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研究会報告:グローバリゼーション研究会

「グローバリズム」に対抗する今日の「国際主義」とは?

「グローバリズム」として表現されていることは、『支配的な思想は支配者の思想である』伝で言えば、そのほとんどが新自由主義と同義であることは、もう1年ほど前に確認したと思う。国境を越えるはるかに大きな規模で、ヒト・モノ・カネの交換(貿易?収奪?)を支配者の意のままに行おうとする動き自体は、この500年ほどの間、手を変え品を変え、試みられてきた。それがこの15年ほどの間に「グローバリズム」として登場し、今日的現象として草木もなびいてきた要因は他でもない、ソ連・東欧圏の崩壊と米国の1人勝ちが直接的な引き金と言える。

しかし、「グローバリズム」の現実形態たる、各国家における新自由主義的な構造改革(調整)路線は、既にその破綻が明白になっている。まさに80年代後半から90年代にかけて、米国の裏庭=ラテンアメリカでは、米国主導の下でIMF・世銀がやりたい放題の構造調整プログラムを押しつけ、結果、見るも無惨な結末を各国人民にもたらしたのだった。そうした多大な犠牲を払わされた人々が、当然にも立ち上がり反撃した結果が、現在のチャベス(ベネズエラ)、ルーラ(ブラジル)、モラレス(ボリビア)などの政権として表れている。

研究会では今、この辺りを学習しているところです。

他方、国境を越えるのは、何も資本や軍隊だけではない。私たち人民だってもちろん国境を越える。そうした国境を越えた人々の連帯や共同の闘いは、長らく国際主義(インターナショナリズム)として表現されてきた。ボクが国際主義としてまず思い起こすのは、1930年代のスペインにおけるフランコ独裁政権に対する闘い=スペイン市民戦争だ。

当時最悪の支配システムとしてモンスター化し始めていたファシズムに対して、ヨーロッパ中、いや米国市民も含めて、多くの人々が我が事として立ち上がり、国境を越え、海を越えて駆け参じ、ともに闘い、傷つき、場合によっては命を落とした。

問題は、あの精神が、今どのように引き継がれているのか(あるいは断絶したのか)、である。かつて、60年代後半にベトナム戦争反対に立ち上がった米国の若者たちの中で、あのスペイン市民戦争での国際義勇兵の精神こそが、米国市民として本来的あるべき立場であり、今こそあの国際主義的な精神を取り戻そう、と呼びかけた者たちがいた(ジャズの古典的名盤、チャーリー・ヘイデンの「リベレーション・オーケストラ」)。スペイン市民戦争からベトナム反戦までは約30年。そしてベトナム反戦から現在は既に30年を超えている。

実は研究会では、ここらへんのところは殆ど(全く)手をつけられずに来ている。イラクやアフガニスタン、パレスチナ、レバノンの人々が何人殺されようが、全く気にもとめられない現在の世界で、まさに「地球市民」として我が事として感じ、行動し、駆け参じることが求められているのではないか? グローバリズムを換骨奪胎し我がモノにする闘いは、私たち自身が行動することを抜きにしては語れない。

蛇足ついでにもう一つ。FTA(自由貿易協定)の動きの中で、フィリピンなどから労働者(具体的には看護師など)が日本にやってくるという話がある。これに対して、我が友人たちは反対しているようなのだが、ボクにはあまり理解できていない。モノ(特に農産物)の輸入自由化に対してはもちろん反対すべきだが、ヒト(労働者)の移動に反対するのは、右翼排外主義の論調と同じではないのか?

もちろん政府の目論見や、労働者の権利保護の問題はあるだろうが、この閉鎖的な社会にとって、アジアの労働者が入ってくることは、社会と私たち自身を変えていくきっかけになるのではないのか?少し議論をしたいところです。(福井 浩:兵庫いきいきコープ)

民衆レベルでの運動・陣地がどう強化されつつあるのかをポイントに

「新自由主義的グローバル化への対抗の動き−中南米事情」の1回目は、中南米で加速する反米・反新自由主義の流れについて、歴史的背景や現状・課題を全体的に整理してみることが主旨だった。研究会自体は、メンバーの都合で出席が少なくほとんど論議できなかったのだが、準備したレジメに沿って、骨子を簡単に報告しておきたい。

1〕歴史的背景・流れ

歴史的背景・流れについて押さえておくべき点は、次の二つであろう(極めて大雑把な「共通性」として)。

@1492年の「征服」以降の500年

現在、我々が一般的に「中南米」を語る際に対象としているのは、1492年のコロンブスのアメリカ大陸到達以降の「中南米」である。スペイン・ポルトガルによる徹底した先住民虐殺により、それ以前の豊かな文化や社会は破壊し尽くされ、考古学の領域にされてしまった。つまり、現在の「中南米諸国」は侵略・植民地化以降の、その中で形成されてきたものだということ。その結果もたらされた特徴(独自性)として留意すべきは、以下の諸点ではないか。

*先住民、メスティーソ(混血)、黒人、白人の人種・文化的混在。

*植民地経営下のプランテーションとして始まった「農業」−大土地所有、単一・大規模栽培。

*公営企業(部門)への大きな依存。結果、「民営化」が破壊的意味を持つことに。

*地政学的にアメリカの「裏庭」−アメリカ帝国主義の継続的干渉。

A新自由主義的グローバリゼーションの猛威

上記の歴史もあって、中南米諸国は早くから新自由主義的グローバリゼーションの猛威に晒され、その影響をもろに被ってきた。

*マクナマラ(1968年、世銀総裁)による「開発援助」の推進(輸出代替産業・作物)の結果、巨額の累積債務を抱え込む。

*1980年代から、世銀・IMF による「構造調整プログラム」の押しつけ−市場原理の徹底、貿易や資本の自由化、税制や財政の「改革」、民営化・規制緩和etc.

*結果として、農業破壊と農民の貧困化と都市への流入、貧困層の増大と格差拡大・固定化、米国製品流入と高インフレ、資源の多国籍企業による簒奪etc.

もう一つ、解放・変革の流れから言うと−

*19世紀の独立革命。

*1959年のキューバ革命〜ゲリラ戦を主とした解放闘争。チリ・アジエンジェ政権の誕生とアメリカの干渉による崩壊をはさみ、ニカラグアのサンディニスタ革命と挫折。

〜そして現在、となるのだが、その間の革命キューバの闘い、各地・諸勢力への人的・モラル的支援の意義については、(心情的にも)特に強調しておきたいと思う。また、中南米の実践の中から「従属理論」「解放の神学」などの理論も出ており、それらが現在にどう影響しているのかについても、今後の検証の中で追究していきたい。

2〕現状・課題

研究会で具体的事例として中南米を取り上げようということになったのは、改めて言うまでもなく、この間、米国の足元から反米・反新自由主義の動きが加速していることによる。現状をこれも大雑把に整理すれば、以下のようになるだろう。

*最近も、10月末にブラジルで労働党のルラ大統領が再選され、11月のニカラグア大統領選挙ではサンディニスタ解放戦線のオルテガ元議長が16年ぶりに復活するなど、その流れは止まりそうにない。

*経済的にも、これらの諸国は米国主導の米州自由貿易圏(FTAA)に反発、「地域統合は、発展と進歩、主権を目指す闘いの手段であり、連帯し国民の利益を尊重する“異なるグローバル化”への根本的手段」(05.7サンパウロ・フォーラム宣言)として、メルコスル(南米南部共同市場−加盟国:アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジル、ベネズエラ、準加盟国:チリ、ボリビア)を結成、経済的地域統合を進めている。

*資源高騰の流れなどが追い風−資源ナショナリズム、外交上の「武器」に。

*政権の性格としては「ライト左派」−市場経済の推進と分配の公正化。ベネズエラは社会主義を志向。一方で「政府・政権党あるいはポピュリスト型指導者によって主導されているという限界的な性格」(太田昌国「グローバリズムか、『抵抗の500年運動』か」『季刊ピープルズ・プラン』No.33)。

以上の現状を踏まえ、研究会の問題意識としては、民衆レベルでの運動・陣地がどう強化され、どのような主体が形成されつつあるのか、をポイントに学習・論議を進めていきたいと考えている。歴史的背景のところで少し触れたが、サンディニスタ革命とその挫折を転換点として、中南米における革命闘争は「機動戦」から「陣地戦」へと移行したのではないかと思う。そのことを象徴しているのが、参加型民主主義、協同、多元・多様性を掲げるメキシコのチアパスやブラジルのポルト・アレグレの実践、史上初の先住民の大統領を誕生させた先住民の闘いなのではないか。

キューバ革命から現在に至る流れの中で、闘いの経験や思想はどう総括され、引き継がれ、発展してきたのか。各国の事例の検討を通じて、考えていきたい。(余談になるが、中南米の動向を熱心に取り上げ紹介している日本共産党の評価は「ゲバラに象徴される極左冒険主義が克服され、選挙を通じた民主的改革が進んでいる」というもの。相変わらずの我田引水に、思わずため息。)

具体的には、ベネズエラ(済)、アルゼンチン(済)、メキシコ・チアパス(次回)、ボリビア、ブラジルを取り上げ、最後に総括的な講演学習会で締めくくる予定にしている。興味のある方は是非参加を!(津林邦夫:研究所事務局)


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