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アソシ研リレーエッセイ:ミッション・インポッシブル

もう5年以上も昔、自宅に大阪府警のガサ入れがあった時の話です。ちょうど私は外出していて、家には当時高校生か予備校生だった娘1人が残っていました。突然の私服警官の来訪に驚いた娘は、家のトイレに逃げ込んだそうです。逃げる者を見たら追いかけるのが警察の習性。何かスゴイ得物があるに違いないと踏み込んだ刑事の勢いに、娘は恐怖のあまりに泣きわめいて、大騒動となりました。ただただ泣き続ける未成年の娘に、ガサ入れの立ち合いをさせる訳にもいかず、警察官は女性警官を呼び寄せ、私の居所を捜しまわりました。ようやく、私が自宅に戻った時、娘は女性警官の横でまだ泣き続けていたのです。

それから始った家宅捜索は、何かタイミングが完全にはずれた、気の抜けたビールのような捜索でした。その途中、捜索を指揮していた刑事の携帯電話が鳴りました。その着メロが、「スパイ大作戦」をリメークした映画「ミッション・インポッシブル」のテーマ曲だったことを、後で娘に教えてもらいました。茶の間のテーブルの上に置いてあった『人民新聞』だけを押収して終了した我が家の家宅捜索。そのテーマ曲は「ミッション・インポッシブル」だったと、後日、不当な家宅捜査への抗議文に書いたのですが、この抗議文を読まれた英語翻訳の仕事をされている知人がわざわざ電話をかけてきて、「いやー。それにしてもあのミッション・インポッシブルは最高でした」と絶賛されたのです。私としては、事実をありのままに伝え、抗議の意志を示しただけなので、訳を聞いてみると、「ミッション・インポッシブル」は直訳すれば「達成不可能な作戦」ですが、英語のニュアンスとしては、「やりきれない仕事」「うかない仕事」「やる意味のない仕事」という意味になるそうです。そう言われると、この話、なかなか出来た話しになってるなあと、まったくの瓢箪から駒なのですが、感心したことを覚えています。

ミッション・インポッシブルは、警察官の仕事だけではなく、全ての仕事に常につきまとっています。自分のやりたい仕事だけをやって生活していければ、それに越したことはないのですが、そんな人は世の中極わずか。「やってられないなあ」とつぶやきながら、人は懸命に与えられた任務をこなすことが多いようです。キーボードとディスプレイを相手に、金を払えば神様であると疑わないお客様を相手に、流れ続ける何の部品か分からないモノの流れを相手に。それを支えているのは、生活のための賃金、報酬なのでしょう。

でも他方で、人は常に仕事に見返りとしての賃金ではない何ものかを求めているように思います。それが何なのかは、人それぞれ異なるのですが、社会を成して生活を営む人は、社会の中で、自分が1人の人間として、何ものかであることを、それぞれの仕方で確かめてしか生きては行けないからだと思います。いまだ定かではなくとも、夢のようなものであっても、多くの他人からは理解されようもなくても、人は、誰れしも、必ず、自分にとって妥協できない何かを持っているのです。

ミッション・インポッシブルが充満する現代。妥協に妥協を重ねて行きていくことがあたり前のように見えるのですが、人は確かに、相変わらず、頑固で偏屈で孤高でもあり続けているとも思います。(津田道夫:研究所代表)


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