に対し、自分の身体の延長として働きかけ、自己に国有の(eigen)ものとして関係する。これが本源的な所有(Eigentum)であり、ここでは労働と所有とが同一である。

■二次的転化形態と共同体/共同社会の解体

 問題なのは、奴隷制や農奴制等の二次的転化形態です。これまでは、例えば古典古代的形態やゲルマン的形態に奴隷制や農奴制を重ねて考える捉え方が根強くありましたが、そうではありません。本源的所有の形態は基本的には階級関係を含んでいません。むしろ、マルクスはその二次的な転化形態として農奴制や奴隷制というものを想定しているのです。例えば、古典古代で言うと、ギリシアあるいはローマで、戦争を通じて他の民族を征服した時にその民族を奴隷として組み込む、そういう格好で奴隷制が進むということですね。
 そうした二次的転化形態が奴隷制や農奴制という格好で論じられているということ、そして、それが近代に至って解体した理由については、本源的所有の諸形態の中でさまざまな形で私的所有が発生し、それに伴って共同社会が掘り崩されていく過程がもう少し詳しく議論されるべきですが、残念ながらそれを論じる余裕はありません。
 ともあれ、マルクスは本源的所有形態について論じた最後に、本源的所有および共同社会の解体について、四つの側面から述べています。すなわち@土地に対する所有関係の解体。そしてA用具に対する所有の解体。これは中世のギルドのように用具を自家所有することによって自立しているという所有関係の解体です。さらに、土地と用具の所有関係を解体された結果として、B生活に必要な消費手段の所有あるいは占有の解体。
 ちなみに、もし@とAの解体を前提として、なおBに至らないとすれば、それは奴隷の所有であるとマルクスは言っています。奴隷は所有関係を持たず消費手段だけがあてがわれるからです。だから、マルクスが近代の賃金労働者を「賃金奴隷」と呼んだのは、単なる例えではなく、土地と用具という生産手段の無所有の中で、辛うじて消費手段を占有できるような関係は、まさしく一種の奴隷制に他ならない、という意味になるでしょう。
 そして最後に、C労働者自身が客観的生産諸条件に属しているような諸関係の解体。これは、たとえばローマの時代のクリエンテーラ(保護隷属、親分子分)関係のように、生産手段と関わりなく養われるという関係、それから庭師のようにある種のサービスを提供して収入を得るような関係です。
 以上のような共同社会の解体という歴史的な過程を通じて、二重の意味での自由な労働者が生まれることになります。つまり、クリエンテーラ関係のような人格的な保護隷属の関係からの自由と同時に、客観的なあらゆる所有からの自由という二重の意味での自由を獲得した労働者の出現です。そして、この労働者は対象性、つまり自分自身の労働を実現する客観的な存在条件を持っていないという意味で「無所有」であると言われます。
 実は、この無所有について、マルクスは1857年くらいから63年まで「絶対的貧困」と表現しています。土地と用具という労働を実現する条件を失い、本源的な所有を失って私的所有にたたき込まれ、無所有となること、それこそが貧困の中の貧困、絶対的貧困である。マルクスはこのことを示すために、私的所有が成立する以前の本源的所有形態に立ち帰ったわけですが、これまで見たように、これまで我々はその内容を十分に理解できていなかったと思います。以上が『要綱』の共同体/共同社会論に関する大まかな説明です。

2.「ザスーリチへの回答草稿」の農業共同体論

 次に「ザスーリチヘの回答草稿」の農業共同体論を考察します。時代は『要綱』から20年ほど下ります。マルクスは1881年、ザスーリチというロシアの革命家から質問の手紙を受け取ります。そして、ロシアにおける農村共同体を革命の立場からどう評価するかを考え、回答の手紙を送っています。マルクスはこの手紙を書くために、草稿を四つ残していますが、それらは「回答草稿」と総称されます。
 実は、マルクスは回答草稿を執筆する過程で、新たにさまざまな理論的検討を行った結果、ここで初めて農業共同体論を提起するんですね。ところが、これまでの日本の共同体論では、この点が看過されてきました。そして、大塚久雄も含めてほとんどがマルクスの本源的所有形態論を農業共同体論の三形態のような形で、混同して理解してきたのです。その意味で、今までの農業共同体論の理解は、全く違うと言わざるを得ません。
 さて、実はマルクスは一連の回答草稿の中でも、先に見た共同体と共同社会の区別を堅持しています。回答草稿はフランス語で書かれているので、communeとcommunauteという区別になります。『要綱』での区別と重ねて考えればcommuneはGemeindeつまり「共同体」、communauteはGemeinwesenつまり「共同社全」に相当すると言えるでしょう。と同時に、議論の骨格は、やはりcommunaute(共同社会)を基盤にして組み立てられています。
 回答草稿の大まかな骨格は、@社会の第一次的構成あるいは原始的共同社会に関する部分、A農業共同体論の部分、B新しい共同体つまりロシアの農村共同体(ミール共同体)に関する部分、の三つに分けられます。

■原始的な共同社会

 マルクスは農業共同体論の前に、さまざまな原始的な共同社会について触れ、次のように指摘しています。すなわち、さまざまな原始的な共同社会を「全て同列において考えようとしたら誤りを犯すことになろう。地質学上の地層と同じように、これらの歴史的な構成にも、一次的、二次的、三次的等の型の全系列が存在する」と。  こうした共同社会は、たとえば家屋の所有や土地の所有、耕作の形態などによっていくつかの型に区別され、区別のされ方も時代によって異なると言われます。こうした区別の延長線に、原始的な共同社会はさまざまな発展段階を経て、歴史的に最近の共同社会に至るわけですが、マルクスはそうした最近の共同社会としてロシアの農業共同体を位置づけました。  「さまざまな原始的共同社会が、すべて同じ型で仕立てられているわけではないと。反対に、これら共同社会の総体は、型も時代も異なり、縦起的な発展諸段階を指し示す社会諸集団の一系列をなしている。これらの型の一つが農業共同体と呼ぶことに取り決められてきたのだが、ロシアの共同体の型もそれである」。  では、農業共同体以前の原始的な共同社会は、どんな特性を持っているか。次の四点が挙げられます。第1に、各構成員が自然的な血縁関係を基礎としている。第2に、家屋が共同所有あるいは集団居住である。ただし、そこから始まって、家屋や敷地は農業共同体以前の段階ですでに個人的占有、つまり共同所有だけれども各家族は別々の家屋に居住する形態にまで進むとも想定しています。第3に、土地は基本的に共同所有である。これは本源的所有形態の第一形態として理解できます。第4に、耕作は共同制である。

■農業共同体論

 農業共同体はこうした原始的な共同社会の最近の型、原生的形態の最終投階という形で位置づけられています。  「《農業共同体》はどこでも社会の原生的構成における最近の型として現れるのであり、古代および近代の西ヨーロッパの歴史的運動においては、農業共同体の時期は、共同所有から私的所有の過渡期として、第一次的構成から第二次的構成への過渡期として、現れる」。  このように、農業共同体は第一次的構成から第二次的構成への過渡期と位置づけですから、それを無視して本源的所有形態論の三形態を農業共同体の三類型のように理解するのは、明らかな誤読だと言えます。  では、この農業共同体は、いつ現れるのか。マルクスは、西洋でロシアの農村共同体に対応するのは「ゲルマン人の共同体で、極めて最近のもの」だと言っています。帝政期ローマの政治家・歴史家タキトゥスの時代(紀元1世紀頃)に存在していたゲルマンの共同体ですね。別の言い方では、カエサルの時代(紀元前1世紀)には「まだ存在していなかった」が、紀元4世紀以降のゲルマン民族大移動のときには「もはや存在していなかった」とも言われます。  マルクスによれば、カエサルの時代には、すでに耕地がさまざまな集団、氏族、部族の間で分与されていたけれども、同じ共同体に属する部族の間で、共同で耕作をしているような状態だったとのことです。だから、それは農業共同体というよりも本源的所有形態として捉えられると思います。本来の意味での農業共同体が現れるのは、その後です。  関連して、カエサルの時代からタキトゥスが描いたような農業共同体への過渡期として、家屋が集団居住の場所ではなく、各々の個人所有になる一方で、おそらく土地の占有者を定期的に変更する「割替え」のようなことをする農業共同体も想定されています。いずれにせよ、マルクスはゲルマン的形態と言っても全て同一とは見ておらず、カエサル時代、タキトゥス時代、その次の時代と、さまざまに区別しています。  農業共同体の特性とは何か。これも、次の四点が挙げられます。第1に、血縁関係から外れて、自由な人間たちが形成する社会集団である。第2に、家屋や敷地に関しては私的所有になっている。第3に、土地は依然として共同体所有だが、耕地が定期的に分割され、割替えがなされる。第4に、各家族が分割地を個別耕作し、その成果を収穫し享受する形で、家族ごとに富の蓄積を可能にする状況が生まれている。こうした特性を持つものを本源的所有形態と混同してしまうと、マルクスの議論がわからなくなります。  そして、農業共同体は、最後に第二次的な構成に至る、つまり、新しい共同体に転化します。この段階では、すでにさまざまな形で私的所有が現れています。私的所有に基づく社会ですから、階級関係も問題にされなければなりません。もちろん、第二次的構成もまた二次的転化形態として奴隷制という形をとります。

■マルクスの歴史構想

 こうしてみると、改めて農業共同体の位置を明確にして議論する重要性が明らかになるのではないでしょうか。  これまで、マルクスの歴史観について、いわゆる「四発展段階説」として捉える理解が通用してきました。しかし、以上で見たように、それほど単純なものではありません。確かに、『経済学批判序言』では、「大づかみにいえば、アジア的、古代的、封建的、近代ブルジョアジー的生産様式が、経済的社会構成の累進的な諸時期として表示されうる」と述べられており、この四発展段階説が歴史の基本的な枠組みと考えられてきました。しかし、それはマルクスの本意ではありません。これまでの議論を活かして歴史認識を作ろうと思えば、従来とはまったく違った構想ができ上がると思います。  もし、古代的、封建的、近代ブルジョア的生産様式というのを階級的構成に基づくものと考えるなら、つまり生産様式と言う場合、明らかに階級的な構成を念頭に置き、従ってその区別で経済的社会構成が理解されているとすれば、マルクスの文脈から見て、議論の対象は第二次的構成の諸形態になるはずです。実際、封建的、近代ブルジョア的という表現には、それが感じられ、その意味で、アジア的生産様式もまた、第二次的構成の転化の系列に位置付けられる可能性があります。  つまり、「経済的社会構成の累進的な諸時期」と言われるものは、限定された歴史的段階を指す表現であって、歴史の発展段階をすべて包括するものではないことが分かります。従って、アジア的生産様式を原始共産制と捉えるような理解が誤りであるのも明らかだと言えます。  先に触れたように、マルクスは回答草稿で社会を第一次的構成と第二次的構成に大きく区分して、農業共同体を両者の過渡的な段階として設定しています。  前者は本源的所有形態に基づく社会を包括しており、何らかの土地の共同所有ないし共同体所有が存在しているとする一方、耕作に関しては「共同耕作」から「個人(家族)の耕作と私的領有」まで、家屋と屋敷地に関しては「共同家屋と集団所有」から「家屋の共同所有と個人的占有」および「家屋・屋敷地の私的所有」まで、さまざまな形態を含めています。  また、農業共同体は共同体関係を基礎としながらも、個人による耕作および私的領有、そして家屋や敷地の私的所有が成立した段階と見られるとしています。  他方、後者の第二次的構成は私的所有に基づく社会であり、階級社会であると見なしています。  私は、こうした議論の結果として、次のような歴史認識をマルクスの歴史構想として描けるのではないかと考えます。(下の構成表参照)  一例を示せば、[1]は本源的所有形態に対応する原始的社会構成であり、第1形態、第2形態、第3形態とあって、第1形態は家屋と屋敷地の共同所有から私的所有に至るまでの形態を含んでいる。これがアジア的形態に至る。  この3形態の後に農業共同体が存在し、さらには[2]二次的転化形態として、アジア的生産様式は貢納制に基づくレベルとして奴隷制、農奴制と対応する。これまでのマルクス理解では、この二次的転化形態を歴史の第三段階、第四段階と捉えていたわけです。  そこから[3]交換価値的世界に至ります。ここには、交換価値に基づくブルジョア的な生産関係だけではなく、前ブルジョア的な商業や商品生産の関係も含まれます。我々の生きる世界です。  こうした経過をたどって、マルクスの構想の中では最後に[4]私的所有の廃棄つまり無所有の廃棄、それを通じた自由な個体性の実現と言われるような段階がくる。  大まかにこうした歴史認識を持てるのではないか。そんなものは現代では通用しないと言われるかもしれませんが、とはいえ、大枠でこれに取って代わる議論があるわけでもないと思います。  むしろ、ここで注目したいのは、歴史認識の問題というよりも将来社会に関わる問題です。先に見たように、本源的所有形態が展開していく中で、家屋や敷地は共同所有から私的所有へと進展するけれども、それは生産手段の私的所有という問題とは違った脈絡で現れている。これは大いに注目に値すると思います。というのも、たとえば将来、仮に社会主義が生産手投の共同所有を実現したとして、その時に家屋や屋敷地の私的所有は残っても構わないことになるからです。  これまで、社会主義で「私的所有の廃棄」というと、どうしても私有財産や個人の生活空間が奪われるようなイメージになりがちでした。非常に狭く理解されてしまったわけです。しかし、マルクスの本意からすれば、そうではない。問題は「私的所有および無所有の廃棄」であり、家屋や屋敷地、私的空間の私的所有については非常に幅がある。この点を軸にすれば、将来社会に関して、もっと自由かつ緩やかな構想ができると思います。

マルクスの歴史構想に関する構成表

3.現代の共同体主義について

 最後に、現代の共同体主義に関する議論について簡単に触れたいと思います。今日コミュニタリアニズム、保守主義、ナショナリズム。それから市民社会論、公共圏論というようなさまざまなかたちで共同体主義が復活をしています。たとえば、コミュニタリアニズムの主要な論者の一人であるマッキンタイアは「私という存在は、さまざまな共同体的関係の中に与えられて存在している」とか「その共同体の物語の中に埋め込まれている」といった言い方をしています。そこからリベラリズムの代表的な論者であるノージックやロールズなどの議論を批判して、彼らは「社会は個人で成っている」、つまり個人が第一で社会が第二だというけれども、そうではなくて、むしろ共同体という文脈の中で、われわれの観念や性格、アイデンティティといったものが形成されるのだ、という議論をしています。  こうしたリベラリズム批判には、一定の妥当性があります。つまり、個人といっても間違いなく特定の社会の中に生れ落ちるわけです。最初から確固とした個人が存在して、それらが自由に社会をつくるのではなく、ある種の関係、いわば個人ではどうしようもない生産様式の中に生れ落ちる、それを無視することはできません。  とはいえ、コミュニタリアニズムの言うように、個人は共同体一般の中で自己を狸得するかといえば、それも違うと思います。現代に生きる我々は、共同体の中で生きていると同時に資本主義の中で生きています。当然、資本主義的な諸関係も、我々の個性を規定する大きな要素になるわけです。だから、共同体的な中にいるということを単純に強調して、だから共同体的存在であり得るなどと言うのは、おかしなことになります。  コミュニタリアニズムは、個人が共同体の中に現に存在しているかのように論じていますが、そもそも共同体の再建が問題にされるのは、現代が共同体解体以後の時代だからでしょう。とすれば、論ずべき課題は二つあると思います。私も人間が共同体的存在であることは否定しません。しかし、本質的に共同体的存在だから現に共同体的なんだ、ではなく、むしろ、本質的にそうであるにもかかわらず共同体が解体されたのはなぜか、歴史的に説明する必要がある。これが一つ。  もう一つは、共同体が解体した後の私的所有を軸とした社会の中で生きている我々が、いかにして新たな共同体あるいは共同社会を形成できるのか、その根拠を提示する必要があると思います。それなしに共同体主義は不可能です。ところが、コミュニタリアニズムはこのいずれについても説明していません。  次に現代保守主義について。ここでは、加藤典洋、佐伯啓思、小林よしのりなどの議論を取り上げます。彼らも共同体の立ち上げに腐心しています。ところが、彼らもまた根拠づけができず、最後には人間の本質の中に共同性を求めざるを得なくなります。  加藤典洋はマルクスを誤読して、公共性は私利私欲の上に築かれると主張し、私利私欲を越え出て公共性=共同性が可能であるかのような議論をしました。マルクスは、それは不可能である、あるいは、そんな公共性は私利私欲と対立するものではなく、それに適合した公共性に過ぎない、と言っているのですが、加藤はそれを誤読した。  これに対して佐伯啓思は、加藤のこの間違いをきちんと批判しています。私利私欲の総和から公共性を導くことはできない、と。これはまったく正しい。では、そういう佐伯啓思は公共性を導けるかと言えば、残念ながら導けません。結局、公共性があるという前提の上で、私利私欲から抜け出して、そこに飛躍すべきだというだけです。  実際、佐伯が依拠するのは、古典古代の政治的共同体に実現された共同精神です。当時は明白に共同体が存在しているわけですから、共同体精神があるのは当然です。しかし、その共同体が解体し、不在になっているのが現在です。にもかかわらず、当時の共同体精神をどうやって復活できるのか。根拠がありません。  小林よしのりも同様です。つまり、いずれの論者も結局、「公」があると前提して、その「公」の意識を覚醒するという話になっています。人間はもともと共同的な存在だ、公的存在だ、と。たとえば、小林は「いま、ここにいるわしは祖父たちからつながる歴史のタテ軸と社会の種々の共同体に属するヨコ軸の交差する一点という制約を受けて「個」を形成する」。そして、タテ軸とヨコ軸の交差点、「そこにしか生きられないという認識から「公」につながる糸口が見えてくる」というわけです。コミュニタリアニズムに似た物言いですね。しかし、だからといって「公」が出てくるのでしょうか。タテ軸とヨコ軸の交差点に生きる私は同時に私利私欲にまみれた私でもあります。それがなぜ「公」を立ち上げられるのか。  したがって結局は「公」と「私」の共存が議論されるだけです。一方では、人間を全面的に国家的な存在として、つまり「公民」として定義することはできない。しかし他方で、その次元を一切排除した「経済人」や「市民」として定義することもできない。そこで、個人とは、その内にある「公民性」や「市民性」、「経済人性」などを適切にバランスさせる存在だという格好で、すべての要素を共存させることになります。これは、「私」と対立しない形でしか「公」を立ち上げられない、共同体解体後の時代における議論の限界です。  共同体/共同社会が解体した後、共同体あるいは「公」の存在が要請されます。しかし、それは現存していないことを前提としています。現存していないから要請する。にもかかわらず、議論の過程で、それは本質的に存在するものと想定され、その発揚が説かれる。すでに存在しているのなら、要請すべき理由はなくなります。これは根本的な矛盾です。  つまり、たしかに人間は共同体的存在だとしても、だからといって共同性を実現しなければならないわけではない。現在では共同体が存在しないことを前提として、共同性を実現すべきだ、と言われますが、本質的には人間は共同的だというなら、にもかかわらず、なぜ共同性を喪失しているのかを説明すべきです。しかし、その説明はありません。  では、共同性は不可能なのでしょうか。それは違います。むしろ「今日いかにして新しい共同=協同は現実的に可能か」という形で問いを立てるべきなのです。これは、人間の本質論よって基礎づけることはできません。注目すべきは再生産であると思います。現在のシステムが我々の再生産を不可能にしつつあるとすれば、この再生産という物質的、存在的次元において、生存=生活の不可能という共通経験を通して存在の共同性が生まれると思います。  資本主義システムは、存在の共同性を大規模に破壊する。「3・11」の経験は、まさに資本と国家機関が結びついて、われわれの再生産組織の基盤をなす人々とその他の生物、土・水・空気を破壊したことを示しています。とすれば、この土や水や空気という生活資源の共同性を根拠にして、我々は新しく共同性を立てることができる、あるいは立てざるを得ないのではないか。それが私の理解です。  皆さんがさまざまな活動の中で考えているのも、恐らくそうした再生産に関わる問題なのではないでしょうか。再生産が困難というか不可能に近づきつつある今日の状況下で、なおかつ、そうした現実の経験の中に共同の根拠を見出すこと。私はそれしかあり得ないと痛切に感じています。


■現実変革の根拠へ

 マルクスが果たした思想史的な転換は、実はこの点にあります。それは同時に、私のレーニンに対する批判とも関わります。レーニンは「カール・マルクス」の中で、マルクスは民主主義から共産主義、観念論から唯物論へ移行したと主張し、この解釈が1970年代ぐらいまで通用してきました。  マルクスが民主主義の立場に立ったのは1843年の「へ−ゲル国法論批判」で、その後に共産主義の立場に立ったことは間違いありません。その意味で、民主主義から共産主義への変化があったことは確かです。へ−ゲル的な観念論から唯物論に変化したことも、大まかには否定できません。  しかし、根本的な問題は、マルクスの変化を「移行」と表現したことです。たとえば「AからBに移行した」というとき、Aの段階でBという場所が前提されています。言い換えれば、既知の対象がなければ移行できません。ところが、マルクスにとって共産主義は既知の対象だったかといえば、そうではないのです。  マルクスは1843年に民主主義の構想を立てましたが、それはすぐに破綻します。破綻する理由は、その理論が、現実の外に何らかの理性的原理を立てて、そこから現実の世の中を変えるという立て方であったからです。そうした理論では、私的所有を軸とする市民社会のあり方を超えられないと分かったんですね。  たとえば、政治も法も道徳も宗教も実に立派なことを言います。ところが、結局のところ、私的所有によって私利私欲にまみれたこの社会、貧困と隷属が横行する市民社会のあり方を根本的に批判することはできない。むしろ、現実の矛盾を隠蔽し、合理化する機能さえ果たしている。そうしたことに気づく中で、マルクスはそれまでのあらゆる理論を破綻させると同時に自分の理論をも破綻させたと言えます。  行き着く先もないし、頼るべき理論もない。そんな状況の中で、マルクスが唯一出発点にできたとすれば、この社会の中に、この社会では生きていけない人たちが膨大にいる、という事実(共通の経験)だけだったのではないか。この社会には、この社会によって利益を得ている人も当然いますが、半面それでは生きていけない人たちも膨大にいる。それを発見したとき、この社会は二重化され、現実の分裂が見えてくる。現実にはさまざまに錯綜した事情があるにしても、ここに存在する共通の経験を根拠にしなければ社会は変わらない。あるいはこの根拠に基づいてこそ変えられる。だから、貧困は貧困に終わらず、貧困を覆す根拠になるわけです。  私的所有の原理をまったく享受できない、いまの社会では生きられない、無所有という絶対的貧困にある労働者階級が存在することは、私的所有の原理を超えている。マルクスはそのことを発見したのだと思います。これが変革の根拠となりうる。残念ながら、マルクス主義の歴史はそのことを長い間分からずにきたのではないでしょうか。  私はマルクスに殉じる気など毛頭ありませんが、昨今の状況を見ると、彼が直面した社会のありようは根本的なところで変わっていないと感じます。その意味で、マルクスを超えようとすればするはど、現代社会の根本問題にどう取り組むかが、ますます問われることになるのだと思います。(終、文責:本誌編集部)


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