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研究会報告―「『よつ葉らしさ』の根源を探る」第2弾 B

はじめに

関西よつ葉連絡会の事業活動の中で生じた出来事について、その意味と今日的な教訓を考える研究会。3回目となる今回は、「不十分さの公開・共有―よつ葉牛乳の放射能汚染の公表と山城養鶏の卵事件への対応」と題して、7月25日に実施した。前2回に比べて少ないものの、60人近い参加者が集まった。

組織の拡大と労働・相互関係の変容

今回の題材の一つは、1986年に起きた旧ソ連のチェルノブイリ原発の事故による放射能汚染が日本にも及び、よつ葉牛乳の放射能汚染が問題となった事件。そしてもう一つは2004年、よつ葉が卵を取り扱っていた京都府の山城養鶏が、冷蔵保存していた産卵日の古い卵をスーパー等へ出荷していた問題がマスコミで大きく取り上げられ、よつ葉としても山城養鶏との関係が問われた事件でした。報告者は、鈴木伸明氏(関西よつ葉連絡会事務局)、河合左千夫氏(やさい村代表)、木藤田恒夫氏(西京都共同購入会代表)の三氏です。

問題を積極的に公開

チェルノブイリ原発の事故は、1986年4月25日に発生しました。日本では4月29日に初めてマスコミで報じられ、事故の規模が非常に大きかったことと、当時のソ連が事故の全容を明らかにしない姿勢を貫いたことなどから、放射能汚染が大きな不安を引き起しました。日本政府は、大気中に原発事故の汚染が検出されたと公表する一方、「健康上の影響は問題ない」と沈静化にやっきとなりますが、ヨーロッパでの食品汚染が次々に報道され、消費者の不安は増大する一方でした。

関西よつ葉連絡会の各配送センターにも、会員からの問い合せが急増しました。中でも、牛乳の汚染については、とりわけ大きな関心を呼びました。同じように、組合員からの問い合せに悲鳴をあげた関東の生協の中には、苦しまぎれに、「事故以前に製造されたロングライフ牛乳を届けているから大丈夫」と説明し、取り扱う牛乳をロングライフ牛乳に切り換えた事例もあったと聞きます。

こうした状況に直面し、関西よつ葉連絡会では、これまで反原発運動を共に進めて来たつながりをフルに生かして、京都大学原子炉実験所によつ葉牛乳の放射能汚染の測定を依頼し、1986年6月号の『ひこばえ通信』で検査結果を公表しました。「やはり、よつ葉牛乳も放射能に汚染されていました」というショッキングな見出しが一面に踊る『ひこばえ通信』は、会員からも、会の外部からも大きな論議を呼ぶものとなりました。

問題の背景を(えぐ)る姿勢

こうした私たちの姿勢の基本は、「影響がない」「大丈夫」と誤摩化すのではなく、事実を正確に伝え、たとえ微量でも、放射能汚染は人体に悪影響を及すことを伝え、そして、原発の危険性を訴えるものだったと言えます。その結果、短期的には会員数、販売量が減少したものの、同時に、「よく伝えてくれた!」「隠さずに知らせてくれて、よつ葉が信頼できるように思えた」等々の支持する声も大きく広がり、程なくして会員数、販売量も旧に復していきました。

鈴木氏は、こうした経過を報告した上で、問題から逃げたり、誤摩化したりしないで、きっちりと向き合うこと。その問題を社会全体との関連の中で捉えようとする姿勢が重要だ、と指摘しました。チェルノブイリ原発という、私たちの日常生活からはずい分と遠い所で起こった事故の影響を、単に「危険だ、危険だ」と騒ぐだけに終らせるのではなく、私たちの身近な生活の中にも、同じような事故が発生する危険性が広く潜んでいる事実に眼をむけて、何故、そうした社会がつくられているのかという本質に向い合うきっかけとすることの重要性が論じられていたのです。

「切り捨て」は解決にならない

2003年12月に発生した山城養鶏の「日付けの古い卵出荷」事件は、当初は新聞の京都版で小さく報じられる程度の事件でしたが、翌年1月、一部週刊誌で再び取り挙げられたことをきっかけに、大々的なマスコミ攻勢に曝されることとなりました。関西よつ葉連絡会では、配送エリアに比較的近く、鮮度の良い卵を供給できるという判断のもと、20年近くにわたって山城養鶏から「採卵日出荷」で卵を供給してもらい、「さくら卵」という商品名で会員へ届けていました。そのため、問題となった「古い卵」とは無関係だったとはいえ、マスコミ報道の過熱とともに、会員から「そんなひどい業者とつき合っていたのか」「そんな卵を取り扱うのは止めるべきだ」等々の抗議が寄せられ、山城養鶏との関係をどうしていくのかをめぐって、連絡会内部で論議が沸騰したのです。

山城養鶏の最大の取り引き先であった京都生協は早々と取り引き停止を決め、関係を断つ方針を打ち出しました。よつ葉は、山城養鶏が自主的に卵の出荷を停止した間に、会員へも呼びかけて山城養鶏側との話し合い、養鶏場訪問を進め、よつ葉と生産者である山城養鶏との関係について検証し、なぜ今回のような誤ちが生じたのか、相互の関係性の問題として考えようとつとめました。何か問題が発生した時、影響が自分たちに及ぶことを恐れて関係を断つという選択は、結果として、今日の社会におけるさまざまな矛盾を不可避的に背負っている生産現場を切り捨てることにつながります。こう判断したことが、一部の会員からの批判を受け止めた上で、あえて山城養鶏との関係継続という選択につながったという報告でした。

その結果、「さくら卵」の取り扱い量こそ以前に比べて半減したものの、京都養鶏に社名変更した旧山城養鶏とは、飼料の国産化、飼育環境の改善等の話し合いが進み、生産者交流も活発化して、徐々に信頼回復がなされているようです。と同時に、この過程を通じて、ほかの生産者との間にも、「よつ葉は生産者とともに歩んでいく」「よつ葉は生産現場を一緒につくろうとしている」という評価が、より広がったようにも思います。(研究所事務局)

◆  ◆参加者の感想◆  ◆

真実を共有できる関係づくりに向けて

今回の報告については、牛乳と卵というどこの家庭にでもあるような製品で起こった出来事として、また、現在牛乳と卵の企画を担当している者として、興味深く聞いていました。

チェルノブイリ原発の事故を受けて、いち早くよつ葉牛乳を検査し、目に見えない不安に対して真実を迅速に伝え、会員と一緒に問題の原因を考えていこうとしたこと、このスタイルこそが「よつ葉らしさ」なのだと思いました。

山城養鶏の件で言えば、報告にあったように、卵の質に対するクレームらしいものは、事件の前にはほとんどなかったようです。そのため、何度か産地訪問はしたものの、山城養鶏の詳しい状況や考え方などについては把握していない関係でした。実際、よつ葉の企画部門である「ひこばえ」とはいえ、古くから付き合いのある生産者でも、取り引き開始の際に訪問するくらいで、その後は一度も訪れていないところもありました。

山城養鶏の事件をきっかけにこの点を反省し、各担当者が生産者との関係を見直し、とくに今までほとんど訪問していなかった産地へ意識的に足を運びました。単なるモノの関係だけなら京都生協のように取り引き中止でしょうが、お互い反省すべきことを反省し、一緒に問題を解決していく姿勢が大事と思いました。

山城養鶏の事件については、『「食の安全」心配御無用!』(朝日新聞社、2003年)の著者、渡辺宏さんが、自らのメールマガジンで触れています。その中で渡辺さんは、よつ葉が会員向けに出した告知文を例に、「ここは私も少し知っていて、良いも悪いも正直という点では満点を差し上げたいくらいのところです。新聞などでは出てこなかった本当の話だと思います。この時節に山城養鶏との取引継続を広言するあたりも見上げたものです」とコメントされています。よつ葉に対する世間の評価の一端を示すものだと思います。

日本で初めて鳥インフルエンザが発生した際も、原因がわからない、人へ感染するのか、卵や鶏肉は大丈夫なのか等々、さまざまな情報が交錯し、「鶏は危険」という漠然とした空気が世間に流れました。こんな時に、根拠もなく「大丈夫、安全です」と言われても、逆に信用できないものです。不安なのは、起こっている事態の真相が分からないからでしょう。

今回の報告を聞いて、何か問題が起きた場合、真実を包み隠さず伝えることが信頼につながると、改めて感じました。もちろん、真実を伝えるには、真実を知らなければならず、そのためにも、生産者との間で真実を共有できる関係づくりが大切だと思います。(上加世田裕司:鰍ミこばえ)

危機に立ち向かう「判断」の根拠とは?

今回のテーマを通じて、よつ葉がどんな組織なのか、顕著に理解できたように思います。遡ること22年前に起きた旧ソ連のチェルノブイリ原発事故。当時、私は中学2年生でバスケット部に入っていましたが、記憶に残っているのは、室外での練習の時、チームメイトと「放射能の雨が降ってくる。かかるとハゲになるから気ぃつけなあかんで」と会話していたことです。

ちなみに、私が通っていた東能勢小学校、中学校は日教組の教育方針が浸透していて、過去の戦争や原爆のこと、人権問題にとても熱心でした。毎年8月6日は「平和登校日」として体育館に全校生徒が集められ、8時15分に1分間の黙祷を行いました(その習慣は今でも身についています)。そんな環境だったため、「日本にも放射能汚染が広がっている」との報道を聞いたとき、「本当に死ぬかも知れない」と思いましたが、食べもののことは考えませんでした。

一方、まさにその時、われわれの先輩たちは、牛乳配達が主力だった当時のよつ葉としては、下手をすれば危機的な状況に陥りかねない中、京大の原子炉実験所に依頼し、残留濃度の結果を発表するという、世間から見れば「暴挙」のような行動に出ました。ところが、この判断は結果的に、むしろ会員や世間の信頼を勝ち得ました。私はこの話を聞きながら、こうした判断の根拠は何か、私たちの世代がここから学ぶべきものは何か、考えざるを得ませんでした。

もう一つの「山城養鶏の卵事件」については、すでに産直センターで働いていたため実感があり、どういう経過をたどり、どう決着していったのか、よく覚えています。実は、私は事件が起こる以前に研修で山城養鶏を訪れたことがあり、その際の印象が芳しいものでなかったこともあって、正直なところ「この際に切ってしまえ」と思っていました。生産者の心理として、まだ食べられる卵を廃棄するのが忍びないという点は共感したものの、それを黙って売ろうとした判断に強い憤りを感じたためです。だから、まさかわずか数ヶ月で取り扱いを再開するとは、夢にも思いませんでした。ここでも、よつ葉はまず問題を整理し、内部で検討を重ねます。山城側の言い分を聞いた上で、悪意はないと判断し、再建に向けて動き出した京都養鶏(名称変更には反対が多かったですが)との間に、その後、新たな関係を築いていくこととなります。この場合も、判断次第では全く反対の結果を招いていたと思われます。

この間、私は映画『六ヶ所村ラプソディー』をきっかけに、仲間たちと「原発・エネルギーを考えるよつばの会」を立ち上げ、学習会や自主上映会、講演会、署名活動などを行ってきました。その一環として、関西で反原発運動に取り組む市民団体や個人と一緒に、「青森県六ヶ所村の再処理工場の本格稼働を止めよう!」という主旨の合同集会を行い、カンパを募って青森県の地元紙に「関西から青森の人々へ、再処理工場が本格稼動しないよう知事に働きかけてほしい」という内容の意見広告を載せました。

ここでの判断は、「自分たちはいいことをしている。関西からこのメッセージを青森の人たちに伝え、立ち上がってもらおう!」というものでした。しかし、その判断は間違っていました。結果として、都会に住む人間のエゴを青森の人たちに押し付け、声をあげたくてもあげられない青森の人たちへの配慮に欠けたものとなってしまったように思います。再処理工場だけに関心を持ち、なぜ全国に原発が55基も存在しているのか、その社会的要因や背景を知らずに、うわべだけの反対をしていることに気づきました。現地の人や生産者の暮らしを理解し、その人たちの思いとつながっていき、その上で私たちができる限りの支援をしていくべきなのだ、と痛感しました。

再処理工場や原発の問題に限らず、今後、私たちが判断に迫られたときに基本とすべきは、問題に正面から向き合い、真剣に取り組むこと、そして視野を広く持ち、社会全体との関係の中で考えていくことだと思います。今回の報告は、よつ葉の次世代を担っていく私たちにとって、自らの判断の根拠を問い直す機会として、大きな意味を持つものだったと感じています。(上西巽也:大阪産地直送センター)


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