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ボリビア・モラレス政権誕生の背景(下)

はじめに

初の先住民出身大統領を誕生させたボリビアの状況を軸に、ラテンアメリカにおける反米左派・中道左派政権の誕生、その根源にある民衆動向をめぐる、太田昌国さんのお話。今回は個別ボリビア的規模からの分析、そして全体のまとめである。(構成・文責は研究所事務局)

鉱山から移った人々

最後は、ボリビア的な規模での話です。ボリビアはラテンアメリカ現代史の中では、やや特異な経験をしています。それは、今から55年前、1952年に、ボリビア革命を経験したことです。このとき、農地改革なども行われました。一定の限界はあれ、それなりの意義はあったと言えます。

ただ、先ほど触れたように、その後は軍事政権が権力を握ったこともあるし、80年代に民政移管された政府も、よほどの社会的、政治的な基盤がない限り、国際金融機関あるいは大国の強制する経済政策に従わざるを得ないわけで、52年革命の成果が十全に発揮されない状態が続きます。

とくに1985年、パス・エステンソロが大統領に就任し、「新経済政策(NPE)」を発表します。これはまさに、国際通貨基金(IMF)や世界銀行による構造調整プログラムに従い、通貨の切下げと経済自由化を行う新自由主義の推進です。ここで、52年革命の成果は完全に振り出しに戻る。それまで維持されていた国営鉱山などはすべて民営化され、鉱山労働者3万人のうち2万3000人が、2年の間に解雇されました。これに錫の国際価格低迷も加わり、ボリビア労働運動の有力な基盤だった鉱山労働運動は、一気に解体するわけです。

こうして80年代後半、解雇された鉱山労働者は、鉱山地帯のポトシやオルロから、たとえば最大都市のラパスに移りました。ラパスは「すり鉢」のような形をした町で、一番高いところは海抜4000メートル。これが「エルアルト」という地域で、空港もここにあります。それに対して、高級ホテルや瀟洒なオフィス・ビルが建ち並ぶ繁華街、あるいは富裕階級の邸宅があるのは、いわば「すり鉢」の「底」で、だいたい海抜3600メートルです。貧しい民衆が暮らすエルアルトよりも400メートル低い。言い換えれば、空気がそれだけ濃いわけです。ウカマウの映画によく出てきますが、富裕層の暮らす「底」から坂を登っていくにしたがって、徐々に貧しい人々の家が増えていく、そんな町です。

ボリビア各地から食い詰めた人々が流入してきた結果、エルアルトの人口は現在、100万人ぐらいになっています。そして、このエルアルトはいまや、ボリビア首都圏の中で非常に強力な民衆運動を展開する地域になっています。

それから、ラパス以外にも、コチャバンバ郊外のチャパレに移った人も多い。エボ・モラレスも、その一人です。チャパレはコカ栽培が非常に盛んなところです。アンデスの先住民は伝統的に、コカと親密な生活を営んできました。先住民たちは常にポシェットの中に乾燥したコカの葉を詰めて、携帯している。通りで知り合いに会ったりすると、お互いに自分のコカを自慢しながら交換するわけです。市場でも乾燥したコカが売られており、誰でも自由に買うことができます。

コカには、飢え、寒さ、疲れなどを若干麻痺させる作用があります。だから、厳しい労働を余儀なくされる鉱山労働者などは、いつもコカの葉を頬っぺたに溜め込み、噛んでいる。頬がポコっと膨れているから、すぐに分かります。噛む以外にも、(まじな)いや占い、あるいは民間医療に使ったりもします。つまり、生活に非常に密着した植物であって、栽培を禁じられようものなら、文化的なアイデンティティーを失うほどの打撃を受けるわけです。

ご存じのように、アメリカ政府はこの間、結果的にコカインが精製されるとの理由で、ラテンアメリカのコカ栽培を根絶しようとしています。ペルーでもコロンビアでもボリビアでも、当事国の政府に圧力をかけたり、時には自ら、ヘリコプターでコカを枯らす菌を撒いたりしています。しかし、それは地元民にとってコカが持つ意味、貧しい農民がコカ栽培で何とか食える、そうした実状について、余りにも無知な振る舞いです。

実際、チャパレというところは、そうした内外の圧力に抵抗して、貧しい農民がコカ栽培を続けている地域なんです。モラレスはオルロからここに移って、コカ栽培農民(コカレーロス)の権利獲得運動に関わり、その中で非常に力を発揮した人です。そして、そのコカレーロスの運動が現在、ボリビアの社会運動の中で非常に大きな位置を占めている。そうした経緯があるわけですね。

コカ、水、ガスをめぐる闘い

ともあれ、鉱山労働者たちがチャパレやエルアルトに移ったことによって、ボリビアにおける2000年前後からの様々な闘争が展開していく、と言うことができます。その代表的な事例は、コチャバンバにおける水道事業の民営化、つまり私企業化との闘いです。

コチャバンバ市の水道公社は1999年、国際通貨基金(IMF)と世界銀行の指針に沿って民営化されました。受注したのは、アメリカの多国籍企業ベクテル傘下のアグアス・デル・ツナリ社です。ところが、民営化によって水道料金は200%も引き上げられ、貧困世帯にとっては死活問題になったんですね。そこで、住民は水確保共同委員会を組織し、反対運動に取り組む。2000年4月には「水戦争」と言われる事態に発展しました。

人間にとって水は必要不可欠なものですから、地域の水資源を確保し、公正に供給することは、非常に重要なことです。しかし一方で、世界中には水不足を余儀なくされる人々がいる。こうした「水の不平等」をいいことに、多国籍企業は、水道事業を公共事業としてではなく、私的な利潤追求に活用したいわけですね。「21世紀は水戦争の時代」などと言われたりしますが、裏を返せば、それだけ商売になるということです。

この間、ボリビアに限らず世界各地では、水資源の私企業化によって、例えば地域住民に供給するよりも、高く売れるなら国外に持っていき、できるだけ高い値段で売ってしまうという事態も生じています。コチャバンバは、そうした動向の先駆けだったと言えます。

コチャバンバの住民たちは、このままでは自分たちの水がなくなってしまうと気がついた。だから、多くの犠牲者を出すほどの、非常に激しい反対運動を展開したんです。その結果、とうとう水の私企業化を潰すことに成功しました。これは、現代のボリビアにおける民衆運動が非常に大きな力を発揮した、一つの具体的な例です。

「水戦争」に続いて、2003年10月には「第一次ガス戦争」が起きます。これもまた、ボリビア経済にとって重要な資源である天然ガスを、多国籍企業に対して極めて安価で売却するという、政府や多国籍企業の目論見です。ボリビア経済を多国籍企業の経済戦略の中に包摂していこうとするものでした。だから、ここでもかなりの犠牲者が出ましたが、2005年5月の「第二次ガス戦争」を経て、どうにか売却を阻止するに至っています。

モラレスを先頭に、2000年に取り組まれた「コカレーロスの反乱」(6月:第一次、9月:第二次)も合わせて、ボリビアではこの間、こうした社会運動が次々と展開され、それに伴って運動の力量が確実に蓄積されていきました。そうした力量こそ、2005年12月の大統領選挙でモラレスを押し上げるに至った一つの源泉であることは、間違いなく指摘できると思います。

こうして見ると、500年規模の世界史的な過程における動き、それから、およそ40年規模のラテンアメリカにおける軍事政権と新自由主義への対抗、さらに、およそ20年規模のボリビア現代史の問題、これら三つの要素から捉えると、モラレス政権が成立した意味、その背景が一層明瞭に理解できるのではないか、と思います。

富裕層の「分離」と先住民の「分権」

ここで、一応のまとめをしておきましょう。

最初に触れたように、今日のボリビアにおける政治的対立として、東部の富裕階級による分離運動の問題があります。富裕階級は自分たちの富が、高地に暮らす貧しい先住民に回されるのを嫌がり、独立までは行かなくとも、連邦や経済的な分権という意味での独立性を保ちたがっている。モラレス政権はこの点で、大きな試練に直面しています。国軍の司令官たちは、現状ではモラレスに忠誠を誓っているようですが、ボリビアの軍隊はこれまで何度もクーデターを行っていますから、今後も軍隊の動きには要注意です。

ただし、これまでの状況と違うのは、何度か触れたように、民衆運動がかつてない力を持っている点です。昔のように、鉱山労働者を中心に単一で強力な労働組合があるわけではないけれども、それは否定的な要素でもない。むしろ、非常に自立性を持った様々な社会運動が経験を積んで割拠している。現在は恐らく、統一指導部を持っていることが強さの証明だ、というような時代ではないだろうと思いますね。メキシコのサパティスタが提起した問題とも関わりますが、ナショナルセンターが存在しないからといって、否定的に捉える必要はない。まさにボリビアでは、かつての鉱山労働者が様々な地域に分散化しながら、その地域の民衆運動と深い関係をつくり、この間の闘争の担い手となっている。そういうあり方が重要ではないか、と思うんですね。

とすれば、そうした多様な力がどこまで富裕階級の分離運動を阻止する力になり得るか、この点が鍵だと思います。僕らが現地にいたとき、モラレス政権の母体である「社会主義に向かっての運動」(MAS)は、自らの路線に基づいたボリビア社会の改革を2期8年の間に行いたい、という方針を出しました。3年後の大統領選挙はともかく、彼らは8年間の幅でボリビア社会の根本的な変化を行い、分離運動を阻止する考えのようです。

面白いのは、政府は、富裕階級の分離運動はボリビアを分裂させるが故に論外だ、という立場の一方で、先住民の共同体については、可能な限り分権を認めようとしていることです。僕が知る範囲で例を挙げましょう。先住民の共同体は自治組織ですから、規範から逸脱した行為に対して内部で裁きを行うわけですが、近代国家にとっては自らの司法権を外れるものであり、到底容認できません。ところが、モラレス政権は、それを認めるための法案を準備しているようです。つまり、共同体の内部で生じる犯罪については、国家の司法権力ではなく、各共同体が持つ裁きの力によって対処すべし、という考えですね。言い換えれば、先住民の持つ自治のあり方を尊重する中でボリビア社会の改革を行う、という意思の現れだと思います。これがどのように実現されるのか。ご存じのように、かつてニカラグアのサンディニスタ政権が、先住民問題への対応で大きく躓いたという先例もあります。その意味でも、ボリビアの試みがどう展開するか、注目すべきことだと思います。

相互扶助と国際主義

国際的にも注目すべき動きがあります。ベネズエラとキューバとの間で2005年に結ばれた「人民貿易協定」が、昨年のモラレス政権誕生を受け、ボリビアを含む三国間協定になりました。この人民貿易協定には、非常に注目すべきものがあります。それは、経済的には有利な条件を持っているベネズエラや、問題があるとはいえ革命政権を維持しているキューバが、植民地主義的・新植民地主義的な搾取に晒されてきたボリビアに対して、その歴史的負債を克服し得るような条件を提供すべきだ、という精神に貫かれていることです。

具体的には、モラレス政権が新自由主義的な自由貿易協定を拒絶することでボリビアが困らないように、キューバやベネズエラが積極的に代替策を提供する。コカを輸入するとか、天然資源を輸入するといった提案が出されています。こうした相互扶助、連帯の精神に貫かれた貿易協定は、これまで言葉はともかく、内容としては存在しなかったのではないか。

実際、キューバからボリビアに、識字運動の教師たちが大量に入っています。スペイン語だけでなく、アイマラ語、ケチュア語、グラニー語といった先住民言語も対象です。これはボリビア社会のあり方、モラレス政権の性格からすれば当然とはいえ、重要な問題だと思います。サンヒネスによると、キューバからは眼科医も大量に来ているそうです。眼病は貧しい先住民に顕著なものですが、それを優先的に治療する方針とのことです。キューバはこれまでも貧しい第三世界諸国に、自国の予算で毎年数千人規模の医療関係者を派遣してきました。キューバ革命の48年を考える上で、忘れてはならないことでしょう。この点を最後に指摘して、話を終えたいと思います。(終わり)

◆  ◆

[質疑応答B]

【質問】今回の訪問は、事前の計画通り、会いたい人に会えたんですか。

【太田】クリスマスの前後から年末年始だから、思い通りには行かなかった。第三世界ではよくあることです。逆に、コチャバンバに行ったとき、「水戦争」の際に集会やデモの出発地点だった公園でタテカンを見て、カンパを入れたら、わーっと50人ぐらいに取り囲まれて、1時間ぐらい討論会みたいになった。水戦争の状況がどうだったか、現在の自分たちの状況はどうか、それを何人かの人たちが話して、それを僕が通訳して、最後に日本についての質問に答えたり。そんな予定外の場面が、いろんな町で何回かあったですね。オルロでは、まさに85年にクビを切られ、その後は露天の小商いをしている鉱山労働者と話したり。それこそ、行きずりの人たちとちょっとした話をきっかけに広がっていく感じですね。エルアルトの隣人協同組合的な場所で、女性活動家と2時間ぐらい論議したこともあった。あとは、ウカマウのサンヒネスのところで、映画上映と討論会をやりました。先住民の居住地区に行って滞在するとか、そういうことはできてないですね。今のところ、僕が具体的な連携を持っているのはウカマウだけで、その他の誰も独自ルートがないから。その意味では、これから新たなつながりが作れるかどうか、ですね。

[質疑応答C]

【質問】エルアルトは解雇された鉱山労働者が集まってつくられた町だということですが、先住民的な運動との接点は、どこにあるんですか。

【太田】鉱山労働者だけではなくて、国中から貧困層が集まってできた町。要するに、インフォーマル・セクターの人たちが集まってる居住区なんですよ。僕は、30年前は飛行機を使わないで旅行したから、エルアルトの存在をそれほど意識しなかった。今回は飛行機だから、ど真ん中ですよね。100万都市だから、それは凄いんですよ。碁盤の目のように、これから建てる家まで区画割りしてあってね。で、「先住民的な運動」との接点で言えば、「隣組」と訳すと日本独特の意味合いになるけれど、隣近所の住民たちが組織している、最も基層の運動体があるんですよ。それが水問題のときにも、ガス問題のときにも主力になった。その人たちは、ほとんど先住民でもあるんですね。だから、もともと一体ではある。ただ、エルアルトは都市部で、生活環境は近代化されているから、いわゆる先住民的な共同体の色合いは、徐々に薄れているんじゃないですか。農村部の先住民運動との関係までは分からないけど。

[質疑応答D]

【質問】伝統的な共同体と聞くと、いわゆる封建的な家父長的なシステムが残存しているように思いますが、そうだとすれば、それをそのまま尊重するのはどうか、と思うんですけど。

【太田】先住民共同体には必ず家父長的なものが随伴しているとは言えないでしょう。サパティスタの場合でも、この間のボリビアの民衆運動でもそうだけれど、むしろ、原初的な民主主義に立ち戻っている面が強いと思うんですよ。前にサパティスタが政府と交渉していたときのやり方も、たとえば政府から何か提案があると、その場で答えないで村に持ち帰って何ヵ月もかけて討議したでしょう。で、政府に対しては、何段階かの討議を経てやっているから、何ヵ月もかかるのは当たり前だ、とか言って居直るわけですよ。要するに、伝統的共同体といっても、一直線で来ているわけではない。もちろん、先住民共同体だからといって、初めから何か理想的なものがあるわけでもない。逆に、近代的な価値観の浸透や、自分たちを守るための運動の中で、不断に新しい要素を付け加えていくというか、自己再編している。日本でも、三里塚がそうでしょう。広瀬さんの本(『闘争の最小回路』)の中にも、この間のボリビアの民衆運動に関して、そういう先住民的な集団討論制のあり方が描かれていて、そこら辺は共通していると思ったんですけどね。


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