タイトル
HOME過去号36号

研究会報告:グローバリゼーション研究会

アルゼンチン−2001年の民衆蜂起を中心に

前回のベネズエラに続き、中南米事情の3回目はアルゼンチンを取り上げた。「やはり中南米は遠い」―過去2回の学習会に対する、参加者の一致した感想だ。しかし、「アルゼンチンはベネズエラよりさらに遠い」と、調べ始めてみて実感。適当なテキストすらない。チャベスのベネズエラなら最近は単行本も出版されているのだが。

アルゼンチンについてはタンゴとマラドーナくらいしか知らない私がなぜチューターかといえば、事前の打合せで、「政権レベルの動向なら報道もされるが、民衆レベルの動きを知りたい。特に2001年の民衆蜂起について知りたい」と口を滑らせたから。では、と指名されただけなので、客観的で目配りの効いた報告ができるわけもなく、数百年にわたる植民地支配の歴史は飛ばし、いきなり90年代終わりから。

89年に政権についたメネム大統領は「IMFの優等生」と言われ、新自由主義政策を推し進めた。当初は1ドル=1ペソ固定相場制が投資を呼び込み、経済は好調だった。ところが、99年の隣国ブラジルの通貨(レアル)切り下げなどをきっかけに、固定相場が輸出の足かせになってくる。2001年にいたって、ついに経済成長率マイナス11%、失業率20%を記録し、7月にはゼネスト。そして12月には、IMFが約束していた融資を土壇場になって拒否。デラルア大統領は1320億ドル(17兆円)の債務返済不能(デフォルト)を宣言し、全土で民衆蜂起→戒厳令という事態となった。

こうした状況のなかで破産した国家、政党、政治家や既存の組合を当てにせず、民衆自身が相互に助け合い、協力しあって生きていくためのネットワークが動き始める。その運動は「資本制の外」「政治的代表制の外」をめざす性質のものだった。

経済的には、経営が破綻した企業を労働者が占拠し自主管理する「回復企業」、物々交換ネットワークと共同体単位一括購入を中心とした「交換クラブ(生産者=消費者協同組合)」、そしてこのクラブで使用される無利子の地域通貨「クレジット」などによって自律的経済が追求された。政治的には「彼らをみな罷免せよ」というスローガンにみられるように、政治的代表制のもとで政権の挿げ替えで解決を図ろうとする思想が拒否される。これは、メキシコ・サパティスタの「権力奪取という思想の拒絶」がアルゼンチンへ波及したものと言われる。戦術としては、幹線道路をピケット封鎖して権利を要求する失業者の運動「ピケテロス」、鍋を叩いて異議申し立てをする直接行動「カセロラソ」などが知られる。さらに、民衆自身による合意形成は、各地区のアサンブレア(近隣住民評議会)で行われ、誰にも代表されることなく、民衆ひとりひとりの顔が見える範囲で自律的な政治空間が構築されていったのである。

今回の学習会を通じて、二つのことが頭に浮かんだ。一つは、このアサンブレアこそ、ハンナ・アーレントが「歴史上いままで現れた、それも繰り返し現れたたった一つの代替案」と述べた「評議会」(ロシア語でソヴィエト、ドイツ語でレーテ)だろうということ。ただ、それは「まったく自発的に、そのたびごとにそれまでまったくなかったものであるかのようにして出現」するらしいが、同じく新自由主義の猛威の中で、大量の失業者と不安定雇用者を生んでいるこの国では、さっぱり出現しそうな様子がないのはなぜか、ということ(引用は柄谷行人からの孫引き)。

もう一つは、ラテン・アメリカ諸国の新自由主義に対する抵抗力の強さは、近代的に自立した個人の合理性に基づく連帯からではなく、あきらかに日常生活レベルの親密な共同性(家族・友人・仲間・近隣住民など)からきているのではないかということである。彼らはいわば、前近代的な共同性が持つ国家と資本主義への対抗力を現代の文脈に自覚的に甦らせているようなのである。ひるがえって、われわれの抵抗力の弱さは、貧乏人でさえ他者への猜疑心と競争意識にとりつかれ、この世界には愛も信頼もまだある(少なくともラテン・アメリカには)ということを忘れかけているからではなかろうか。われわれにラテンの血が流れていないのは如何ともし難いが。

ちなみにブエノスアイレスに滞在すると、いまでも一番よく耳に入ってくる音楽はプレモダン・タンゴだそうだ。(下村俊彦:関西よつ葉連絡会事務局)


200×40バナー
©2002 地域・アソシエーション研究所 All rights reserved.