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インタビュー報告─東日本大震災と福島原発事故
この状況を全体で分かち合うために

東日本大震災と福島原発事故から半年。現地では生活再建、地域復興に向けて懸命の努力が続けられている。こうした努力に対して、私たちはどのような協力・連帯ができるのか。とりわけ、とくに伝手のない関西在住者にとって。この点を考えるため、茨城県守谷市を本拠とする常総生活協同組合を訪問し、理事長の村井和美さん、副理事長の大石光伸さん、常勤理事の柿崎洋さんにお話を聞いた。同生協は福島など東北の生産者との付き合いが深く、また、・地元茨城は福島の隣県ということもあり、放射能汚染と食べものの問題をめぐって深刻な状況が続いたという。以下、お話の概要を紹介する。

あっという間の3ヶ月

【研究所】まずはじめに、常総生協として、この間どのような取り組みをされてきたのか、簡単に紹介していただけませんか。
 【大石】大阪で震災と原発事故をめぐる座談会(本誌第86号参照)に参加したのが、4月の末頃でしたね。僕はちょうど、宮城県の石巻市に緊急支援物資を届けて帰ってきたところでした。緊急支援活動としては、ほとんど同じことの繰り返しでしたね。
 石巻については、関西よつ葉連絡会の皆さんも支援に入って、実際の様子もよくおわかりでしょう。ようやくT商店さんの気持ちも少し落ち着いたようなんで、今後出てくる新たな方針に沿って、協力できるところはするという形になりますね。外からあれこれ言っても仕方ありません。ただ、石巻はなんと言っても日本で3番目ぐらいの漁港ですから、行政や漁協、加工業界も含めて、全体をどう組み立て直すのか、まだまとまりがつかないみたいです。
 その後、5月は……。たしか、僕は総代会に向けた議案書づくりで手一杯だったですね。むしろ、理事長が「母乳調査・母子支援ネットワーク(母乳ネット)」(※資料1)の活動で忙しくなってきたところでしょう。
 【村井】最初は、ちょうど大石さんが石巻へ行った頃ですね。4月20日に福島県庁の記者クラブで、21日には厚生労働省の記者クラブで記者会見をやりました。その後、大石さんは東海村(茨城県)に行って、一括して十何人かとお話をして交流を深めたりしましたね。
 【大石】6月11日の総代会には、被災した生産者も全員参加していただきました。震災の復興に関する議案で発言をもらったり、脱原発に関する特別決議も行いましたね。総代会が終わった後は、被災した生産者がそれぞれブースをつくって組合員と交流をしたり。最後は鎌仲ひとみ監督の映画『ミツバチの羽音と地球の回転』の上映会。夜の7時まで1日ビッシリでしたね。
 並行して、6月6日にシンチレーションサーペイメータを入手したので、私は7日からいろいろなところに計測に行きました。当初は放射能調査隊でも作ろうかと思いましたが、職員としては、機械はあっても何をしたらいいのか分からない状態がしばらく続いて、その後、とにかく畑の放射線量を調べて除染しようということにまとまって行きましたね。
 それと、この前後、たしか5月末に組合員さんとの議論が深まっていくんですよね。それまでは、生協としては突っ張ってたんですよね。これまで原発を許してきたのは我々じゃないか、だったら汚染されたものも責任を持って食べて、生産者を支えるべきだ、と。
 ところが、総代会に向けた地区別の事前討論の中で、組合員の若いお母さんたちが「わっ」と泣かれるわけですよ。たしかに生産者を支えなくてはいけないし、支えたい気持ちはあるけれども、子供には食べさせられない、と。
 【村井】「食べるべきだ!」って、乱暴ですよね。そのへんの温度差を埋めるために、総代会のときには「母子野菜セット」という形で、選択肢を準備しておこうということになったんですよね。

左から大石、柿崎、村井の各氏

 【大石】それが関西よつ葉さんからいただいた野菜セットで、7月8日からトラック上で引き売りを始めました。総代会の週には、もうサンプルをいただいていたんじゃないかと思います。5月末の理事会で、大人は生産者を支えるために食べるべきだけれども、母子は組織をあげて守ろうというように変わってきましたね。それで、組合員さんとしてはある程度落ち着いたんですよ。それまでは、「生協からも見捨てられた」と思っていたそうです。

放射能の中での日常

【研究所】日常生活の中で放射線量を意識するようなことは、関西ではほとんどありませんが、やはりこちらでは切迫した問題なんでしょうね。
 【大石】実際に空間線量を測りはじめて、近くの田んぼや畑とか、組合員さんの自宅前をピックアップして、守谷から千葉の方までホット・スポットを調べていきました。行政は何もしませんから、住民が動き出して行政に請願を出したり、計測機槻があるのは生協ぐらいなので、結局、組合員さんが率先して市民の調査隊を始めたり。
 ところが、そうなると今度は土壌や作物についてもきちんと測定すべきではないか、という話になりまして。6月の頭ぐらいですかね、組合員さんから食品の放射能を測定できるようにしてほしいという意見が出て、いろいろ議論はあったんですが、一式およそ500万円かけて、最終的に7月13日に食品放射能測定システムを設置したわけです。
 それから今までちょうど2週間、一気に調べた結果として、茨城県の野菜については不検出でした。これは、機械の性能上、一定の数値以下だと検出されないということなんですが、改めて「大地」というもののすばらしさを思い知らされましたよね。降り注いだ放射性物質も、土壌に吸着されて空間線量の1割以下しか出てこないわけです。だから、組合員さんには「不検出」という事実だけでなく、その意味も伝えたいですね。
 要するに、この辺りのような中低レベルの汚染地帯なら、表土を取り除くよりも、よく鋤き込んで粘土層に固着させた方が汚染を拡散させないし、野菜にも影響しない。そういうことを生産者と消費者がしっかり確認し合えるなら、安心して食べて、生産者を支えていけるんじゃないかということで、それを検証するための2週間だったですね。
 【村井】まさしく不眠不休でやっていましたが、でも、まだ十分ではないですよね。組合員さんにとっては、表の見方そのものがよく分からないということもある。数値としては出ていても、その意味を説明しないと単なる数字の羅列でしかない。だから、土壌によって汚染が吸着されるとか、作物への影響はかなり減っているとか、はっきり言葉で示さないと、なかなか気持ちの切替えはできないでしょう。
 もちろん、不検出の中身を問う人も出てきますよね。0なのか、検出できないけども微量にはあるのか、と。これまでそれほど気にしていたわけではないけれども、こういう状況なので気にならざるを得ないわけですね。だから、お母さん方にすれば、逆に、今のように「土壌がこんな役割をしているから作物はこうなんですよ」って言われれば、「ああ、そうなのか」って、たとえ汚染されていると分かっていても納得はするんですよ。
 【大石】土壌による吸着の問題については検証が必要なので、いまのところは慎重にしています。ただ、稲ワラの話でも腐葉土の話でも、極端に神経をすり減らしているような感じがありますよね。仮にセシウムを飲み込んで化学物質で除去しようとしても、ようやく3分の1にしかならない。それが、大地を通すと10分の1に減るという、自然のすばらしい働きがあるわけですから。むしろ高濃度汚染がなければ耕作して、「こうだから大丈夫だ」と情報や考え方を伝えないといけない。ところが、有機農業者も含めて言う人が少ない。消費者ばかり気にして「危ない」とか「ダメだ」とか。
 【村井】ただ残念ながら、生協がこういう検査をしていても、市民レベルでは心に入っていかないというか、「やっぱり出てるでしょう」みたいなところで終わってしまう部分もありますよね。たとえば、先ほどの市民の調査隊にしても、空間線量を測って歩いていた人が、「あなたたち、そういうことをやる資格があるのか?」って言われたそうですよ。「資格者ですか?」って。「資格」なんて。だって、市民は当事者ですからね。だから、「これは資格は関係ないんです」と答えたらしいですけど。「勝手になに騒いでるの」って、そういう感覚の人もかなりいるんですよ。
 【研究所】それでも、生協をやめる方はほぼいないんですよね。
 【村井】「生協の考え方にはついていけないからやめる」というのは、ほとんどないですね。ただ、野菜は1割くらい減っています。実際、「野菜はインターネットで別のところから取っています」とかいう話は聞きます。
 【大石】よく我慢されたと思いますよ。この間、地区の懇談会で自己紹介をしましたが、突然泣き出される組合員さんもいるんです。「これから何をどう食べたらいいのか分からない」ってね。
 【村井】やっぱり、子どもに食べさせたら将来死んでしまう原因を自分がつくってしまうかもしれない、そんな自責の念にかられるお母さんがすごく多かったり。反対に、普通どおり平気で外で遊ばせている、という人もいますけど。
 【研究所】今後は生協として、組合員さんにどう対応されていくんですか。
 【大石】自信を持っていただければ、と思います。とくに若い人たちは心配もあるでしょうが、何を食べていくかという点では生協を信じて、事実を共有しながら、気持ち落ち着かせて頑張ろうというところになってほしいですね。
 【村井】組合員さんも、いまこそ頑張りどころだ、と思っているんじゃないですか。

食品放射能測定システム

 【大石】われわれがあたふたしていられませんから。生産者からの文句は聞こえてきませんが、実際には生産者が一番打撃を受けているはずです。何とか支えていける態勢を作らないと。とくに福島、宮城、岩手の場合は、どんな状況なのか、未だに全体像が見えないですから。逆に言えば、表向きはともかく、実際には放置され、見捨てられているわけですからね。だから、むしろそこから逆転して、自分たちが切り開いていく以外にないという、「自立」にむけた団結の契機にできるかどうか、そういう形で支えていけるかどうか。
 【村井】水俣でも他の公害でも、そうでしたよね。

長期的な関係を見据えて

【研究所】常総生協としては今後、東北の被災地との関係で、どのような支援を構想していらっしゃいますか。
 【大石】いわゆる緊急支援については一段落した形なので、今後はどこか拠点を見つけて、息の長い縦続的な復興支援ができるような可能性を探っていきたいと考えています。
 一つ念頭にあるのは、福島県相馬市の原釜漁港というところです。今は漁港の設備が全部流されて、跡形もなくなっていますが、そこで魚の加工をしていた「センシン食品」の社長の高橋さんという方がいます。もちろん、高橋さんも津波ですべて失ってしまいました。だから、当初は新潟に出稼ぎに行って、お金を貯めて、もう一度帰って仕事を始める予定だったらしいですが、相馬の現場が心配なので、結局NPO(非営利組織)法人「相馬はらがま朝市クラブ」(※資料2)を立ち上げ、朝市をすることになったわけです。当初は避難所を中心に、現在は避難所が閉鎖されて仮設住宅に移っているので、仮設住宅を拠点にして朝市を続け、それを漁業再生の足がかりにしようとしているらしいです。週一回の朝市から始めて、物資を調達しながら人のつながりを維持しつつ、もう一度相馬を復活させようという試みのようです。

茨城各地の生産者から届いた土壌サンプル

 もう一つは福島市を中心に、「未来の福島こども基金」(http://fukushimachildrensfund.org/)という運動があります。これは原発事故に伴う放射能汚染から子供を守るための基金運動ですね。その中心である黒部信一先生(小児科医・チェルノブイリ子ども基金顧問)と、たまたま母乳調査でご一緒させていただいたのがきっかけです。当初、何とか福島の人たちとつながりを作らなければ、ということでいくつか探ったんですが、これをきっかけにして、だいぶつながりができましたね。
 それから、この間では、郡山市にある「あいコープふくしま」と関係ができて、いろいろな取り組みが一緒にできるのではないかという状態にあります。定期的には難しいかもしれませんが、福島の農産物について一緒にやっていけるのではないかと思っています。
 これまで福島の生産者として関係があったのは、二本松市と郡山市周辺の方々です。愛農会の系統のグループです。ここの若手はいま、三重や九州に避難していますが、年配者は残って、若手の畑まで含めて再生を誓って頑張っているという、そういうところです。
 それから、三春町には三十数年の歴史ある有機農業研究会があります。この間、そこを中心にして、日本有機農業研究会の呼びかけで集まりを持ちました。
 あと、福島西部の山の方に牧場が一つある。いや、現在は避難を余儀なくされているので「あった」というべきですが、そこの再生をどうするか、という問題があります。
 こうしてみると、相馬の海といくつかの里の農地と山の牧場を、それから福島市や郡山市といった街があるわけで、それぞれの人たちを結びつけながら、どこかに拠点を設けて、こちらから縦続的な支援をしていく可能性がある。
 とくに原釜漁港については、柿崎君が「日本で一番きれいな漁港だ」と力説するものですから、原釜の復興に協力できないかと考えています。たとえば、うちを物流の中間拠点にして、うちの配送センターに支援物資や各地の生産物を集めて、原釜に持っていって仮設住宅で分け合ったり、状況次第では共同購入会をつくるのを手伝ったり。あるいは、逆に原釜の水産物についても、ここを拠点にして、よつ葉さんや全国に送ったり。いまの私たちの関わりからすると、そんな構想を描けるのかな、という感じですね。
 【研究所】原釜については、柿崎さんが中心になってやってこられたんですよね。
 【柿崎】何回も足を運んでいるというわけではありませんが。
 【大石】付け加えると、緊急支援では、魚住さんたち茨城有機農業研究会も20人ぐらいで毎週およそ1.5トンの野菜を送っていました。いずれも、できれば現地の避難所に直に届けたかったんですが、手が回りませんから、行政の窓口を仲介にせざるを得ず、だから支援活動を通して人のつながりができたかといえば、そうでもなかったんですね。
 そんなこともあって、今後は一方的に「送る/送られる」ということではなく、地域を起こしていく主体のあるところと長期にわたって、物々交換も含めて相互に経済的な支え合いをしていけるような関係を展望していければいいな、ということになったんですね。そこで柿崎君が原釜の話を提案してきたので、この前の会議で茨城有機農研の人たちにも話をして、具体化したら協力するという話になったんです。最初から安易に物流ルートをつくればいいということではなく、庚を合わせて積み重ねていこうということです。
 【柿崎】原釜漁港は松川浦という潟湖に隣接していて、風光明媚なところです。福島第1原発からの距離は40キロで、本当に「これさえなければ!」という感じですね。
 僕が原釜を美しいと感じた理由は、風景もそうですが、とにかく人が元気なことですね。元気で若い人が多い。僕はいろんな港を回ったことがありますが、ここはそれが特徴的でしたね。それと、浜の母ちゃんや婆ちゃんも元気ですね、仕事があるから。若い人が水揚げされた魚を「どっこいしょ」っと持ってくると、婆ちゃんが土間に座って捌いたりして。男の人も女の人も、なんせ一生懸命で活気がある浜でした。
 普通、こういった浜や加工場は中国からの研修生を雇っている場合が多いんですが、ここは浜の母ちゃんたちが小魚を捕まえたり、なんせ仕事があったんです。やっぱりいい魚が集るので、5年前くらいからイオンとか大手の流通も入りだしていました。それがまた、若い人の仕事にもつながったり、そんな好循環を生んでいたわけです。それだけに、いまは非常に厳しい状態ですね。
 常総生協と原釜のセンシン食品さんとの付き合いは、10年ほど前からですね。仲を取り持っていただいたのが、茨城県ひたちなか市の「塩屋」さんがいます。塩屋さんは地元の潤沼のシジミの仕分けをしたりする水産物の加工業者さんですが、塩屋さんから社長の高橋さんを紹介してもらって付き合いが始まりました。それから毎年通っています。相馬の辺りは100キロぐらい沖に向かって大陸棚が張り出しているせいか、なんせ非常に魚種が豊富なんです。中型の底引き船がメインで、非常に船が多かったですね。新鮮ないい魚が獲れ、首都圏にも近くて注目されていました。
 ところが、今回の津波で壊滅的な被害を受けて、幸い人的な被害はなかったようですが、自宅も工場も失ってしまった。そこで、どうしようかというときに、高橋さんから「俺は魚好きだから、反対側の新潟に、日本海に行って再起を賭ける」と言われて、「いや、そこまで遠くにいかなくても、塩屋さんの工場を間借りして再起を考えたらどうか」って……。いろいろ考えた上で、高橋さんも最終的には原釜の惨状をこのままにしてはおけないということになって、仲間の人たちと一緒になって浜の復興のためにNPOを立ち上げることになりました。
 何年かかるか、何十億かかるか分からないけれども、とにかく相馬の浜を復活させて、浜の加工を取り戻したいという気持ちなんですね。正直、感動しました。

測定結果の一例

 ただ、その前の段階として、浜そのものが閉鎖されてしまったために、これまで浜で働いていた人たちは仮設住宅で閉じこもる状況になっているそうなんです。僕は時間がなくて仮設に行けていませんが、高橋さんからは「行くか? 暗えぞ」って言われました。それはもう、すべてをなくしているわけですからね。だから、高橋さんとしては、そのままにしておいたらマズいだろう、ちゃんとみんなの御用聞きにいかないと、それこそ孤独死とか出かねないと思って、それもあってNPOを始めたとのことです。仮設の住民の多くは浜の人たち、とくに爺ちゃん婆ちゃんなので、この人たち抜きに浜の復興もないわけですからね。
 【村井】いままで活気のあった浜で仕事をしていた人たちだからね。元気が出れば、というか、魚が揚がって仕事があって、人やモノの流れが出てこないと元気も出ないでしょうね。仮設住宅と浜はどのくらい離れているんですか。
 【柿崎】相馬市の佼設住宅は総戸数が1500ほどで、それが6ケ所に分散しているそうです。いままでの加工場のあったところからそれほど離れてはいませんが、それでも自転車で30分ぐらいかかるし、ちょっと高台にあって山を越えないといけないので、高齢者にとってはしんどい状況ですよね。そのままだと「買い物難民」になってしまう。一方で、これまでの仕事がなくなって収入は年金だけという人も多く、経済的な面はかなり困窮している実態もあります。

福島第一原発との位置関係

人の交流を通じた物流の再建を

【研究所】相馬市全体の中で、漁業は主力産業なんですか。
 【柿崎】そうですね。ほとんど水産業ですよね。現状では、とりあえず米だけは相馬市から支給されているという状況らしいです。高橋さんとしては、こういう人たちを何とかしたいという気持ちもあって、始めたのが朝市ですね。いろんな人が来るみたいで、それこそ被災者ではないような人も来たりして、とりあえず、その辺りはこだわらずにやっているそうですが、実際の話、被災の度合いで言えば、比較的軽かった内陸(町)の人と壊滅的な打撃を受けた海側(浜)の人の間には、かなりの格差があるんですよね。ごちゃごちゃしてるんですよ。そういう危機感もあって、だからこそ、朝市という形で顔と顔を付き合わす場所が必要だと思って俺はやってんだ、とおっしゃっていました。
 週替わりでいろんな団体がサポートに入ってはいるんですが。当初からすれば徐々に少なくなっていくわけで、これから何年になるかわからないですけれども、縦続的な関係を作っていく必要があるなと思います。ただモノのやり取りだけではなくて、人も何回も通って話してという関わりが、やっぱりポイントだと。
 【大石】常総生協の親戚ができたと思えばいいんだよ。
 【柿崎】そんなイメージですね。そういう話をしていたら、塩屋さんが「じゃあ、俺は魚の担当になる」って言って下さって。原釜は漁港が壊滅して船も流されたりして、現状では漁に出られない状況です。だから、地元に魚がない。でも、魚がほしい人は大勢いる。「じゃあ俺が担当して、持って行くよ」って。野菜の方は、さっき話に出ましたが、魚住さんたち有機農家が「何とかする」って話です。ただ、カタログみたいなものをいきなりつくるのは大変だから、たとえば家族向けのセットというようにしたほうがいいんじゃないのかとか、そんな話が出はじめていますね。
 【大石】塩屋さんはどこかの魚を調達して、原釜に持ってこようということなのかな。
 【柿崎】ひたちなかの港に集まってくる魚でしょうね。
 【大石】原釜の魚はどうにかしないの。
 【柿崎】もちろん、できればそうしたいんですが、現状では、ほとんど不可能ですよね。ただ、そうだとしても、加工はできるんじゃないか、できるなら始めたい、たとえ北海道で揚がった魚でも、ここの人たちで加工して浜を復活させたい、という感じです。
 【村井】魚に触れていたいということだね。いま港は全然ダメなんですか。
 【柿崎】無理です。港内は瓦礫だらけですから。たぶん、これから政府からの割り当てで、底引き船を使って瓦礫の撤去が行われるはずです。
 【柿崎】ただ、漁が復活したとしても、原釜の魚をこちらに持ってくるとなると、やっぱり海の放射能汚染の間遠が出てくるでしょう。それをどう払拭できるか、ですよね。
 【大石】かろうじて第1原発から40キロといっても、海流とか魚の進路とかあるだろうし。
 【村井】フェリーや漁船なんかも30キロ圏内は通れないでしょう。汚染が強いから迂回しているっていう話で。
 【柿崎】そうですね。だから、自分たちのところで水揚げされた魚を使って、というのは後々の話ですね。まずは朝市、そこから浜での加工の復活につなげて行ければ、ということです。もちろん、お年寄りだけでなく、若い人も数多く残っていて、それはこの土地が好きでどうしても離れたくないんですよね。これから、そういう人たちが力になっていくと思いますが、さすがに現状では、漁協もかなり人員整理をせざるを得ない状態です。僕が会った若い人の中にも、先月末に解雇された人がいました。
 【大石】そういう人たちが物流を担って、それで食べていけるような仕組みができればいいわけですよね。ただ、いずれにしても、まずはわれわれも含めてNPOの役員さんたちとお会いして、実際に朝市の状況を見たりして、そこから始めるしか手はないと思いますよ。だから、盆が明けたら訪問して、話し合いの機会を設けたらどうですかね。都合がつけば、関西よつ葉の方からも来てもらって。
 【研究所】これまで福島とは、農産物も水産物も直接の付き合いそのものがなく、むしろ福島を飛び越えて宮城とか岩手との関係があったんですね。たぶん、単に取っ掛かりがなかっただけだと思いますが、これを通じてお付き合いができれば、それはいい機会だと思います。
 【村井】浜の人とつながるかもしれませんね。
 【研究所】阪神・淡路大震災の場合は都市型の災害だったので、工場や生活インフラを直せばある程度復旧のメドが見通せたわけですが、今回は農業や水産業が打撃を受けただけに、そうはいきませんよね。原釜のお話を聞いていると、地域の人たちが加工で生活していけるような仕組みができなければ、地域再建そのものが成り立たないことがよく分かります。
 【大石】とにかく共同で仕事をつくっていくことがポイントだな。
 【柿崎】まずはモノが動かないとダメでしょう。
 【研究所】相馬市全体で見るとほかにも被災した地域があると思いますが、復興へ向けた自主的な組織化の動きというのは、原釜のほかにもあるんですか。
 【柿崎】ほかにはないみたいですね。市としても、各所に依頼したりしているみたいですが、やっぱり自分のことで精一杯というのがほとんどのようです。高橋さんも市から頼まれたんですよね。
 【研究所】やっぱりなかなか音頭を取る人がいないんでしょうね。
 【柿崎】そういう中で、状況を見かねてっていうのが高橋さんですね。ただ、そうはいっても、たとえば仮設を戸別訪問してピンポンして「ばあちゃん生きてるか?」という、そんな細かいところまで、なかなか回り切れないみたいですね。
 【村井】つまり、行政としては仮設を建設しても、そういう日常生活のところまでは、やらなきゃいけないと思いながらできない、それを市民がやってくれないか、って状況なのね。
 【柿崎】そうでしょうね。だから、米の手配とかについては相馬市がやっていますね。
 【村井】じゃあ、そこで共同の給食みたいに、おばちゃんたちが集って、今日は何を何食つくるよっていうのができれば、一石二鳥ですよね。
 【柿崎】いろんな展開は考えられると思うんですが、現状ではまだまだ物流がネックですね。

現地の主体をどう応援するか

【大石】だったら、それこそ現地に生協を作ればいいじゃない。柿崎君が設立してもいいんだよ。その気があれば、向こうにいって自分で生協をつくるというくらいの気構えでね。ノウハウは全部こちらで教えるから。
 【柿崎】……いきなり僕ですか!
 【村井】でも、浜のおばあちゃんたちも、一緒にやろうっていえば元気が出てくるんじゃないですか。最初から生協にしなくても、共同購入の会から始めてもいいですよね。
 【大石】現地は苦しい状況だろうけれども、単にモノを配給するだけでは次につながらないでしょう。むしろ、みんなで身体を動かして、みんなで分け合って、という原点から出発して、地域に破ざした協同組合を作っていったらどうでしょうね。それこそ、仕事をつくるところまで含めた協同組合ですよね。
 【村井】皆さん仮設に入ったばかりで、なかなか今後のことを考えられないかもしれないけれど、力のある人、元気のある人は、地元の復興のために、こうしようああしようということがあるはずだと思いますよ。だから、それを企画して、具体的に実践できるようにしていく主体が必要ですよね。
 【大石】どんな形で新たな局面、ステージに持っていけるか、それがNPOの役割になってきますよね。ただ、そのときに、こちら側ができるだけ広い応援の枠組みで支えていく必要もあると思います。それがあるのとないのでは、やっばり全く違うでしょう。
 【柿崎】ただ、応援するにしても、他県から直でというわけには、なかなかいかないでしょう。何か中間拠点のような場所が必要かもしれません。
 【大石】だから、それは茨城が一つの中間拠点になるでしょう。それと、先ほど言ったように、福島の中で海と山と里と町の連携を探っていくための拠点が必要なので、それが同時にもう一つの中間拠点になるんじゃないでしょうか。たとえば地理的には二本松市あたりが拠点になりそうな感じがしますね。そういえば、あいコープふくしまは福島市まで配達エリアになっているんですよね。
 【村井】そうです。いわゆる「中通り」が中心で、海側の「浜通り」には行ってないみたいです。ちなみに、あいコープふくしまは、いま努力している生協ということで加入率がすごいという話でしたね。以前、少し減っちゃったそうですが、残っている人の友だちの友だちが加入しているらしいです。それは、現在のような状況の中で生協がある程度の指針を出しているというところから、信頼されているわけですね。
 【大石】福島の子供たちと原釜の朝市と、経済的なものと子供たちのことだってワンセットで。一つ一つ小さくてもいいから確実に人のつながりをつくるということから、いくつか拠点ができてくるといいですね。そうなったら、関係者全体で福島で会合を持ったらいいじゃないですか。そうすれば、また新しいアイデアも出るだろうし。
 【村井】呼びかけをいかにするか、いかに人を取り込んでいくか、というのが大事ですね。たとえば塩屋さんだけでなくて、塩屋さんの友だちの中にも動ける人、力を貸してくれる人がいるでしょうし。現地でも、佼設に入っている人の中で、土建屋さんとか、職種が全然違う方たちも参加して、カになってくれたらいいですよね。
 【大石】それをもう少し向こうに入って、いろいろ様子を窺いながら、考えていく必要がありますね。人とのつながりができれば、一気に広がりますよ。もちろん、主体はそこに住んでる人たち、その周りをサポートする発起人を全国規模で10人ぐらい。関西よつ葉の皆さんも是非お願いします。
 【研究所】それはもちろんです。
 【柿崎】一挙にすごい話になってきましたね。
 【村井】直接的には被災者支援だったり、復興支援ということだけれども、むしろ支援云々という話ではなくて、みんなが最後までうまく生きるということじゃないですか。
 【大石】この状況を全国で分かち合っていくようなあり方を、いまからつくっていく、それで全員最後まで共に生きていく、そんな世の中にしていきたいですね。
(終わり)

【資料】

(1)母乳調査・母子支援ネットワーク

母乳から微量の放射性物質 市民団体の独自検査

 市民団体「母乳調査・母子支援ネットワーク」は20日、独自に母乳を民間放射線測定会社に送り分析した結果、千葉県内居住の女性の母乳から1キログラム当たり36.3ベクレルの微量の放射性ヨウ素を検出したと明らかにした。放射性セシウムは検出されなかった。
 厚生労働省によると、原子力安全委員会は母乳に含まれる放射線量について安全基準の指標を示していない。今回検出された数値は水道水に関する乳児の摂取基準値(1キログラム当たり100ベクレル)を下回っている。
 ネットワークの村上喜久子代表は「安全性について判断はまだできないが、母乳は赤ちゃんが口にする。国は早急に広範囲な調査を実施してもらいたい」と訴えている。
 検査した母乳は生活協同組合などを通じて呼び掛け、千葉のほか、宮城、福島、茨城県内の女性9人から提供を受けた。
 3月24日と30日に1人約120〜130ccずつ採取した母乳を民間の放射線測定会社で分析。
 千葉県柏市の産後8カ月の女性から36.3ベクレル、茨城県守谷市の女性から31.8ベクレルを検出した。茨城県つくば市の女性2人からもそれぞれ8.7ベクレル、6.4ベクレルを検出。守谷市の女性は2回目の検査で8.5’ベクレルに低下したという。
 宮城県白石市、福島市、福島県棚倉町、茨城県つくばみらい市の4人からは検出されなかった。福島県郡山市の女性の母乳は分析中という。
[出典]2011年4月20日『共同通信』
 ※団体ホームページ http://bonyuutyousa.net/

(2)相馬はらがま朝市クラブ

リヤカー隊 心配り細かく

 「おはようございます。移動販売です」。福島県相馬市大野台の振設住宅で、須田和子さん(63)と菊地真由美さん(47)が野菜や食品を積んだリヤカーを引く。トマト200円、ニンジン100円、卵180円─。
 住民を見かけるとリヤカーを止める。「新鮮な野菜いかがですか」「トウモロコシあるかしら」「甘くておいしいですよ」。会話が弾む。「これどうぞ」。前日にサツマイモを買った女性が煮物にして差し入れに来た。リヤカーの周りが和む。
 155世帯395人が暮らす仮設住宅。木村淑子さん(77)はレタスと卵を買った。「近くに店がなく、娘の車で買い物に行っているので助かります」。阿部悦子さん(65)も「色々な業者が車で販売に来るけど、なじみの人がリヤカーで毎日来てくれると安心感があります」と話す。
 リヤカーを引く須田さんと菊地さんは市の買い物・生活支援員だ。全部で16人いる。慣れない仮設住宅暮らしの高齢者や障害者を助け、雇用を増やすために市が始めた。市内の仮設住宅11か所で、月曜から金曜までリヤカー1台ずつが動く。仕入れは市民グループ「相馬はらがま朝市クラブ」が協力する。
 「何か困っていることはないですか。市役所に伝えるから言ってね」。支援員は「ご用聞き」や障害者宅での持除もやる。小回りがきき、ゆっくり動くため、一軒一軒に目が届きやすい。「雨漏りしてない?」「網戸の具合どう」ときめ細かい。
 市も「物を売るというより、声がけを大切にしている。仮設住宅でのコミュニティー作りにつながれば」とリヤカー部隊に期待する。
 津波で家が流され、仕事を失うなどした支援員も多い。須田さんも自宅は無事だったが、商店を営む市内の実家が流失した。それでも前を向く。「出会いを大切にして便利屋としてきめ細かく対応したい。みんなが元気で、前よりも幸せにならないといけない」
     [出典]2011年7月30日『読売新聞』
  ※団体ホームページ
http://www.ab.auone-net.jp/~haragama/
http://haragama.web.fc2.com/


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