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ボリビア・モラレス政権誕生の背景(上)

太田昌国さんをお招きして

「グローバリゼーション研究会」ではこの間、新自由主義グローバル化へのオルタナティブという観点から、ラテンアメリカにおける反米左派・中道左派政権の誕生、その根源にある民衆動向に関心を寄せてきた。今回、太田昌国さんをお招きし、初の先住民出身大統領を誕生させたボリビアの状況についてお話を伺うことができた。以下、3回にわたって紹介する。(構成・文責は研究所事務局)

はじめに

昨年末から今年初めの2週間、アジア太平洋資料センター(PARC)が企画したボリビア・ツアーに同行してきました。エボ・モラレス政権が成立してちょうど1年足らずの段階、しかも季節が季節なので、必ずしも思うようにはいかなかった部分もありますが、現地での見聞や、僕自身のこれまでのボリビアとの付き合いも組み合わせてお話ししましょう。最近は、ボリビアに限らず、中南米全体として、世界の他の地域には見られない一つの大きな動きがあるので、その意味についても触れられれば、と思います。

僕がボリビアに関心を持ったきっかけは、多分に世代的なものです。つまり、チェ・ゲバラが結果的には最後の闘争の場、終焉の場として選んだ国だったということです。今年の10月でゲバラの死から40年になりますが、それに重なって僕自身のボリビアとの関わりも、ちょうど40年を迎えることになります。

その後、今から約30年前ですが、僕はかなり長期間にわたってメキシコからアルゼンチン、チリまで放浪した経験があります。ボリビアでもおよそ半年間、暮らしていました。その際、ボリビアの映画集団「ウカマウ」のホルヘ・サンヒネス監督、プロデューサーのベラシオス・パラシオスと知り合い、そのつながりでこの26年間、彼らの映画を日本ですべて上映する、いくつかの作品については共同制作をする、そんな活動も続けてきました。

そんなこんなで、結果的にボリビアとは深いつながりのあった40年間ですが、そうした流れの中で、モラレス政権の成立にいかなる意味を読み取っているのか、お話ししたいと思います。

ボリビアという国

はじめに、ボリビアの地形を見てみると、一番西側に4000メートルのアンデス高原があり、そこから東へ進んでアンデス山脈に入ると5000メートル、さらに最高頂6000メートル以上の山々が連なっています。アンデス山脈を越えて東に進むと高度が下がり、海抜200〜300メートルの地帯になります。その中心がサンタクルスで、ボリビアで最も低く、ブラジル国境に近い農業地帯です。

後で触れるコチャバンバは、2500メートルぐらいの穀倉地帯、農業地帯です。実質的な首都であるラパスが4000メートル。それから、鉱山労働で栄えてきたオルロやポトシ、スクレ(憲法上の首都)、これらも約4000メートルの地帯です。モラレスが大統領就任式を行ったティワナク遺跡はラパスの近郊にありますが、だいたい同じ高度にある。この辺りがいわゆるアンデス高原です。

現大統領のエボ・モラレスは、鉱山があるオルロの出身です。父親は鉱山労働者ではなく、牧畜農業をやっていたはずですが、そこで幼年時代を過ごします。リャマというアンデス高原独特の動物を放牧して、それを追ってクリスマス・イブなんかも過ごしていた、と回想しています。

ボリビアの人口は、現在850万人ほどだと思いますが、そのうち60〜65%が先住民、混血していない純粋の先住民と言われています。30%前後が混血(メスティソ)ですね。だから、白人は10%以下ということになります。その先住民の圧倒的多数は、4000メートルから2500メートルのアンデス高原に暮らしています。一方、低地のサンタクルスには白人やメスティソが多い。サンタクルス周辺は現在、非常に発展した農業地帯になっていて、地下には天然資源もある。歴代の軍事政権の中枢、トップエリートたちの多くが、この辺りの出身です。新自由主義の時代に生まれた新興ブルジョアジーもそうです。

ボリビアではこの間、こうした富裕階級から、分離、独立、連邦制といった議論が出されていますが、それは、自分たちが蓄えた富や地下資源が、なぜ貧しい高地の先住民を養う国家予算として使われなければならないのか、そういう理屈から出てきている。これについては、後で触れたいと思います。

モラレス政権の世界史的意味

さて、モラレス政権成立の意味を探る際に、僕はこの間、「世界的規模」「ラテンアメリカ規模」「個別ボリビア規模」という三つの層で見ていきたいと考えています。これは、地理的な区分という意味もありますが、むしろ、各々の層における歴史的な動向を指しています。言い換えれば、これら三層の歴史が一つに集約されたものとして、モラレス政権の成立を捉えたいということです。

まず「世界的規模」についてですが、僕はこれまで、とくに1992年前後から、「500年史観」という枠組みで文章を書いたり、講演をしてきました。1992年というのは、コロンブスの大航海からちょうど500年という年です。僕らはその年に東京で、「500年後のコロンブス裁判」という2日間にわたる催しを開きました。もちろん、コロンブスは一種の象徴であって、対象としたのは「ヨーロッパ近代」と言えるわけですが、それを問うたわけです。

ご存知のように、「ヨーロッパ近代」というものが世界史上に現れるのは、いわゆる「大航海時代」であり、その契機となったのが1492年のコロンブスによる「新大陸発見」とされています。主にソ連崩壊の後で使われるようになった「グローバリゼーション」という言葉は、地球が市場経済という一つの原理によって律せられていく現象を指していますが、そのきっかけはやはり、この1492年の出来事に象徴される「ヨーロッパ近代」の登場に求められるべきだ、僕はそう考えています。

この点については、「グローバリズムか、『抵抗の500年運動』か」(『季刊ピープルズ・プラン』第33号、2005年冬)で詳しく触れていますが、簡単に言えば、コロンブスの大航海をきっかけにして航海技術が飛躍的に発達し、たちまちアフリカ南岸、今で言う喜望峰まで到達する。あるいはインド洋への航海が成立する。あるいはマゼランのように世界1周が行われる。そういう時代が急速にきてしまうわけですね。と同時に、行った先々で植民地化が行われることになる。ヨーロッパ諸勢力によって世界の植民地化が急速に進む、そういう時代を迎えるわけです。

その先陣を切ったのは、スペインやポルトガルでした。ただ、この両国はラテンアメリカの植民地については長く確保し続けましたが、その後のイギリスやオランダといった北部ヨーロッパとの争いには遅れをとる。それに代わって、オランダやイギリスがインドやインドネシアに進出し、後を追ってフランスも出てくる。後発のドイツも、アフリカなどでは植民地争奪戦に加わる。こうして、ヨーロッパ諸国が世界各地に植民地を持つようになります。その意味で、現在われわれが直面しているグローバリゼーションの歴史は、実はこの時代に始まると考えられるわけです。

そうした歴史の反面として、植民地化された地域にもともと住んでいた人、つまり先住民という存在が否応なく創り出されました。言い換えれば、「ヨーロッパ近代」にとって、先住民は征服の対象、植民地支配の対象であって、「人間」として同じ権利を認められるような存在ではなかった。

ラテンアメリカ全体でも、またボリビアでも、こうした歴史が連綿と続いてきたわけですから、そのような地域にあって、先住民の大統領が一般選挙で当選するのがどれほど困難か、よく分かる。とくにモラレスの場合は54%の得票率を得ていますから、いくらボリビアの先住民人口が60%に近いといっても、歴史過程を踏まえたら、信じられないような出来事ですね。逆に言えば、その意味の大きさも浮かび上がってくるわけです。

ちなみに、98年のベネズエラにおけるチャベス政権の発足を先頭に、この間ラテンアメリカでは多くの左派政権、あるいはアメリカ式のグローバリゼーションにはっきり「NO!」と言う政権が成立しています。しかし、黒人と先住民の血も混じっていると言われるチャベスは例外として、その他の大統領たちはほぼ白人です。その点でも、モラレスというのは非常に特異な存在だと考えることができます。

そうした特異な出来事が、なぜ成立したのか。僕はその背景の一つとして、間違いなく1992年の「コロンブス500年」が大きな節目になったと思います。つまり、500年の歴史をどう捉えるかという点で非常に大きな意識改革が行われた、ということです。

先に触れましたが、僕らが開催した「500年後のコロンブス裁判」には、2日間で延べ500人以上が参加し、大きな集会となりました。世界各地でも、「コロンブスの航海というのはいったい何をもたらしたのか」「とりわけラテンアメリカに何をもたらしたのか」―そんな問い直しを掲げて、さまざまな催し・行動が行われました。もちろん、ラテンアメリカ各地でもそうです。

それまでなら、この500年はラテンアメリカでも、とくに政府レベルならなおさら、スペイン的な発想で捉えられてきたわけですね。実際、長い間「コロンブスの偉業」として祝賀行事が繰り返されてきました。ところが、92年には、とてもそうした状況ではなくなっていた。コロンブス以前から暮らしている人々がいたのに、それを「発見」と言うのは一方的だ、そんな意見が多勢となった。そこで使われたのが、「発見」ではなく「出会い」という表現です。全体として、その程度には歴史意識が変わっていたわけです。

しかし、それでも問題が残る。「出会い」とは本来、対等な立場を表現したものですが、歴史的事実を見れば、一方的にやってきた人間たちが先住民に対して、虐殺や集団レイプを行い、植民地化したことは明らかです。メスティソという存在も、その過程で強制的に生み出された。それが「出会い」と言えるのか、ということで、非常に大きな批判が行われました。こうした批判の中で、ラテンアメリカの民衆運動が対置した表現こそ、「抵抗の500年」なんです。

この表現には、自分たちはこの500年間、ただ征服されてきたわけではない、先住民も、後から連れてこられた黒人も、征服に対する抵抗を続けて今に至っているんだ、という意味合いが込められています。実際、それまでのヨーロッパを中心とした歴史観とは違って、植民地時代にも各地で先住民の抵抗運動・反乱は絶えず行われていました。19世紀前半に多くのラテンアメリカ諸国がスペインやポルトガルから独立しましたが、それは現地生まれの白人たち(クリオーリョ)が主体の独立であり、先住民にとって真の独立ではないとの批判から、それ以降も抵抗運動が続いていた。また、表面的にはカトリックが精神生活を支配したように見えても、その中にはさまざまな形で先住民の文化、精神的な営みが組み込まれ、独自の信仰のあり方として再編されてきた。「抵抗の500年」には、そうした意味も含まれています。

この考え方が、多くは征服者の末裔である各国の支配層の意識に影響を与えると同時に、征服を受け、諦念の中にあった人々の意識も変えていったと思います。偶然かどうか、92年という年は、グアテマラのマヤ=キチェの先住民女性、リゴベルタ・メンチュウさんがノーベル平和賞を受賞した年でもあります。彼女は軍事政権下のグアテマラで、肉親をほとんど殺されながら、先住民の復権運動を持続させてきたわけですが、それで平和賞を受賞し、世界的にも大きく報道されました。いずれにせよ、92年は、先住民という存在がなぜ生まれたのか。植民地化によってそれを生み出したヨーロッパ近代とは何か、世界的なレベルでも大きく問われた年だったんですね。

今になればはっきりと分かりますが、92年を境に、われわれを含めた世界的な意識の改革、歴史観の変化が行われた、と言えるように思います。その影響は強弱さまざまな形で現れているはずですが、物事を新たな視覚で捉えるという点では、何らかの形で世界的に大きな転機になったと考えられる。だから、僕らは2年後に起こったメキシコ・チアパスの先住民蜂起の意味についても、その2年前のコロンブス500年との関係でどう捉えるか、非常に重視しました。モラレス政権の誕生についても、やはりそうした歴史的文脈の中で捉える必要があるし、それによって本質的な意味が鮮明になってくると思っています。=つづく=

◆  ◆

「相互扶助と新たな共同体の質」をめぐって

ラテンアメリカと私たちをつなぐもの

「グローバリゼーション研究会」ではこの間、ラテンアメリカ各国の状況を学習しているところですが、歴史的背景や社会構成の違いから、イメージが湧きにくい部分もあります。今回、太田昌国さんの明快なお話を通じて、遠いラテンアメリカが身近に感じられた気がしました。

太田さんと言えば、ラテンアメリカ研究の第一人者であり、現代企画室の代表として数々のラテンアメリカ関連著書を出版されていますが、関西よつ葉連絡会で、2005年のカンクンWTO閣僚会議に反対し、キューバ有機農業を視察する訪問団を結成した際にも、お話しいただいたことがあり、楽しみにしていました。

アメリカの強力な軍事力を背景として推し進められる新自由主義経済は、日本やイギリスなどの大国がそれを支え、今や世界は先の見えない重苦しい状況に覆い尽くされているかのように見えます。しかし、そんな中でも、ラテンアメリカで新たな動きが着実に生まれていると実感しました。

太田さんの分析で興味深かったのは、そうした状況の背景として、@権力の獲得を目的とせず、「人」としての扱い、市民として権力との新たな関係を打ち立てることを要求したメキシコ・サパティスタの新しい運動の質、A1980年代まで続いた軍事独裁政権の実態や真実を明らかにし、責任を明確にすることで和解するという「真実和解」の動きが広がっていること〜などの影響です。

また、モラレス政権の誕生に関するボリビア特有の要因について、「近隣住民共同体」のようなものを組織して自治が行われていること、そこでは古い質のそれではないラディカルな直接民主主義が追求されている、という指摘が印象的でした。

この点では、質疑応答でも活発な意見が出されましたが、「相互扶助と新たな共同体の質」をめぐる議論は永遠のテーマだ、と改めて思いました。

勤務先の研修で関西に来られていたご子息の熱いお話も伺え、有意義な時間を過ごすことができたと思います。(下村純子:ひこばえ)


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