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この国で生きるわれわれの問題として

釜ヶ崎フィールドワークを終えて

今まで野宿者の問題をとりわけて考えることはなかった。社会の目も多くは、彼らのそこにいたる経緯や背景を無視し、競争社会に“負けた”自己責任を問うことばかりし、一線を画して見ていたのではないかと思う。しかし、一歩その世界に歩み寄ることにより、そういった考えは覆された。

そこにはいろんな人がいるだろう。しかし中田さん(釜ヶ崎炊き出しの会)、中桐さん(長居公園仲間の会)らの話を聞き、そこで生活する人々は自らの選択で社会との隔離を図った人々ではなく、なんとか生きようと、空き缶やダンボールを集めたり、露店を出したり、むしろ、社会での共存や自立を求める人々ということがわかった。

ここには貧困のサイクルが存在した。

生活保護もろくに受けることができず、かといって府は仕事も紹介してくれない。わずかな仕事も人権を無視した卑劣なもの、さらに賃金未払い。死と背中合わせの生活。人を人と見ない、生きる権利と働く権利が奪われる。

政府は、なぜ野宿を余儀なくされる人がいるのか、野宿者を出さないようにすることを考えず、野宿させない、排除することばかりを考え、問題を根本から解決しようとしない。これは逆に、使い捨てできる日雇い労働者を生みだし、いいように利用するため、ともとれるのではないか。大きな疑問が残る。

このような釜ヶ崎の現状から、複雑に絡み合う社会問題の断片を見た。格差問題。弱者切捨てから排除へ。グローバル化による画一的な価値観の浸透。モノや人の価値を経済的な視点でのみ計ることの危険性。ここに見られる問題は、野宿者だけのものではない。この国で生きるわれわれ自身の問題だと気がついた。

われわれはこの社会ですべての人が人権を掲げ、共存できる世の中を目指さなくてはいけない。人間同士の横の繋がりを大事にし、お互いを認め合う心を今一度考え直す必要がある。そういった視点で、様々な社会問題解決に取組むべきであると悟った。

また、メディアなど大勢に流され、真実が見えにくい世の中で、このような現状を実際に体験し、他人事ではないと改めて自覚したことを通じて、社会における自らの役割を考えさせられた。

よつ葉で働くことを通じて、こうした社会問題を解決に寄与し得る活動をするべきだ。そんな強い志を得ることができたフィールドワークであった。(河西祥子:ひこばえ)


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