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活動報告―海外の生産者、その社会的背景

フェアトレードの向こう側へ─フィリピンSPFTCのジジさんを迎えて─

リゾート地として有名なフィリピン・セブ島から、ジェラルディーン・ラブラドーレス(通称・ジジ)さんが来日されたので、去る6月26日、フィリピン社会の最新状況の報告と、フィリピンの人々の闘いを報告していただく機会を持った。日本でも繰り返し報道されたフィリピンの食糧(コメ)不足についても言及され、具体的な状況を知る貴重な機会となった。

SPFTC設立の背景

ジジさんは、関西よつ葉連絡会で扱っているドライマンゴーや生マンゴーを生産する現地のフェアトレード組織SPFTC(Southern Partners and fair trade corporation)の代表をされている。

SPFTCは、南国の楽園として日本人観光客にも人気があるフィリピン第二の都市、セブ市に本拠を置いている。その設立の背景には、フィリピンの農業者の苦しい労働・生活状況があった。フィリピンの農地の多くは、未だ大地主によって独占されており、ほとんどの農民は小作人として働く、いわゆる土地なし農民だ。セブ島の農地もわずか5つの大地主が占有しているという。マンゴー農民に限っても、ほとんどが土地をもたず、地主から土地を賃借しているため経済的な負担を強いられてきた。また買い付けの段階でも華僑などの中間業者が安い値段でマンゴーを買い叩くため、農民が困窮する構造的な原因となってきた。

これに対して、マンゴー農民は組合をつくり、SPFTCと共同で自主流通・販売の仕組みづくりを行い、商品化に務めてきた。SPFTCの経営責任者であるジジさんは、大学で社会学を学んだ後、農民の生活向上プロジェクトに関わり、1996年、カトリック教会の援助でSPFTCを設立した。今では基幹商品であるドライマンゴーの販路は、日本だけでなく、欧米にも拡大している。中間マージンを排除し、適正かつ安定した価格での買い取りを目指すSPFTCのネットワークは徐々に拡大し、現在はおよそ4000戸のマンゴー農民がこの活動に関わっているという。よつ葉グループとSPFTCのつながりは深く、2001年から始まったマンゴーの商品取引にとどまらず、現地交流を繰り返してきた。報告会の参加者には、現地を訪問しジジさんたちと直接交流した者もおり、和やかなムードで行われた。ただ、今回はマンゴー生産にまつわる話ではなく、その背景となるフィリピン社会の現状をめぐるものだったため、極めて厳しい内容となった。

不安定化するフィリピン情勢

ジジさんが繰り返し訴えられたのが、フィリピンで現在も続く「政治的殺害」である。フィリピンでは歴史的に、人権や開発の問題に取り組んだり、農民運動に関わる活動家や教会関係者たちに対して暗殺が行われてきた。その犯人は、地主や開発業者の雇った民兵とされ、警察や国軍とのつながりも指摘されている。ジジさん自身も8歳の時に、弁護士の傍ら農民や労働者の権利向上の弁護に奔走していた父親を暗殺されており、「政治的暗殺」の被害者でもある。

現在のアロヨ政権下では、活動家だけでなく政権に批判的なジャーナリストの暗殺まで起きており、昨年の日比首脳会議の際に、日本政府側から真相究明と問題解決に向けた対策が求められたほどである。ジジさんが活動するセブ島でも、農民活動家リーダーらの暗殺や逮捕が頻発し、農民の生活や自然環境を守っていく上で、深刻な障害となっている。最近では、SPFTCでフェアトレードを担当しているスタッフ15人が、地主と交渉に行く途中にマンゴーと一緒に逮捕され、一晩抑留された。また、自然農法に従事している農民グループも19人が逮捕されている。

ジジさんによれば、恣意的な逮捕や暗殺がまかりとおる背景には、アロヨ政権が2003年に制定した「反テロ法」がある。反テロ法の下では、権力側に一旦「危険人物」とみなされれば、警察による超法規的な捜査や弾圧の対象となる。しかし、それでも逮捕・投獄されれば、まだマシだ。少なくとも、暗殺される危険は減るからである。実際、アロヨ政権下で暗殺された人の数は、悪名高いマルコス政権時代を超えているという。報告で紹介された関連映像では、アロヨ政権の司法トップのインタビュー・シーンがあったが、暗殺を実行する民兵と軍との関係について、一切調査するつもりはない、と断言していた。

コメ危機の背景にあるもの

フィリピンでは今なお、総人口の61%、5200万人が貧困ライン以下で生活していると言われている。その原因となっているのが、一握りの富裕層による富の独占だ。わずか3%の大地主や資本家が土地・資源の70%を所有しており、貧富の格差を固定化する構造的温床となっている。政治家の大半も地主出身で、貧困層の政治参加は困難であるため、政治制度の内部から構造的変化が生じることは期待できない。むしろ、権力と経済力が表裏一体の関係にあることから、賄賂や汚職が常態化し、既得権益層の利害が常に優先される。

フィリピンでは今年の春から食糧、とくにコメの不足が深刻化し、貧困家庭を直撃した。だが、ジジさんによると、世界的な食糧価格の高騰だけが原因ではなく、コメの横流しで利益を貪る農業省の役人も加害者である。また、95年のWTO(世界貿易機関)加盟によって始まった安価な外国産米の流入によって、国内の稲作農家が次々と棄農を余儀なくされたことも、食糧不足を悪化させた大きな原因だという。

にもかかわらず、フィリピンでは現在、農民に土地を分配するどころか、輸出農産物のためにこれまで以上に土地を使おうとしている。中国やマレーシアなどは国家レベルで、自国に食糧を輸入するためにフィリピンの農地を買っているという。これに開発プロジェクトや工業用途への農地転用が加わり、食糧生産のための農地はますます減少していく。ジジさんが住むセブ・ボホールも、かつてはフィリピン有数の稲作地帯だったが、工業化によって大きく様相が変わってしまった。

最大の援助国、日本の責任

そうした工業化を促進してきたものこそ、ほかならぬ日本の「ODA(政府開発援助)」である。日本はフィリピンの最大の援助国として、現地の開発計画に多額の援助を行ってきた。だが、そのほとんどは、現地の人々に役立つどころか、むしろ人々の生活を脅かすような、港湾や道路など大型のインフラ事業に偏重している。ジジさんが詳しく報告された、セブ島での輸出加工区用インフラ整備に向けた海岸の埋め立てと湾岸道路建設は、その悪しき象徴である。

まず、海岸の埋め立てによって海流が停滞し、海底砂のヘドロ化が起こり、沿岸漁民が生活の糧としていた魚や貝の量が減少した。さらに、湾岸道路建設によって、代々そこに暮らしていた人々は強制立ち退きを余儀なくされ、コミュニティーは崩壊してしまった。人々は開発によって豊かな暮らしを享受するどころか、それ以前にも増して貧困を強制される結果になったのである。ちなみに、SPFTCは、こうして生業を奪われた人々をマンゴーの加工工場で雇用している。そのために、加工ラインは、あえて機械化しないという。

今回の来日で、ODAの問題を訴えて全国を回られたジジさんは、こう繰り返しておられた。「こうした状況をまず知り、つながり、連帯して、日本の中にも広げてほしい」。実際、ODA予算は日本市民の税金であり、納税者の声はフィリピン政府への大きな圧力にもなり得る。「生計の手段であるマンゴーへの支援とともに、それぞれの立場から具体的な連携を継続してほしい」。今回の報告は、取り扱っているマンゴーが生産される社会的背景を共有するための、貴重な機会になったと言える。今後とも、マンゴーを通じた具体的につながりを継続するとともに、その背景をできるだけ深く伝えられよう、取り組みを重ねていく必要があると感じた。(松平尚也:研究所事務局)


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