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活動報告:アソシ研懇話会

「日本小農論のアポリア」をめぐって

「アソシ研懇話会」は、これまでの講演学習会に加え、さらに専門的な話を聞き、論議することを主旨として、新たに企画された。その第一回目として5月31日、昨年の講演学習会に引き続き、野田公夫さん(京都大学農学研究科、比較農史学)にお願いし、「日本小農論のアポリア―小農の土地所有権要求をどう評価するか」として報告いただいた。以下は、その簡単な概要と参加者の感想である。詳細については同名の論文(今西一編『世界システムと東アジア―小経営・国内植民地・「植民地近代」』日本経済評論社、2008年、所収)に記されているので、ここでは割愛する。ぜひご参照いただきたい。

論題設定の狙い

野田さんに話題提供をお願いした理由は、農地問題を考えるに際して歴史的な視野が必要と考えたためだ。耕作放棄地が耕地面積全体の約1割に及ぼうとする現在、政府・農水省は農地法の改定を含む農地政策の見直しを進めている。その柱は、農地の所有と利用を分離し、利用の原則自由化によって、大規模経営に向けた農地の集積、企業による農業参入を促すことにあるとされる。実際、規制緩和の旗頭である経済財政諮問会議の民間議員、あるいは日本経団連などの財界からも、農地の流動化を求める声が上がっている。

これまで日本では「自作農主義」「耕作者主義」を謳った農地法の下、農地所有は耕作者や農業生産法人に限定され、利用についても厳格な手続きが必要とされた。しかし、農業が全般的に衰退する中、「農業の復活=市場原理の貫徹=個別経営規模拡大」との図式から、自作農・耕作者主義を経営規模拡大の「主要敵」と見なす論調が浮上してきた。もちろん、日本農業の実状を直視すれば、その虚妄性を指摘するのは容易い。しかし、実状と乖離しがちな政策の次元では、一定の力を確保していることも、また事実である。

こうした現状に鑑み、今後ますます焦点化してくるだろう農地政策に対抗する上でも、また将来的に望ましい人間と土地との関係を模索していく上でも、歴史的経緯とその問題点について把握しておくべきだと考えた次第である。

難問(アポリア)」とは?

野田さんによれば、近現代の日本農業史に関する研究はこの間、小農の主体性と能動性の解明に大きな成果を上げたという。

小農とは、営農規模の大小による規定ではなく、家族単位ないし極めて限定された雇用を伴って行われる農業の形態を意味する。日本を含め、東アジア・東南アジアでは広く見られる形態だ。ところが、いわゆる「マルクス主義」に基づく従来の研究では、小農は資本主義の進展とともに「地主・農業資本家・農業労働者」へと三分割されていく過渡的な存在として、消極的な役割しか与えられていなかった。すなわち「農民層分解論」である。この前提の上で、農業問題の解決は、生産関係の転換を通じた土地の国有化と社会主義的大経営によって果たされる、とされたのである。

しかし、農業史における実証研究が進展し、さらに現存社会主義諸国における農業・農民問題の惨状が露呈する中で、やがて「農民層分解論」を基準とした分析の空虚さが明らかとなる。これを踏まえ、外在的な「法則」の適用ではなく、むしろ農民の生活実態や規範意識に即した構造分析から、小農という存在の独自性、歴史における積極性を引き出してきたのが、この20年ほどの成果だという。昨今の農業問題を考える上でも、こうした蓄積を無視することはできないはずである。

ところが、先に見たように、農業に関する経済学的な現状分析では、歴史研究の成果とは正反対の議論がまかり通っている。市場原理の貫徹を通じた小農の淘汰をこそ歴史的必然とする点では、まるで「農民層分解論」を裏打ちするかのようだ。

歴史研究と現状分析が同じ現実を問題にしながら正反対の議論を行い、しかも相互に何ら影響を与えていない断絶状況。これこそ、野田さんの言う「日本小農論の難問(アポリア)」であるが、この「難問」は、とりわけ「自作農主義」を柱として捉えられてきた農地問題をめぐって生じている。というのも、歴史研究では、自作農化つまり土地所有権の獲得は、近代地主制の下での経営確立策として、また伝統的土地規範の復権として、歴史的評価を受けつつある一方、現状分析からは、構造政策(資本主義的大経営)に対する最大の障害であり、農業崩壊の根本原因として批判されているからだ。

もっとも、後者に与する必要はないにせよ、耕作放棄地が拡大し、限界集落が増大する今日の農村では、農地の有効利用が求められながら、現実には土地所有権が足枷となって活用を妨げている側面がある。その意味で、戦後の農地改革を通じた自作農体制の意義を認めつつも、その歴史的な限界性を指摘することは可能だろう。野田さんはこの点について、小作料減免つまり耕作権確立を要求する小作運動が、なぜ土地所有権つまり自作農化を要求するようになったか、という問題を媒介に、近現代の日本における農地所有の特質、それが内包した問題点の解明に進んでいく。

戦前の小作争議と農地問題

今日に至る農地問題の発端は、明治維新によって、従来の伝統的な土地慣行に近代的な法体系が外部注入されたことにある。伝統的土地慣行にとって農地は私的所有の対象ではなく、「ムラ」や「イエ」に支えられた重層的な権利関係の中にあり、それ故「地主・小作」関係も一義的に固定されたものではなかった。これに対し、地租改正を通じて土地所有権が確定されることで、「地主・小作」関係も近代的な「所有・賃借」関係に再編され、両者の間に決定的な分岐が生じていく。その一方、日常生活では依然、「生ける法」としての伝統的土地慣行が存続しており、近代日本の農村秩序は、こうした近代法と「生ける法」との二重構造によって維持されてきた。

この二重構造の持つ矛盾は、明治末から小作争議として爆発する。とくに大正期の1920年代には、西日本を中心に拡大・深化した。ただし、争議の多くは小作料の適正化を目的とし、土地所有権そのものを要求したわけではない。大義名分は、「生ける法」の秩序に訴求する「ムラの平和の回復」である。それ故、争議の対象も不在地主(村外地主)に絞られ、在村地主との間には協調関係すら形成された。確かに、争議の過程では土地所有権要求が提起され、実際に土地取得も行われたが、それは個別経営の拡大というより、実態としては、むしろ「ムラの土地の保全」を掲げた不在地主からの買い戻しだった。

一方、国家の側は、当初こそ地主層の権益擁護と争議沈静化を目論むものの、20年代中期以降はムラの秩序維持を主眼として、地主抑制策に転じた。その一環として、25年には小作の土地買い取りを支援する「自作農創設事業」が開始される。とくに戦時体制下では、食糧増産を目的として自作農化が重視され、小作争議の要求が政策次元で実現されていく。

これに対し、22年に創設された日本農民組合の指導部は、教条的なマルクス主義理解の影響の下、ロシア革命における「労農同盟」を範型とし、社会主義革命を通じた土地の国有化に最終目標を置いていたため、小作の土地所有には否定的であり、むしろ「土地不買運動」を掲げたのである。

土地所有権要求の意味

以上、土地所有権をめぐる三者三様の思惑と対応は、最終的には、戦後の農地解放における「総自作農化」の積極的受容へと収斂していく。ここで問題となるのが、こうした歴史的経緯を踏まえて、土地所有権要求に含まれた内的論理をどう捉えるか、である。

野田さんによれば、この点での積極的な意味づけとして、@小経営強化への貢献、A伝統的土地慣行の復権―という二つの観点が挙げられる。

前者は、資本主義の進展における階級分化を前提としつつ、その中に独自の存在として小経営(小農)を位置づけるものであり、これまでの教条的なマルクス主義理解が捨象してきた農民(運動)の実態に内在することを通じて、「迂回」「過渡期」「改良」といった段階の固有の意味を重視したものと言える。

また後者は、歴史法則の普遍的適用とは異なり、むしろ「イエ」「ムラ」に象徴される日本の農業・農村の固有性を重視する観点から、こうした関係の中で形成されてきた農地慣行のあり方を明らかにし、それとの関係で土地所有権の問題を位置づけ直そうとした。ここからすれば、土地所有はイエやムラの秩序を維持・強化することと切り離された私権ではあり得ない。むしろ「耕すものが所有する」という伝統的な土地観念の復権であり、近代法と「生ける法」の二重構造の中で、近代法が生み出した寄生地主制を、「生ける法」に基づく土地慣行によって克服しようとするものと評価できるのである。

以上、「マルクス主義の教条的理解」から「その日本的適用への工夫」を経過し、「イエ・ムラ論による再解釈」を潜ることによって、戦前の小作農の土地要求は「生ける法」に立脚しつつ新しい時代状況に対応したものとして、歴史的に位置づけることが可能になったと言える。

歴史的成果とその限界

とはいえ、こうした歴史的成果と現代の状況をつなぐには、前者の限界づけ、つまり歴史的成果の中で見落とされたものの確定とその克服が不可欠である。これについて野田さんは、@山林と農地の分断・農地の孤立化、A近代の暴力への対抗手段としての所有、Bムラ領域の変化と土地規範の変質、C国家の前面化と社会の従属、D「ムラの平等原則」の政策的修正―の5点を挙げているが、中でもAとCに注目したい。

もともと、「生ける法」としての伝統的な土地慣行は、あくまで近代的な土地所有が伴う暴力への対抗論理として復権されたものであり、それ自体が過去と現在を超える新たな土地慣行を形成したわけではなかった。また、伝統的な土地慣行も、その基盤となるムラやイエ、それを取り巻く諸状況が変化している以上、かつてと同じ機能を果たすわけでもない。むしろ、諸状況の変化次第では、「生ける法」に依拠して生まれた成果自体が「生ける法」に対立する可能性すら出てくる。

というのも、今日の農村の状況を見れば、農地解放によって獲得された自作農的土地所有は、「ムラの論理」に支えられて形成され、存続している側面を持ちつつも、同時に近代的な土地所有における私権としての側面を持つが故に、ムラにおける農地利用の新たな可能性を制約する条件として機能してもいるからだ。

ここで野田さんは、「生ける法」が近代的土地所有への対抗論理を超え難かった大きな理由として、「国家の前面化」を挙げる。既に見たように、小作争議の進展を受け、国家の側も20年代後半には地主抑制に転じたが、それは当然、小作争議の論理とは異なる。むしろ、近代地主制を基礎とした明治期の政治経済体制から、産業資本を基礎とする新たな段階への移行を背景に、新段階における政治経済体制の強化を目的にとして、伝統的土地慣行による近代地主制の統制が図られたのである。戦時体制下における自作農化の促進も、その延長線上にあり、小作争議の要求が政策次元で実現されたことは、伝統的な土地慣行の重視という表面的な類似性の陰で、小作争議の潜勢力が国家主導の総力戦体制に回収されたことを意味する。

ただし、結果的に限界を伴ったとはいえ、「生ける法」を復権する内的論理の中に、限界を突破する契機がなかったわけではない。近代法がもたらす現実の諸動向と「生ける法」との対立・綜合という過程が、ムラの共同性に基づく自律的な社会の働きとして営まれていれば、対抗論理が対抗の段階を超え、新たな土地規範として再生される可能性は存在したという。

新たな重層的土地所有へ

「国家の前面化」によって、「生ける法」を再生する可能性が閉ざされたとすれば、グローバル化の中で国家の位置が揺らぎを見せる今日、自律的な社会の力によって新たな土地規範を形成する可能性は残されている。これは、私権に基づく商品化を柱とする近代的な土地所有の限界が明白となった現在、戦後の農地改革によって得られた自作農体制の歴史的意義を認めつつ、それをどう超えていくか、という問題でもあるだろう。

この点で、市場原理の徹底を唱える人々は、近代的な土地所有自体に問題はなく、むしろムラや農政こそ近代的な土地所有の貫徹を妨害するものと捉え、小農の淘汰と一部大経営への政策的支援を軸とする「構造政策」によって自作農体制を超えようとしている。しかし野田さんは、農業類型から見た日本農業が、地縁的共同なしに安定的成立はあり得ないことから、近代的な土地所有の限界を指摘し、それと同一化してしまった自作農体制の超克をこそ課題とする。すなわち、自作農体制として結実した「生ける法」の世界を、近代的な土地所有による包摂から引き剥がし、今日の諸条件に即して復権・再生することである。

その際の要点として、野田さんは、私有でも公有でも国有でもなく、「私」と「ムラ」と「天」をアクターとする重層的土地所有、それを可能にする新たなムラのあり様を指摘している。それを如何に実現するか、そのための関係をどうつなぐか、歴史研究を踏まえて現状分析を批判する実践側の回答が求められている。(研究所事務局)

伝統的土地観を再生する基盤はどこに─野田さんのお話を聞いて─

野田さんのお話を伺って考えさせられた点について、少し報告したいと思います。

第一に興味深く教えられたのは、江戸時代に一定の完成型を成熟させていた日本農業の現場が、明治以降の急激な近代化の嵐の中で、どのように変容をせまられ、農民がその中で闘い生き抜いて来たのかという過程を非常にリアルに感じ取ることができた点です。野田さんも、西欧社会をモデルとした輸入理論の直訳型解釈では見えない、日本の農村社会の実証研究が進んできた成果だと指摘されていましたが、農村、農業の現実に立ち向かう私たちが、そうした研究成果から学ぶべきところは大きいと、改めて痛感させられました。

時代状況としては、基軸通貨としてのドルの信頼が大きく揺らいでいる中で、食糧や原油の価格が急騰する昨今です。その中で、相変らずの減反政策を基本とする日本農政の失敗は誰の眼にも明らかとなりつつありますが、現場を知らない学者や官僚は、これまた相変らず「市場原理の貫徹」を叫んでいます。反応している少数の農家や企業はもちろんありますが、大半の農家は、反応する気力さえ失いつつあるというのが、現実のように思います。そこに、日本の農村、農業の深刻な危機状況があるわけで、その状況を、どう変革しうるのかという課題が、まずは中心に置かれる必要があることを、改めて考えさせられました。「有機農業」「環境保全型農業」「地産地消」等々の実践が、この課題とどう向き合って、変革の道すじをどう示せるのかが、問われていると思います。

二番目には、野田さんが結論として提起された、現代的土地所有への模索という課題があります。近代的な土地所有でもなく、農地の国有化でもない土地所有のイメージは、明治初期の農民の土地所有観を一つの象徴として提案されています。「上土は自分のもの、中土はムラのもの、底土は天のもの」という言葉に示された農民の土地所有の実感を、今日の社会の中で、どのように再生しうるのか。そうした土地所有観に基くムラの今日的姿とはどのようなものなのか。その課題を考え、実践していかなければと感じました。野田さんは、この課題を考えいてく上で重要なポイントとして、@農業と山(林業、畜産)の結合、A流域圏(交通、循環)の二点を指摘されています。この指摘を、私たちのこれまでの実践と結びつけて、私なりに解釈を広げてみると、一定の地域内で協同する農業、畜産の協同事業体を核とする地域内農家のゆるやかな連合体がイメージされます。核となる協同事業体は近隣の都市消費者とつながっており、農産物の集荷・販売、人と情報の相互交流の推進役を果たすものです。

しかし、こうした事業体は決してその機能を物流に特化することなく、地域内農家と共に、農業、畜産の現場を担う存在であることが重要です。地域内の個々の農家の農業実態は多様であり、営農主体も流動的に変容が可能でなければなりません。協同化が必要とされる農家には協同作業を。肥料の供給や農作物の出荷のみの関係もあれば、新規就農者の紹介による営農主体の供給も必要とあれば可能。そんな多様な地域内農家の連携が、その地域内農地の所有意識に、かっての明治農民の土地所有観を個々の農家によみがえらせうる社会環境となるのでは。そんな構想を思い描きながら、野田さんの熱のこもったお話しを楽しませていただきました。(津田道夫:研究所代表)


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