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研究会報告―「『よつ葉らしさ』の根源を探る」第2弾 A

組織の拡大と労働・相互関係の変容

関西よつ葉連絡会の事業活動の中で生じた出来事について、その意味と今日的な教訓を考える研究会。2回目となる今回は、「よつ葉はどう協同して働くのか―組織が拡大していく中で矛盾が顕在化」と題して、6月27日に実施した。関係各社の若手を中心に、前回を上回る80人近い参加者が集まった。

80年代の事業の拡大

1980年によつ葉牛乳関西共同購入会が分裂して生まれた「関西よつ葉連絡会」は、その後、近畿各県に配送拠点の産直センターを設立し、会員組織の拡大を進めていきます。同時に、よつ葉牛乳のみの共同購入運動から、牛乳以外の農産物、加工食品へ取り扱いを拡げていく方針を決め、手作りで商品カタログの作成が開始されるようになっていきます。

カタログ『ライフ』の発刊は1984年1月。同時に、商品企画やカタログ作成に関する業務を担う組織として、現在の鰍ミこばえ、鰍謔ツば農産の前身となる「関西よつ葉連絡会・事務情報センター」が、大阪府箕面市に設立されました。

その頃、関西よつ葉連絡会の配送システムは週2回配達で、「月・木コース」と「火・金コース」に分けられ、水曜日と土曜日は「仕分け日」として、池田市と摂津市にある二つの配送センターに全産直センターの職員が集まり、産直センター別の仕分け、会員別の仕分けを全員で協同して行っていました。

こうして、商品企画、受発注業務、産地・生産者との出荷打ち合わせなどを担う「事務情報センター」と、配送部門を担う各地の「産直センター」という形で、仕事の分業化・専門家が進んで行きます。それは事業規模の拡大に伴う必然的な流れでしたが、これまで全員一体の協働によってつくり上げられてきたよつ葉の労働現場に効率化の風が吹きはじめ、コンピューターの導入も視野に入ってくることになりました。

今から考えると想像し難いことですが、当時、関西よつ葉連絡会に参加する各社の代表が集まる代表者会の場で、業務へのコンピューター導入の是非をめぐって、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が闘わされています。

「FAX事件」の勃発

その後、1987年には事務情報センターを法人化して鰍ミこばえが設立され、事務所も豊中市に移転しました。同時期、設立間もない鰍ミこばえは、よつ葉のモデル店舗として、豊中市に「ふるさと広場・東豊中店」を開設します。そんな中、同年9月に起きたのが、今回のテーマに関わる出来事、いわゆる「FAX事件」です。

二つあった配送センターの一つ、摂津市の北大阪センターでは、物品の仕分けと会員への配送を行っていました。実務を担っていた若手の職員たちは、体力的にキツく、資金繰りも厳しい中、それでも「上下関係のない、対等な労働」ということで頑張っていました。

ところが、それまで顔を付き合わせて行っていた物品の確認や受発注は、鰍ミこばえから送られてくるFAXによる一方通行の「指示」に変化します。あたかも一種の「上下関係」のように、FAXを送られる側にとっては、情報を握っている側の都合で自らの仕事がコントロールされていると感じられるようになりました。こうして、若手職員の数人が「FAX」に象徴される官僚的な仕事のやり方に怒りを爆発させ、業務をボイコット、ストライキ状態に至ります。

また、この事件を発端として、当時、各産直センターの代表者で構成されていた関西よつ葉連絡会の世話人会と全産直センターの職員、パート職員が一堂に集まって、事件をどのように捉え、どう対処して行くべきかを話し合う集会が開催されました。

現在進行形の問題として

今回の報告者は、当時、鰍ミこばえの事務責任者だった津田順子、北大阪センターの代表だった藤間一正、同じく北大阪センターで働き、業務ボイコットを行った寺本陽一郎、府南産直センターの代表だった渡邊了、そして、よつ葉のコンピューター・システムの歴史に詳しい、クリエイト大阪鰍フ森下雅喜――の各氏です。

報告は、それぞれの立場から、当時を振り返って事実経過と背景状況を説明し、それに対して他の報告者が別の角度から補足を加えるという形で行われました。基本的な要点は、以下の諸点に集約されると思います。すなわち、それまで各々の配送センターや産直センターが独自に担っていた共通の業務を統合して、効率化を図るという至極当たり前の努力が、結果として相互の意志疎通を欠くことになってしまった原因はどこにあったのか。分業化、専門化それ自体が悪いのか。コンピューターを「使う」ことと、コンピューターに「使われる」ことの違いをどう考えるのか、等々。

言うまでもなく、これらの問題は決して解決されたわけではなく、現在もなお不断に問われている問題です。その意味で、報告者の話はいずれも、参加者の関心を大いに引きつけたように思います。(研究所事務局)

◆  ◆【参加者の感想】◆  ◆

当時と今、同じものと違うもの

私が今いる「よつ葉」ってどんな風に生まれ、作られ、現在の形になってきたのか知りたいと思い、今回の「よつ葉らしさの根源を探る・パートU」の第2回に参加しました。話を聞いて、今も20年前も同じことを言っているなぁ、私もこの時代に「よつ葉」にいたかったなぁ(っていうか、いたらどうしていただろうか)という感想を持ちました。

今も、よつば農産と産直センターやお店との間で、「野菜が1個たりない!」「そんなはずないからもう一回数えて!」「…ゴメン合ってました!」とか「他の産直に間違って出荷していましたスミマセン!」というやりとりが行われているし、いつ配達分かわからなくなる平澤さんのりんごも健在です。クリエイトとも同じです。

そろばんこそ使わないし、事務所はずいぶん立派になって、当時よりずっと便利で楽になったのだろうけど、やっぱり今もシステムが動かなくなったら「クリエイトで何かシステム修正した?」と即電話。あっちを直せば、こちらがおかしく…、なんていつものこと。

昔と同じように、クリエイトは、故障を直し続けているように思います。でもなんとなく、私はそんな「よつ葉」が好きです。手作り感たっぷりで、みんなで一緒に会社を作っている感じがするし、そんな会社は、他にはないと思うからです。

「貧乏でとにかく必死だった」「いつも喧々諤々やっていた」と、懐かしそうに話される当時の様子を想像すると、大変なんだろうけど、楽しそう。何よりも、職場の仲間・友人以上の強い絆を感じました。

何もないところから共に話し合って作り上げ、苦労を共有してきたからこそ生まれた、強い信頼関係。生産者との関係も同じで、当初から苦労して共に頑張ってきた信頼がつくられています。「よつ葉」という土台づくりができた中に、ひょこっと加わった私たち世代との違いを感じずにはいられません。

何が違うのだろうか?と考えると、「よつ葉」を作ってきた人たちは、生活まるごと「よつ葉」なのに、私たちの世代は、家に帰ると、「よつ葉」以外の家庭があり、友人がいる。「よつ葉」は職場。という部分が大きく違うのではないでしょうか。それとやっぱり「必死さ」がないのではないでしょうか。

もちろん日々の仕事に追われながら一生懸命にこなしてはいますが、自ら何かを生み出すほどのパワーが足りないのではないでしょうか。そしてそんな私たちは、これからどのようにして今の「よつ葉」を引き継ぎ、作り続けていけば良いのでしょうか。具体的には、まだまだ見えないけれど、そんなことを考えた「よつ葉らしさの根源を探る・パートU」の第2回でした。(上山美奈:よつば農産)

全体を捉える想像力を掻き立てよう

よつ葉の「FAX事件」については、今までに何度となく耳にしてきました。ただ、誰が、何で、といった詳細を知ることなく、「FAX事件」という大見出しだけを聞いているにすぎなかったので、今回の報告を聞いてモヤモヤが晴れたような気がします。

ただ、単にコミュニケーション不足を原因とするには、短絡的に過ぎるように思います。現場の者と事務局の者とが連絡を密に取り合っていれば「FAX事件」が起こらなかったのかといえば、そんなことはないと思うのです。コミュニケーションをめぐる人と人との関係がどうなのか、ここが問題ではないでしょうか。

当時に比べ、現在のよつ葉は配送センター、加工工場、生産現場が増え、働く人も増えました。お互いに、誰がどこで働いているのか、分からないことも珍しくありません。コミュニケーションをとることは、はるかに難しくなっているように思えます。業務をこなす上で、仕方なく事務的にならざるを得ない場合もあります。ここをどのように意識するかが大きな点です。

寺本さんは「最後のところで社長と従業員とは対等な関係にはならない」と断言されていました。寺本さんの本意を違えて捉えていたなら申し訳ないのですが、本当にそうでしょうか。

確かに、雇う側と雇われる側、会社の方針・指示を出す社長と社員では立場が違うのでしょう。社長や仕事ができる古い人に対して、入社して間もない人が立場を意識してモノが言えないのは、ある意味普通なのかもしれません(ちゃんと言える人になってほしいとは思いますが)。

だからと言って、それは変わらない、変えられないのでしょうか。古い人が偉いわけじゃない。社長だから正しいわけじゃない。偉いから社長になったわけではない。対等な関係を作るのは、一般的に言う「上に立つ」人(そもそも、こうした表現に抵抗がありますが…)、「対等な関係を作らなければ」と考えている人の責任だと思うのです。

無理かもしれない。でも、無理だと決めつけない。この時点で無理だとしたら、自分の会社内やよつ葉内だけではなく、生産者とも、会員とも対等な関係を作ることはもっと無理な話になってしまいます。金と物をやり取りする中で人間関係が作られがちな今日、さまざまな人々と対等な関係をつくるのは、並大抵なことではありません。

「一生懸命は誰でもやる。ドロボウだって一生懸命やってる」。寺本さんからの批判を受けて、津田順子さんが思い至ったというこの言葉も、さまざまな機会によく耳にしました。

自分だけが、自分のことだけを一生懸命やってもダメなんだ、と。相手がどうなのか、全体としてどうなるのか、想像力を掻き立てないと、資本主義社会の中で競争を強いられ、知らず知らずのうちに個人主義に陥り、大切な想像力が退化し、欠落していくように思います。

もちろん、自分自身、想像力のなさを痛感しています。そんな時には、能勢農場で経験した生産現場の日々に立ち返って考えます。一人ではなく、他人と一緒にやる。自分の思い通りにならない自然と向き合う中でやる。決まった仕事、一つの仕事だけでなく、何でもやる。全部やる。そうした中で、自分が目指すべき関係のありようが見えてくるように思います。

いずれにせよ、僕にとって「よつ葉らしさの根源を探る」研究会は、日ごろ何となく考えていることを一つ一つ整理していくための機会になっています。(嶋吉孝保:産地直送センター)


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