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「WTOの12年」、問われているのは何か

はじめに

前々号の「事務局から」にあるとおり、去る12月2日、「WTOの12年間-現状と今後 急展開するFTAとEPAは何をもたらすのか?」と題する集まりを持った。WTO香港閣僚会議から1年の経過を前に、WTO(世界貿易機関)新ラウンド交渉の現状について確認し、対抗運動の課題を整理するためである。昨年6月のFTA(自由貿易協定)問題シンポジウムを引き継ぎ、当研究所も主催者に加わった。残念ながら、参加者は非常に少なかったものの、講師の佐久間智子さん(JACSES:「環境・持続社会」研究センター)からは、深い内容の問題提起をいただくことができた。以下はその概要である。

◎WTOと日常生活とのつながりは?

個人的感慨から始めたい。WTOを中心課題として、およそ12年、問題提起を続けてきたが、予想以上に関心が広がらなかった。その理由を考えたとき、実は、WTOが私たちの日常生活にどう関わっているのか、具体的に説得力を持って説明できていなかったのではないか、と感じている。

例えば、日本の農業の変容は、GATT(関税と貿易に関する一般協定、WTOの前身)の農業交渉が始まる以前、60〜70年代の話。むしろ、戦後の対米関係における食生活の変化、工業化の進展における農業切り捨てなどに起因している。

あるいは、戦後の日本経済全般を見ても、プラザ合意、金融ビッグバン、郵政民営化など、国際貿易体制の規定力より、対米関係ないし国内政治の規定力の方が大きい。

基本的な傾向として、外圧を受けた場合、「資本・官僚・政治」といった各領域で、グローバル派と国内派の闘争が行われ、利害調整を経て政策化されるのが現実。決して直線的ではない。

こうした背景要因や諸過程を抜きに、WTOの問題点のみを突出させる傾向があったのではないか。私自身も含め、運動にとって一定の反省が必要な時期に来ているように思う。

◎WTOは「結果」か「原因」か?

この間、「食」や「農」の領域で調査の機会があった。ここでも、バイオエネルギー含め、国際分業が一層拡大している。例えば、米国では、トウモロコシ栽培の1/4がバイオエネルギーに振り向けられたため、飼料穀物の価格上昇し、各国の飼料穀物需給・農産物需給に大きな影響を与え、土地使用をめぐる争闘の拡大にもつながっている。

また、こうした生産の大規模化は、それに対応するため、「善悪」の問題とは別に、化学肥料・農薬の大量使用に加え、遺伝子組み替え作物の導入を不可避とする状況に拍車をかけている。

WTOによって、こうした状況がさらに促進され、制度化されることは確実だ。しかし、そうだとすれば、WTOは「結果」なのか「原因」なのか、考える必要がある。WTOが「結果」ならば、対抗のためは「原因」に遡る必要がある。また、各々の領域・地域に適したオルタナティブ(代替策)も必要だ。そうした具体的な対応なしに、争点をWTOに一面化すれば、広範な理解は得がたいだろう。

この点は、自分と同時代にWTO問題に取り組んだ各国の活動家の実感でもある。「ライフスタイル」としてのオルタナティブの提起が求められる所以であり、世界社会フォーラム(WSF)が形成された要因の一つとも考えられる。

◎先進国の運動も「NO TO WTO !」か?

もう一つ、WTOの問題に関わる中で感じてきたものとして、いわゆる途上国と先進国の運動が、同じ地平で同じスローガンを唱えることができるのか、という疑問がある。

もちろん、閣僚会議への反対運動などでは力を一つにする必要があり、むしろ同じスローガンを唱えるべきかもしれない。しかし、途上国政府の多くはWTOの多国間交渉における交渉力が脆弱で、それゆえ途上国の民衆運動は唯一の手段として、街頭行動で対抗せざるを得ない。

これに対して、先進国の場合は、発言力ある自国政府の政策を変更させ、多国間交渉の場に持ち込ませるという選択肢もある。

とくに日本の場合、必ずしも政府がWTOの圧力に圧倒されているわけではなく、むしろ、国内におけるグローバル派と国内派の利害対立を調停する際に、「落としどころ」としてWTOの諸協定を利用する傾向が強い。

例えば「コメの関税削減は阻止しました」と国内に説明する一方、全体としては経済グローバル化に同一化していく。その意味で、WTOは「マネー・ロンダリング」のような機能を果たしている。

こうした構造の中で、日本の民衆運動には、さまざまな手段がある。にもかかわらず、途上国の運動と同じように「NO TO WTO !」と言えるのか、率直に違和感を覚える。同じく、「WTO OUT OF AGRICULTURE !(農産品をWTOから除外せよ)」とのスローガンも、先進国の立場では「工業製品の輸出はしても、農産品は輸入しません」という、「いいとこどり」になりかねない。

◎多角的な貿易協定は必要か?

前提として言えるのは、今日の世界のありようがWTOのような機構を必要としている、ということ。だから、個別のWTOという機関が潰れたとしても、別のWTOが現れるはず。

ただし、現行のWTOを否定すべきだとしても、何らかの多角的な貿易協定は必要だと思う。

この間、WTOの新ラウンド交渉が凍結され、再開は困難との見通しが強まる中で、FTA・EPA(経済連携協定)の締結に向けた動きが拡大している。これに対し、途上国では、むしろWTO交渉の再開を望む声が高まっているという現実がある。

その理由は、主に三つ。第一に、先進国にとって、とりわけ経済規模の小さい後発途上国(LDC)は市場としての魅力が薄く、FTA・EPAを締結する必然性が弱い。だから、貿易対象から除外される可能性もある。反面、除外されないためFTA・EPA交渉に積極姿勢を見せても、多国間協議のWTO以上に国力・交渉力の違いが反映され、実質上「言いなり」になる場合が多い。

第二に、途上国がWTO交渉で最も強く訴えたのは、先進国の国内補助金の削減だが、FTA・EPAは二国間の貿易取り決めに過ぎず、相手国の国内政策に変更を迫る余地は存在しない。

第三に、WTOでは、途上国同士が連携して先進国に要求を突きつける余地が、少ないなりに存在したが、FTA・EPAでは、その余地は皆無に近い。

要するに、途上国は現状では、「WTOかFTA・EPAか」というマイナスの二者択一を迫られている。その中で「WTOの方がマシ」という考えが生じたとしても、無理からぬところと言える。

◎「キャッチフレーズの運動」ではなく

経済グローバル化の進展に伴う問題は、様々な要因が複雑に絡んでいる。WTOは確かにその象徴と言えるが、象徴を撃つことによって原因自体がなくなるわけではない。逆に、象徴のみを過大に焦点化した結果として、原因を問題にする経路を見失うことも往々にしてある。

もちろん、さまざまな問題要因がWTOを通じて制度化される以上、破壊的影響の拡大を防ぐ「ダメージ・コントロール」として、WTOそれ自体の危険性を批判していくことは必要だろう。ただ同時に、WTOに象徴される経済グローバル化の錯綜した関係を丁寧に解きほぐし、個々具体的に焦点化する視点は欠かせない。

ともすれば陥りがちな「キャッチフレーズの運動」から脱し、私たちの日常生活におけるオルタナティブに向けた模索・実践を基盤に据えた運動に、どう転換していけるか。「WTOの12年」で問われているのは、そのことではないか。(構成/文責:研究所事務局)


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