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研究会報告:グローバリゼーション研究会

ブラジル・ルーラ政権の成果と課題

かつて新自由主義グローバリゼーションによる集中砲火に曝されつつも、その後、反米左派・中道左派政権の相次ぐ誕生を象徴的事例として、現代世界にインパクトを与えているラテンアメリカ。今回は、その端緒となったブラジルの事例を通じて、成果と問題点を探った。

はじめに

ブラジル大統領、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ(通称ルーラ)は、過去3回の大統領「候補」時には、対外債務の支払い停止や国内債務の繰り延べ、物価統制、民営化反対など明確な反新自由主義政策を提唱しながら、当選が確実視された4回目の出馬に際して、これまで批判してきたカルドーゾ前政権の金融財政政策踏襲を宣言し、大統領就任後もこれを忠実に守ったため、左派勢力・知識人からは「変身した」と批判されてきた。

いま南米各地では「左翼」政権が次々と生まれ、反米・反グローバリズムの一大拠点となっている。この端緒を切ったのが、他ならぬルーラである。ルーラはなぜ「変身」したのか、これをどう評価するのか。この点を考えながら、ブラジルと南米の「今」を見てみたい。

ルーラ政権の成立

労働者党(PT)出身のルーラは過去4回、大統領に立候補して3回落選している。うち3回は、対外債務の支払い停止、IMF(国際通貨基金)協定の破棄のみならず、銀行国営化の可能性にも触れるなど、急進的な演説に終始して惜敗している。

4度目の出馬に際してルーラは、PTに対し「過激な演説を維持して万年野党となりたいか、それとも政権が取りたいのか」と二者択一を迫り、政党連合の形成に関して白紙委任状を要求。リベラル党(PL)のジョゼ・アレンカールを副大統領に招聘して、同党と連合を組み、「生産的資本」(投機的金融資本と対照してそう呼ぶ)との提携を提唱して、大統領選に臨んだ。

ルーラのカリスマ性に加え、PLとの連合を実現したことで、投票前の世論調査でルーラは圧倒的な支持を集め、当選確実とみられた。ところが、ルーラ大統領誕生に危機感を募らせたグローバル金融資本は、一斉に資本逃避を仕掛ける。ブラジル通貨レアルは暴落。次期大統領への恫喝をもって路線変更を迫ったのである。

こうした金融資本の動きに加え、カルドーゾ前大統領が橋渡しをすることでIMFから融資の約束を取り付けるなど、様々な策動が蠢く中、ルーラは、「国民への公開状」を発表。@外債の返済猶予や国内債務の繰り延べはせず、既存契約を遵守する、Aインフレ目標を維持、金利は急激に引き下げない―など、野党時代に批判してきたカルドーゾ政権の金融財政政策の踏襲を誓約し、経済的エリートと「市場」に対する保障を提供したのである。

この「公開状」で混乱は収まり、ルーラは決選投票で約5300万票(有効得票率で61.3%)を獲得して大統領に就任する。

ルーラは政権発足直後、@IMFとのプライマリー財政黒字の目標値をGDP(国内総生産)の3.75%から4.25%に引き上げ、予算の一部を保留、Aドル高の影響で上昇し始めていたインフレを抑制するため、前政権からの高金利政策を6月まで続行、さらにB4月にはカルドーゾ政権がやり残した公共部門の年金制度改革案と、税制改革案を議会に送付し、C11月にはこれまで「諸悪の根源」と言ってきたIMF協定を更新。まさに「変身」の公約を実現したのである。

「変身」の成果は如実だ。各種経済指標は好転。レアルの対ドルレートは2002年9月に4.00だったのが、2003年12月には2.9前後で安定。国際収支も大きく改善し、2003年1〜11月期には220億ドルを越える大型貿易黒字を計上する。また、インフレ率は通年ベースで目標率の8.5%程度に収まり、こうした経済の安定成長政策の結果、支持率も僅かな減少にとどまった。

PT(労働者党)とは?

政治家の「変身」は珍しいことではない。しかし、ルーラを今も支え続けるPTの路線と歴史を知ることは、「変身」の理由と意味を探る上で重要だろう。

PTは、1979年〜80年の大産業ストライキの波のなかから誕生した。反独裁闘争の主力部隊となった労働運動がその母体だ。

1980年代初頭、「労働者は労働者に投票せよ」という階級意識を基礎に政党化を実現したPTの得票率は、全国平均3%。しかしサンパウロ州では10%を獲得しており、工場地帯の都市労働者の党といえるだろう。これに左翼諸潮流(毛沢東主義者、トロツキストあるいはカストロ派起源)も参加した。左派潮流の党派闘争を抱えながらの党運営であったが、党の統一を維持してきたのは、労働組合指導者たちという歴史的「核」の存在ゆえだと言われている。

PTの経験、特に自治体運営におけるそれは、重要である。最大都市サンパウロの自治体選挙で二回勝利したPTは、リオグランデ・ド・スルー州の州都ポルト・アルグレも四期統治し、ここでの「参加型予算」の経験は、直接民主主義の諸形態および法的制度と市民の間の一種の二重権力を発展させた。

また、最初の二回の世界社会フォーラムを誘致・組織することで、ポルト・アレグレはある意味で、新自由主義グローバル化に対する抵抗の首都となった。PTには行政運営の経験の蓄積があり(汚職によるサンパウロ州知事選での敗北も含めて)、これがルーラに、より現実的政策を採用させる大きな背景となっているといえよう。

参加型予算と連帯経済

マクロ経済では、前政権の政策を踏襲したルーラだが、社会運動団体が進める住民・市民参加型行政は、積極的に推進し、欧米型議会制民主主義を超える公共空間を創造しつつある。

参加型予算とは、予算の一定部分を住民のボトムアップによる議論(民衆議会)の結果に沿って配分するもので、参加型民主主義、討議民主主義とも呼ばれている。「先進国」では制度疲労を起こしている議会制民主主義の補完物という位置に甘んずることなく、実績を上げることで正統性を向上させ、世界から注目されている(日本でも、部分的にこれを取り入れている自治体がある)。

さらに連帯経済(Economia (Popular) Solidaria)の発展にも注目すべきである。ブラジルの連帯経済とは、地域密着型で小規模な一群の企業・組織を指す。交換クラブ(clube de troca)なども含まれ、自主、協同、民主、平等、教育をその原理としている。

連帯経済は、80年代初頭の経済危機で倒産した企業を労働者が自主管理で再生したことに端を発している。失業、貧困、倒産などの経済・社会問題に対する協同組合、労働運動、NGO的アプローチで、社会主義、アナキズムなどの思想的影響もある。

ブラジルの連帯経済を見る上で、政府内部に連帯経済の関連部署をつくり、官が積極的に連帯経済を支援していることは注目されていいだろう。雇用労働省に国家連帯経済局(SENAES)が設置され、連帯経済の支援を行っている。

貧困問題が未だ深刻なブラジルにあって、連帯経済は民衆が生き抜くための戦略であり、社会の実質的なセイフティネットとなっており、社会・政治の安定に欠かせないものとなっている。

ルーラ政権の貧困対策

貧困削減を掲げるルーラ政権は、飢餓ゼロ・プログラムをブラジル全土で大々的に実施している。同プログラムは、カルドーゾ前政権(1995〜2002年)のもとで実施されていたセクター別の社会政策をより包括的に統合したものだ。

飢餓ゼロ・プログラムは、1日1米ドル未満で生活している人を飢餓ラインに設定している。この基準を2001年の全国家計調査をもとに計算すると、全国で約4370万人、1050万家族もが貧困状態で生活をしていることになる。ブラジルの全人口が約1億7000万人であるため、この数字は実に全人口の4人に1人に相当する。

ルーラ政権は食糧安全・飢餓撲滅特別省を新設し、家族の代表者(女性)と市民団体の代表から構成される機関、地域実施委員会(Comite Gestor Local)を各ムニシピオ(基礎自治体)に設置した。

これを推進母体にして、飢餓ゼロ・プログラムの主要プログラムである食料カードプログラムに識字や栄養に関する教育、零細農家への支援、学校給食の補助など四つの所得移転プログラムを統合して実施している。

飢餓ゼロ・プログラムでは、まず子供の有無に関係なく、月額家計所得が1人当たり50レアル未満の家族に毎月50レアルが支給される(ベーシックインカム)。これに加えて、0〜15歳の子供がいる場合(月額家計所得が1人当たり50〜100レアルも)、子供1人当たり最低15レアルの補助金を3人分まで受給できるため、最高95レアルの受給が可能となっている。

さらに、所得以外にも学歴、居住環境、公共サービスへのアクセスなどの貧困に関する社会指標が、選定基準として採用される場合があり、きめ細かな支援がなされている。

同政策の対象となった家族には、@子供の予防接種の手帳を保持すること、A子供の学校での就学を証明すること、B保健所に定期的に通うこと、C補助金の支給を受けた際に栄養についての講義や識字教室、職業訓練などの活動に参加することなど、以前の政策に比べより多くの義務が課されている。

こうした支援プログラムの統合によって真に支援を必要としている貧困家族が以前のように対象から漏れるといった問題は発生しにくくなり、貧困家族が受給する補助金総額の増加が可能となった。政府が支給する補助金の総額は増加したのだが、政策実施コストが削減され、総体的にはより効果的な公的資金の活用が実現された。

同プログラムは、市民セクターとの連携によって成り立っている。対象家族の選定およびプログラムの管理という重要な責務を市民社会の代表からなる地域実施委員会に委ねており、市民セクターが下請け機関ではなく、主要な実施主体となっているのである。

ルーラ政権の社会政策は、カルドーゾ政権のセクター別社会政策を引き継ぎながらも、政府、民間企業、市民社会といった各セクターの協力を軸とする参加型民主主義システムの形成を特徴としており、諸セクターの単なる合算とは異なる。

ブラジルの民衆運動

次に社会政策を要求し、今やその実施主体となっている労働組合運動をはじめとした社会運動をみてみる。

1980年代、主に工場労働者が労働組合を基盤とした組織的な運動を展開するようになると、労働問題以外の社会問題の改善を目指す人々は、自らの組織化を模索し、労働組合運動とは異なる独自の社会運動を展開するようになった。その代表格が、土地なし農民運動(MST)だ。MSTは、解放の神学・左翼運動の影響を受け、カルドーゾ時代に拡大。国内23州で協同組合を結成している。

ロセット農地改革相は、国家農地改革院・地方長官の半数をMSTに入れ替えるなど、MSTとの連携を重視しており、MSTはルーラ政権の主要な支持母体の一つとなっている。ただ、ルーラ政権の土地改革が、大地主の強い抵抗で事実上進展していないため、政権とは常に緊張関係にある。ルーラ政権二期目の選挙で、MSTは支持を表明せず、決選投票でようやくルーラ支持に回った。

他にも「民衆運動本部」は、社会主義的傾向が強く、反新自由主義の姿勢を堅持している。1993年に発足した「民衆運動本部」は、保健医療、住宅、教育、人権、コミュニティ運動、環境など総合的センターである。

また、住宅改善のための民衆運動は、「全国大衆住宅連盟」「全国住民協会連合」「全国住宅闘争運動」などによって担われており、政府の都市公共政策の策定にも積極的に参加している。サンパウロ市では、住宅政策のあり方を審議するための「住宅問題審議会」が設置されており、メンバー48名の3分の1にあたる16名を、選挙で選ばれた住宅運動団体などのリーダーが占めている。

集会やデモ行進などの活動に参加するごとにポイントが累積され、ポイントが高い者、つまり団体活動への参加度合いが高い者が、優先的に住民参加型住宅政策などの住宅政策の対象者となる権利を得ることができる。また、先にポイントを多く獲得して政策の対象者となり、居住していた地区から転出した者がコーディネーターを務めることで、情報やノウハウが経験者から未経験者にフィードバックされ、住民同士の組織的な関係の強化と維持が可能となっている。

住宅改善のための民衆運動は、運動への参加の度合いと生活向上とが直結しており、それが民衆運動に参加する際のインセンティブとなっていることは確かだろう。ただし、日本の部落解放運動が運動と生活向上をリンクさせることで大衆基盤を獲得しながらも、同時に利権漁りの温床となって運動の形骸化と組織の腐敗を生んだことを考えると、ブラジルの民衆運動が、こうした危険性に対していかなる対応、克服の実践を行っているのか、さらに調べる必要がある。日本の社会運動にとっても、非常に重要な情報となるはずだ。

ルーラ政権の「変身」とは?

まず、ブラジルという大国の大統領といえどもその経済政策は、時々の世界的な流れ・国際関係に大きく制約される点を重視すべきである。国際投機ファンドが一国の通貨価値を激変させ、国民経済を破壊する力を持つことは、繰り返される通貨危機によって実証されている。彼我の力関係を客観的に判断すれば、一時的な妥協が必要なこともあるだろう。

また、ルーラが「変身」、つまり現実的路線を採用した背景に、PTに蓄積された自治体運営の経験が影響しているのは間違いない。PTによる自治体運営は、権力維持のための消極的な妥協以上に、参加型予算や連帯経済の試行、あるいは自治体政府と社会運動の間の連携・協働の基盤形成を伴う、社会変革への積極性において捉えることができる。こうした経験のゆえに、一時的な妥協で済んでいると言えるのではないか。

もちろん、ルーラを大統領の座に押し上げた反新自由主義運動、例えばMSTなどがルーラの「変身」を批判するのは、相応の根拠がある。そもそも運動と国家権力とは、原理において根本的に異なるものだ。左派政権だからといって、社会運動が同調したり、回収されたりする必要はない。むしろ、自らの目的に従って政権を批判し、社会に潜在する多様な意見を突きつけることこそ、社会全体の健全な発展を担保するものと言えよう。

日本の現状からみて、南米・ブラジルは、遙か先を行く「先進」国である。それは、新自由主義改革が先行したことだけではない。何より、ベーシックインカム、総合的な社会福祉政策、連帯経済、さらに政権と社会運動の関係などについて、一定のオルタナティブを提示している点でこそ、そうなのである。

日本でも、先の参院選で自民が大敗し、ようやく小泉(新自由主義)改革の実態が誰の目にも明らかになってきた。ただし、現状、その受け皿を期待されている民主党は、政治内容を見れば、「変身」したとされるルーラとも、比べものにならない水準である。

とはいえ、ない物ねだりは無意味だろう。ブラジルで反新自由主義勢力が社会的影響力を獲得するまでには、10年以上の歳月を要している。とすれば、いま我々に求められているのは、10年単位で戦略を練り、社会的実践を積み重ねるような構想力である。(山田洋一:『人民新聞』編集長)


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