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ツアー参加の経緯と特徴について

はじめに

かなり遅めの報告になってしまったが、去る3月15日から21日にかけて「東北タイ農民交流の旅」と題するツアーに参加し、わずかな期間ではあったが、東北タイの数ヵ所を訪問した。数回にわたって報告する予定。今回は、その概略を紹介したい。

ツアー参加にあたって

まずは、ツアー参加のきっかけから始めよう。今回のツアーを主催したのは、「アジア農民交流センター(AFEC)」(※1)である。AFECは1990年、日本の農民グループがタイの農村を訪問し、タイの農民運動リーダーらと交流したことを契機に設立された。参加者の一人、農民作家の山下惣一氏がこの時の体験を『タマネギ畑で涙して』(農文協、1990年)にまとめ、印税を得たことから、それを基金として恒常的な団体を形成したという。

初めて訪れた東北タイ。山下氏はそこで見た農村の貧困に衝撃を受けると同時に、案内の労をとってくれた農民運動家の言葉にも心を揺さぶられる。

「これまで世界各国から数多くの団を受け入れて案内した。しかし…来て、見て、帰って、それっきりだ。何ひとつ生み出しはしなかった。」(前掲書、1頁)

こうなると、山下氏をはじめ、山形の菅野芳秀氏、農業ジャーナリストの大野和興氏など、訪問団の一行は悩まざるを得ない。

「わたしたちは、何ができるのかを相談しました。そして、これからも交流をつづける、情報を交換する、…などを決めました。」(前掲書、2頁)

驚くべきことに、AFECはそれ以降16年にわたり、東北タイ農村との交流、タイ農民の日本への招聘を継続するとともに、タイとフィリピンをつなぐ「南南交流」などの取り組みを行ってきた。また、菅野氏が地元の長井市で実践している「レインボー・プラン」(※2)の経験をタイに伝え、いくつかの場所で同様の試みが行われるなど、年とともに交流の内容も深化している。

こうした実績が社会的な評価を受け、AFECは昨年、毎日新聞が主催する第18回毎日国際交流賞を受賞した。

実はこの際、AFECの世話人でもある友人の松平氏から、同賞の授賞式が大阪で行われるため、一般向けの講演会を行いたい旨の打診があり、関西よつ葉連絡会とともに受け入れ先となった経緯がある。かつては日本国際ボランティアセンター(JVC)のタイ現地代表として、その後はAFECの事務局長として活躍する松尾康範氏が、スライドとともに現地での取り組みを紹介され、ぜひ一度訪問したいものだ、との感想を抱いた。これが、今回のツアーに参加するきっかけの一つである。

ところで、タイと言えば、これも松平氏の関係で昨年、北タイ農民連合のトック氏、キンコン氏と交流する機会があり、北タイにおける土地なし農民運動の取り組みについては、わずかであれ、当事者の弁も含めて知ることができた。また、タイ中南部のチユンポンには、よつ葉グループで扱っているバナナの生産者組合があり、来日の際に交流会を催すなどして、ここでも、当事者の暮らしぶりや仕事ぶりなどを垣間見ることができた。

一方、タイの中でも特色を持つと言われる東北タイについては、そうした機会に恵まれなかったため、頭で得た諸情報は容易に像を結ばない。ここで東北タイを訪れ、農業・農村・農民の実像に触れることができれば、東北タイそのものはもちろん、北部や中南部などについても比較して考えることができるのではないか。あるいは、これまで訪れた中国や韓国、さらには日本の状況とも合わせて考える、広い視野が獲得できるのではないか―。かなり虫のいい話だが、この点もまた、参加した大きな要因ではある。

ツアーの特徴について

さて、ツアーの行程は別掲の通りである。実質わずか5日間、その間に、例えて言えば東京から青森まで車で縦断し、そこから福島に引き返して、さらに米沢あたりを往来するわけだから、どうしても一ヵ所あたりの滞在時間は限られる。おそらく、全体の半分は車中にあったものと推測される。

また、当然ながら、ツアーそのものはAFECの事業の一環であり、これまでの積み重ねの上にあるため、「部隊行動」の原則が貫徹される。今回の場合、ターボ市やポン市をはじめ、現地行政による「来賓」待遇が顕著であり、とくにポン市では二晩にわたって市制70周年を祝う宴席に招かれ、「竜宮城における浦島太郎」ばりの歓待を受けた。これは、AFECと地元の農民活動家による草の根交流の蓄積が現地行政をも巻き込んだ地域づくりの試みへと発展し、行政側が日本を訪問するほどの深い関係を形成したことの反映であり、また、将来にわたる継続的な交流・協力に対する期待の現れでもあると言える。

そのように、歴史的経過の中で捉えれば納得がいくものの、なにぶんこちらは初参加であり、初日から3日続けて「農民交流」という題名から思い浮かぶ情景とはかなり違った場面が連続したため、面食らうとともに、身の置き所ない気分に苛まれたことも事実である。

それはともかく、今回のツアーで最大の特徴と言えば、やはり多彩な参加者の顔ぶれだろう。山下、菅野、大野、松尾といったAFEC重鎮の各氏はもちろん、三里塚の柳川氏ほか農業者、学識者、新聞記者、地域運動家、社会運動家、学生など、総勢24名になるツアー一行は、年齢層も職業も幅広く、現地の人々と交流した際の質疑などでは、各々の経験に基づく意見を聞くことができた。

こうしたツアーの模様については、今後の報告で触れるつもりだが、ここで非常に困った問題に突き当たる。というのも、先に記したように、今回のツアーは長年にわたるAFECの事業の一環であり、訪問先の状況や取り組みの意義などについては、それこそ山下氏の著書もあれば、松尾氏の著書『イサーンの百姓たち』(めこん、2004年)もあるからだ。とくに、今回のツアーは後者の表面を軽くなぞったものと言うべきで、それゆえ具体的な内容については、後者を読めば済んでしまう部分が多い。

にもかかわらず報告を重ねるとすれば、まさに「屋上屋を架す」の誹りを免れないところである。この点をできるだけ回避すべく、異なった角度から迫ってみたいと考えるが、果たしてどうなることやら…。(つづく)

(※1)AFECホームページ(http://afec.hp.infoseek.co.jp/index.htm)参照。
(※2)生ごみ堆肥化を軸とする市民参加型のまちづくり運動。菅野芳秀『生ゴミはよみがえる』講談社、2002年、参照。(山口協:研究所事務局)

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