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アソシ研リレーエッセイ

共に分かち合う食のありかた

 今回は、つい最近韓国を訪ねたときに食べた鍋料理のことについて。

 鍋料理というと、私たちの場合、冬の料理というイメージが強いが、韓国では季節に関係なく鍋料理が多いようである。夕食はもちろん、昼時もそうであった。たったの二日間でのことなので、その体験で全てを語るのはまちがいとは思いつつも、あえて推測を交えて評価してみたい誘惑に駆られる。

 別の機会に「スローフードの考え方には他人と共に食べるということが重要な思想としてある」と教えられて、なるほどと思ったが、それにつながる韓国の鍋料理ではないか! と、その時気づかされたからである。

 一つの鍋を共につつき、食べ物自身を楽しみながら、人との交流を楽しむ料理として、鍋料理はうってつけである。準備が比較的簡単で、食材を無駄にすることもない。素材は季節毎に変わっていくのであろう。真夏のくそ暑い時期に、私たちが食べた鍋料理の中心素材はきのこであった。味付けのパターンはいくつかあるのであろうが、唐辛子は欠かせないのかな?

 急速に工業化、輸出産業政策を進め、農業の破壊のスピードは凄まじいのであろうが、韓国では比較的人と人の関係性を大事にする社会がまだ色濃く存在していることを想像させる。

 日本でも「韓国料理の鍋レストラン」など季節に関係なく結構流行っているようである。商品化されたものである以上、形だけが提供されているのは当然であるが、鍋料理を食べに、家族連れ、友達連れで食べに行く光景をよく目にする。鍋料理を一人で食べている人はまず見かけない。ひとりで食べるには鍋は寂し過ぎる。共に食べる、分かち合いながら食べる、というのは人に特有のものだとのこと。

 「孤食」現象がわが社会に見られ、その傾向が強くなっているとすれば、人の本性と逆行することになり、人間崩壊社会というしかない。従って、この傾向がなお続くとしても、かならず、どこかの時点で反逆の動きが生まれることは間違いない。

 食のあり方は、その社会の様子をよく表現している。そんな視点で食を考えていくことは重要なことと考えながら、食の事業に関わっている。食から世界を変えられるとまでは思っていないが(むしろ結果であろうが)、重要な事柄の多くを示唆してくれる身近な世界であることには違いない。 

                                    (鈴木伸明:関西よつ葉連絡会事務局)




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