●焼畑耕地
●彼方に現れるヒマラヤの山々
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連載 ネパール・タライ平原の村から ⑧

山あいの村で続く焼畑

ネパールの農村で暮らす、元よつ葉農産社員の藤井君の定期報告。今回は、その8回目である。


 山間の村での結婚式に参加した後の数日、相方の友人の親戚が住む村々を転々としました。帰りは無理言って、焼畑を生業としているマガル族のボジャ村を通り、峠を越えて平地まで丸一日歩いて戻ることにしました。今回は、その道中に通った焼畑耕地について見てみたいと思います。

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 霧が立ち込む厳しい峠道、どうやら道に迷ってしまいました。それで「ホーゥ、ホーゥ」と相方の友人が山々に向かって叫ぶと、向こうの岩山から「ホーゥ、ホーゥ」と返事が返ってきて、相方の友人がマガル語で道を確認し合います。

 さらにしばらく進むと霧が引き、彼方にマチャプチャレ(6993m)、アンナプルナI(8091m)、ダウラギリ(8167m)…と、ヒマラヤの山塊が一気に浮き上がって見えてきました。

 「わー、キレイ」などとトレッキング気分で1人見とれていると、岩山から1人また1人と、背負いカゴや鍬を持ちトウモロコシを収穫している農夫が現れました。

 地元の人たちにとって峠の道は、トレッキングするための娯楽コースではなく、山あいの村と村や平地を結ぶ道であると同時に、トウモロコシを植える焼畑耕地へと通じる道でもありました。

 焼畑斜面は、岩がゴロゴロと転がっている急傾斜です。どれほど急峻なのかと言うと、混植されたカボチャが、人の手から滑り落ちるとそのまま谷底まで転がってしまうほどです。さらにもっと急な斜面ともなれば、片手で岩肌を掴んで身体を固定して、もう片方の手に鍬を持って土を掘る。そして口の中にトウモロコシの種を含み、それを口から落として播種するという具合です。

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 マガル族の焼畑に関する研究によると、焼畑は4~5年周期で耕地が選定され、休耕地の指標植物の生育状況などを参考に火入れされます。また焼畑耕地の作付け期間を1年に限ることで、地力の維持と二次林の植生が促されるそうです。

 村の人々は、火入れや重労働の除草、結実期の猿害を防ぐための見張りなどを共同で行います。そして火入れ後の耕地からは、調理用に使う薪を採取します。また、収穫されたトウモロコシは、石臼で挽いて熱湯で煉って主食とし、酒も作るなどして自給的な暮らしを営んでいるそうです。

 近年は耕地の休耕期間が短縮される傾向にあり、環境破壊の観点から、行政やNGOの指導によって焼畑の範囲が限定される一方、谷や低地の灌漑整備によって米の二期作が可能となりました。さらに、現金収入が得られる果樹(主に柑橘)の苗が植林されるなど、マガル族の焼畑も変化しつつあります。山中の道程でも、こうした実情が見受けられました。

 変化の中、それでも昔から続けられて来た焼畑を見ていると、厳しい山中で生きていくため、焼畑を通した人と人、人と自然、部分と全体とが有機的につながるような農業が、そこにはあるのではないかと思いました。
                                                       (藤井牧人)


【参考文献】
 南真木人「ネパール山地民マガールの藪林焼畑」、寺嶋・篠原編『講座生態人類学7 エスノサイエンス』京都大学学術出版会、2002年
 南真木人「マガルの焼畑農耕」、(社)ネパール協会編『ネパールを知るための60章』明石書店、2000年



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