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研究会報告:「『よつ葉らしさ』の根源を探る」第2弾 @

関西よつ葉連絡会、その発足の経緯

よつ葉グループは戦後の北大阪における社会運動の中から形成された。前身も含めれば、50年ほどの歴史になる。現在、グループの中心的な位置を占める関西よつ葉連絡会も、発足から30年近くになろうとしている。その過程では当然にも、後の歩みを規定するような多くの出来事が生じた。こうした出来事の経緯、それをめぐる経験の蓄積を考えることで、よつ葉グループの現在を再確認し、今後の方向性を考える材料にしたい――。そんな問題意識から、主にグループ内に呼びかけ、研究会を開始した。

研究会について

一昨年、当研究所の主催で、短期集中型の研究会として、「『よつ葉らしさ』の根源を探る」と題した研究会を半年間ほど開催しました。関西よつ葉連絡会という組織が、その形態や事業の進め方、食べ物の捉え方や農業への観点を、どのような思想に学びながら形成して来たのか、社会思想史に触れるところから探っていこうという内容でした。テキストとして、やや難解な論文を2週間に1回のペースで読みながら議論するというスタイルをとったために、予想通り、当初は25名程で始まった研究会も、終る頃には10名足らずという、お決まりのパターンになりました。しかし、自分たちが働いている現場で、あたり前のごとくに了解されている、さまざまな事柄をめぐる判断、対処法、組織形態、賃金体系等に、それなりの考え方が貫かれていることを、少しは気づいたり、考えたりするきっかけくらいにはなったのでは、と評価しています。

今回、この「よつ葉らしさの根源を探る」研究会、パートUとして企画した研究会は、パートTと同様、短期集中型の研究会として、設立以来28年を経た関西よつ葉連絡会の形成史を、当時、中心的にかかわった人たちの率直な証言を通じて、捉え直そうという試みです。関西よつ葉連絡会がたどってきた歩みの中で、後から振り返って、岐路となったり、重要な内容を確認することとなった出来事や事件、論争をとり上げて、当時を知る何人かの方々に報告してもらうことが中心です。ただ、あまりまとまった、後から振り返って意味づけた証言ではなく、できるだけ当時の生の状況を語ってもらい、研究会参加者との質疑を交えて、その事件や論争の今日的意味を考えるスタイルを考えています。

毎月1回、計5回を予定していますが、報告の詳細については別途、全5回分を冊子にまとめるつもりです。そこで本誌では順次、毎回の簡単な流れと参加者の感想文を掲載することにします。

当日の簡単な流れ

さて、第1回は5月23日、「よつ葉の食べ物に対する考え方、その形成史の出発点―関西共同購入会の分裂と関西よつ葉連絡会の発足」と題して行いました。報告者は、津田政己(現・北大阪商工協同組合理事長)、中川健二(現・関西よつ葉連絡会代表)、鈴木明美(現・鰍ミこばえ代表)の三方、いずれも発足時からのメンバーです。

関西でよつ葉牛乳の試飲説明会が行われ始めたのは、1975年頃でした。翌76年には豊中、川西、吹田等で共同購入会がスタートし、77年に「よつ葉牛乳関西共同購入会」が発足しました。牛乳の卸元であるホクレン(ホクレン農業協同組合連合会)の本州展開への思惑、消費者運動の進展など、さまざまな条件が絡み合って生まれたものです。

当時は代金前払い、ケース単位でのグループ配送で、夜間にグループの定められたスポットに牛乳を置いていく配送でした。この共同購入会運動に参加して来た人たちには、さまざまな社会運動、政治運動に関わっているグループがありました。やがて、ホクレンがLL(ロング・ライフ)牛乳の生産に動き出したことをきっかけに、その対応をめぐって意見の分岐が表面化し、関西共同購入会の内部対立が激化します。

こうして、1980年に関西共同購入会が分裂し、同年12月に関西よつ葉連絡会が発足しました。この点について、報告者からは当時の苦労話や笑い話も含め、その背景にあった考え方の違いについて言及がなされました。表現は三者三様ながら、根幹となる部分は共通していたように思います。

それは、食べものをそれ自体としてのみ捉えるのではなく、それが生み出される社会的背景との関係で捉える立場と言えるでしょう。安全であるべき食べものが安全でない現状は、決して自然に形成されてきたわけではなく、政治や経済を含む社会全体のあり方と密接に結びついています。つまり、食べものの歪みは社会全体の歪みの反映と考えることができます。とすれば、根本となる社会のあり方を変えない限り、部分としての食べものにどれほど安全性を求めても、本質的に「安全な食べもの」を得ることはできないでしょう。

もちろん、根本的な解決が必要だからといって、最終局面まで何もしなくてよいというわけではありません。現時点で可能な対応として、できる限り安全な食べものを追求することは、必要でもあります。しかし、安全面のみに注目してしまえば、生産や加工にまつわる現実を含めた食べものの社会性は後景に退き、甚だしくは食べものの安全性を単に機械的な数値の問題として扱う危険性も生じてきます。

この点で、後に関西よつ葉連絡会を設立する報告者諸氏は、必ずしも目先の矛盾の解決に特化せず、矛盾をその発生源との関係で捉え、発生源を克服するために必要な諸関係の形成にこそ力を注いできたと言えるでしょう。これは、その後の関西よつ葉連絡会の食べものに対する関わり方、考え方の原点であり、いまなお「よつ葉憲章」に記されているとおりです。

そうした観点が形成された背景については、関西共同購入会への関与とは別に、それ以前から大阪北部を中心に行われてきた多様な社会運動、地域運動とのつながり、それらに基づく能勢農場の建設といった多様なネットワークの存在を抜きに語れません。これら、いわば「外部」の存在が、食べものそれ自体に特化する傾向への歯止めとして機能したものと思われます。一方、よつ葉グループにとって農畜産物の生産や牛乳の配達は、当初は活動家の「メシの種」、あるいは運動継続のための手段と見られる側面が強かったものの、分裂の過程を通じて、単なる手段としてだけではなく、社会の現状を象徴する領域として位置づけ直されるに至ったと考えられます。その意味で、分裂―自立の過程は、確かに「原点」と言い得る重要な意味を持ってると思います。(研究所事務局)

過去の闘いの上に今がある─報告を聞いて考えたこと─

ある企業の「らしさ」は、創業者がつくり上げたものではないでしょうか。「ホンダ」なら本田宗一郎、「ナショナル」なら松下幸之助、というように。では、「よつ葉は誰が?」と聞かれたら、それは今回報告された「ビッグ3」(配送センターの誰かがそう呼んでいた)ではないでしょうか。誰と、そしてどんなことと闘いながら、どんな思いを形にして「よつ葉らしさ」がつくられていったのか、大いに興味を抱き、参加しました。

「あっという間の2時間」というのが率直な感想です。とくに、3人の瞳が印象に残っています。瞳を通じた表情からは、今までよつ葉をつくってきた自負と誇りとが感じられました。まだ3年と少ししか働いていない僕にもそれが伝わり、胸の中には羨ましさと興奮が混在していました。そして今、改めて思い直すと、当時のそのような闘いの上に今があることへの感謝の念が湧いてきます。

当日のお話の中で、とくに考えさせられた言葉をいくつか挙げてみます。

まず、「『安全な食べもの』というスローガンは、非常に過激だと認識しよう」。僕も普段から、「安全・安心」という言葉を何気なく使っているものの、実は世の中の本質をも表していたことに気づかされました。と同時に、今後は、むやみに使わないように肝に銘じておかなければ、この言葉が持つ本来の重みを失いかねないと感じました。

次に、「(上司から)『おもろない仕事なら辞めてしまえ』と言われ続けていた」。これは正論ですが、僕にとっては口に出すことがためらわれるほど正論過ぎます。まして、自分が上司になった時、相手にきっちり言えるかと考えると……。いずれにしても、自分が仕事に対してどれだけ真摯に向き合っているか、問われる言葉だと思います。

そして、「内部からじっくり変えていかないと、本当の変化は起こせない」。僕は現在、関西よつ葉連絡会の研修部会を通じて、食物アレルギーの勉強会を行おうとしています。アレルギーっ子の親として、よつ葉の食物アレルギーに対する意識の低さを嘆いていました。そこで当初、例えば外部から講師を招き、講演を通じて意識を変えてもらおうとか、企画部門の「ひこばえ」に全原材料表示をしてもらおうとか、と考え提案しました。ところが、「どこか他人まかせで早急に変えようとしている」と指摘されました。僕としては、社会全体の歪みを背負っている子供とその家族という構造が現実にある以上、そこに救いの手を差し伸べたいのですが、「それが根本解決になるのか」と問われると、自信がありません。

その一方、根本から変えるにしても、やはり目の前の現状を解決していかなければ根本的な変化にたどり着けないのでは……とも思います。そんなこんなで、自分の中でどう消化し、どう解決していこうか、いろいろと悩んでいました。

先の言葉は、この悩みを整理してくれるきっかけになった気がします。当事者だけの問題ではなく、社会全体の問題であることをより多くの人に認識してもらい、地に足をつけて一歩一歩前へ進む行動していこうと思い直しました。最終着地点はまだ具体的に描ききれておらず、ましてそこへの過程も作れていません。悩みは尽きませんが、僕が今できる精一杯のことをやって、それが本当の意味での変化につながっていければ、と考えています。そして、それが大きなうねりとなり、社会を変えていく力になればと淡い期待をしつつ、日々の仕事にも活かしていきたいと思います。

今回の2時間を思い起こすたびに、それまで気づかなかったさまざまな視点をもらったように感じます。有難うございました。(中澤将元:よつ葉ホームデリバリー京滋)


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