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状況報告―日雇労働者の抗議行動

はじめに

大阪市西成区にある日雇労働者の街「釜ヶ崎」。研究所では毎年、労働者支援に奔走する稲垣浩さん(炊き出しの会代表、釜ヶ崎地域合同労組委員長)の案内で、現地のフィールドワークを行っている。その釜ヶ崎で6月13日〜17日、実に16年ぶりに、警察に対する労働者の大規模な抗議行動が爆発した。ところが、問題の波及を恐れてメディア統制が敷かれたのか、報道は関西地方に限定され、その内容も警察発表をなぞったものばかり。そこで、独立系メディア『人民新聞』の山田さんに、状況の解説をお願いした。

釜ヶ崎の闘い、その根拠と背景

釜ヶ崎では6月13日から5夜にわたって、大阪府警西成署への実力抗議行動が闘われた。警察側は完全武装の機動隊がジュラルミンの盾を隙間なく並べて突進し、労働者たちは自転車でバリケードを作り、歩道の敷石を割って投石で応じた。

こうした事態にもかかわらず、大手メディアの報道は西成署の説明を垂れ流すにとどまり、実状はほとんど知られていないようだ。現場取材と釜ヶ崎活動家たちからの伝聞などを元に、当時の模様とその背景などについて報告したい。

発端は警察官の集団暴行

発端は、大阪府警西成署の警察官らによる暴行事件である。6月12日、釜ヶ崎の労働者Aさんが、飲食店でのトラブルから西成署に連行され、署内で警察官数名に暴行を受けたというのだ。

これに対し、西成署は「暴行の事実はない」と発表した。しかし、Aさんの首には絞められた跡がくっきりと残っていた。キリスト教団体のメンバーらが繰り返し事情を聞いたが、説明は一貫している。裁判にも十分堪えられる内容だとして、損害賠償を求める訴訟も準備中だ。

これまで西成署は一貫して、釜ヶ崎の労働者を差別し、人間としての対応を拒絶してきた。実際、釜ヶ崎のあちこちに計12台の監視カメラを設置し、署内では日雇労働者を「450(ヨゴレ)」という隠語で呼んでいる。シノギ(路上強盗)の被害にあった労働者が西成署に駆け込んでも、「お前が悪い」と追い返されるのが日常茶飯事だ。

Aさんは翌13日朝、釜ヶ崎地域合同労組(釜合労)に相談し、釜合労は夕方5時半から西成署前で抗議の宣伝活動を始めた。仕事帰りの労働者が次々と集まり、「わしも同じような目にあった」、「署長謝れ」と口々に叫ぶ。時折、苛立った労働者が空き缶や空き瓶を署内に投げ込むが、高い鉄柵に囲まれた西成署は門扉を固く閉ざしたままだ。そんな中、署内から私服警官が2〜3人出てきた。私服警官は、詰め寄る労働者に突然暴行を加え、西成署北門に逃げ込んだのだ。

労働者の怒りは爆発し、裏門めがけて殺到する。その時、現場に居たある労働者は、仲間に電話でこう叫んだ。「『暴動』が始まった! もう収拾なんかつかない」。労働者たちは裏門を破壊し、応援に駆けつけた機動隊に投ビンの雨とリヤカーで攻撃、機動隊を蹴散らし中に突入したという。

G8蔵相会議との鋭い対照

機動隊は、西成署前を走る釜ヶ崎のメインストリート「銀座通り」に阻止線を張り、労働者を押し返そうとする。しかし、当の機動隊員自身が完全に怖がっており、ヘルメット越しに引きつった顔が見える。一歩前に踏み出すにも、全体で「イチ!ニ!」「前へ!」と大声で叫ばなくては出られないありさまだ。

よく見ると、機動隊は臨時に編成された寄せ集め部隊らしく、盾も乱闘服も新旧の装備が入り混じってバラバラの状態。後方の部隊には婦人警官も投入されていた。というのも、実は同日、大阪ではG8(主要8ヵ国)蔵相会議が開催されており、機動隊の精鋭部隊はサミット会場の警備にまわされたとのことだ。

G8蔵相会議ではアフリカの貧困問題などが話し合われたようだが、「先進国」と言われる日本の中で平均寿命が全国最下位に位置し、まさに貧困が命の問題と直結する状況に追いやられてきたのが、ここ釜ヶ崎である。労働者の抗議行動は、図らずもG8蔵相会議と鋭いコントラストを示し、G8議長国・日本の現状を暴露するものとなった。

繰り返される攻防

2日目の14日も、釜合労が抗議行動を始める18時頃には、西成署前には200〜300人の人だかりができていた。門を閉ざす警察に対して、裏門から空き缶やビン、ゴミが次々と投げ込まれる。

20時頃、機動隊が突然、裏門から飛び出してきた。銀座通り沿いに再び阻止線を張るため、署の周りに集まる労働者を排除しようとする。だが、労働者は投石で応じ、自転車を積み上げバリケードを構築、バリケードを挟んで対峙が始まった。

しかし、この日の機動隊は、体勢を立て直していた。装備も整えられ、2台の放水車と投光車も出動した。機動隊は突撃しては、逃げ遅れた労働者にジュラルミンの盾で水平打ちをくらわせ、逮捕していった。一方、労働者は、ダンボールを満載したリヤカーで、阻止線に突入を繰り返した。この日の衝突は深夜3時過ぎまで続いた。

3日目の15日は雨。それでも銀座通りの阻止線で投石が続いた。時に、機動隊の指揮官が「北大阪機動隊ファイト!」などと叫ぶと、部隊が一斉に「オーッ!」と応じる。殺気立って「かかってこいや!」と叫ぶ機動隊員までいる始末だ。

暴動初日は30代前後の若い日雇労働者が主役だったが、その後、騒ぎを聞いて来た10代の若者の姿が徐々に目立ってきた。マスコミは「騒動を煽る若者」「便乗」などと報道したが、若者らに話しかけると、近所の子だったり、「毎朝西成署の前を通っている」と話していた。

襲いかかる機動隊

4日目の16日、いつもなら20時頃には機動隊が出てくるのだが、今日は動きが見られない。だが深夜23時頃、西成署裏門付近の自転車に火が放たれたのを契機に、放水車を先頭に現れた。再び銀座通りに阻止線が張られ、投石が繰り返される。

この日の機動隊は前日に比べ動きが鈍い。ジュラルミンの盾で阻止線をつくる際にも、所々に隙間があき、指揮官が苛立って叫ぶ。まるで若い隊員を訓練しているようだ。盾を奪われる隊員までいた。衝突は深夜2時頃まで続いた。

5日目の17日も、やはり20時頃に機動隊が投入された。この日は、いきなり喚声をあげて襲いかかってきた。「今日あたり狙い撃ちで逮捕に来るぞ」。そんな噂が流れ、緊張が走る。

後ろを見ると、群衆の後方にいる機動隊がずいぶんと近づいてきている。危険を感じた瞬間に、前方の機動隊が喚声を上げて突撃してきた。同時に後方の機動隊も動き出す。後方から近づいてきた機動隊は「あの帽子の男」というふうに投石していた労働者らを特定し、逮捕する構えで突っ込んでくる。何人もの労働者が機動隊に取り押さえられ、地面を引きずられながら連行された。

稲垣委員長への報復弾圧

6月18日、釜合労の稲垣委員長が令状逮捕された。容疑は道路交通法違反。西成署の向かい側に駐車許可を取らずに宣伝カーを横付けし、抗議演説をしたことが理由らしい。明らかな不当逮捕、明白な報復弾圧である。報復はその後も続き、7月9日には、炊き出しの会メンバー、17才の少年を含む5名を令状逮捕。被逮捕者はこれまで計24名に達し、うち12名が起訴されている。

こうした中「6.13救援会」が組織され、差し入れや面会など救援活動を開始している。また、7月5日には、釜ヶ崎三角公園で「大阪府警・西成署の暴力を許さない!逮捕者を返せ!7.5緊急集会」が行われた。集会の最後には、西成公園で暮らす労働者が「抗議声明」を読み上げ、集会に参加した労働者からも大きな拍手がわき起こった。

以上、簡単に状況を説明したが、マスコミなどで興味本位に「暴動」と報道されたものの実態が、これまで釜ヶ崎で日常的に横行してきた、警察権力による労働者への差別と暴力に対する、労働者の止むに止まれぬ抗議闘争であることをお分かりいただけたと思う。つまり、いくら警察が弾圧を強め、不当逮捕を繰り返そうが、対応を根本的に改めることなしに、労働者の抗議が止むことはないのである。(山田洋一:『人民新聞』編集長)


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