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研究会報告―「農」研究会

はじめに

時間的に前後するが、野田公夫さんの講演学習会を開催するきっかけとなった「世界農業類型と日本農業」の学習会について、チューターから報告と感想が届けられたので、以下に紹介する。

「農を軸とした新たな地域のビジョン」とは?

「よつば農産」の津田道夫さんが、野田さんの論文「世界農業類型と日本農業」を「農」研究会のテキストに薦めてくれたときは、あまり乗り気ではなかった。実を言うと『季刊あっと』第6号は他の論文に目が行って、野田さんの論文は軽く目を通した程度だった。しかし論文のレポートと勉強会の進行役の当番が自分に回ってきて、じっくり読んでみると意外に(失礼!)面白かった。

以前、よつば農産在職時に、地場の農家や「アグロス胡麻郷」の橋本昭さんなどを通して、間接的・直接的に「農業と小農論」について考えさせられる日常があった。その後、能勢農場の畑で毎日汗を流しながら、休憩時には畑の畝に座ってボンヤリと考えに耽ったり、小農論に関する本を読んだりしながら、自身の問題意識は継続していた。

2年前の暮れにWTO香港閣僚会議に抗議して現地へ行ったとき、農民運動の国際的な連合組織「ビア・カンペシーナ」の隊列に加わり、アフリカの農民と出会い、ヨーロッパの農民運動とも知り合いになった。そのとき出会った外国人たちは、「日本から来た」と言うと、「ああ、消費者組織の人間か」という意味合いのことを言う人が多かった。日本にはグローバリズム(新自由主義)・WTOと闘うような農民自身の運動がない(少ない)ことをよく知っている様子だった。

これまで何度か、この誌面に「農」研究会の様子を報告させてもらったが、『日本の農業150年』(暉峻衆三編、有斐閣)や『マルクスのエコロジー』(ジョン・ベラミ・フォスター著、こぶし書房)、『経済学は自然をどうとらえてきたか』(ハンス・イムラー著、農文協)など何冊かのテキストを「協働」で勉強して、農業・農政の歴史、世界や日本の農業の現状、人と自然の関係について、自分なりに見識を深めることができたと思っている。

しかし、そこから何か新たな「農民運動」のイメージが見えてきたかと言うと、当然ながらまだ見えていない。「そんなもん簡単に見えてたまるか!」と怒られそうだが、怒る人はまだいい。「日本の全産業の労働者数のうち、直接的な農業労働者はほんの数%、輸入農産物に有利な市場経済の現状を見れば、今更そんなもん本気で考えている田中の方が間違っている。もっと有機農業運動に目を向けるべきだ」と親切に注意してくれる人もいる。

今回の野田さんの勉強会では、「東アジアの小農必然論に導く類型論の展開」、「経営・市場・所有に対する対応方向・対応力を示したE・トッドの家族と社会の類型」など、興味深い話が幾つかあった。また大正期の農業を巡る情況について、当時の農家の子弟の心理と社会状況、「小作組合(小作争議)」と「農家小組合」の関係などがリアルに描かれており、勉強になった。また、下記の「当時のマルクス主義」への批判的な叙述は、自身の問題意識とも重なっている領域でもあり、特に興味を惹かれた。

「小作料減免争議が輝かしい成果をあげていた初期日農(日本農民組合。1922年創立)。耕作権強化か土地所有権獲得か。前者からすれば後者は、無産者の戦闘性を有産者(小所有者=プチブル)化することによって奪うとともに敵の側に追いやる反動方策であり、それを『農村現場の実情』で正当化することは『自然発生性への拝跪』でしかなかった」。

当時のマルクス主義が上記の理論構成だけで括られるのか、議論の余地はあると思うが、翻って、自分も現代の農民運動をイメージするとき、新自由主義経済(資本主義)と闘うラジカルな農民運動という風に、多少図式的に考えていた面があったと気づかされた。

しかし、講演会で野田さんの言った「貧農革命論ではダメ。抑圧がひどければひどいほど個人は従属的になる。バラバラの個人からは変革は生まれない」という趣旨の話には、少し気になるところがある。変革の動機や衝動は、抑圧された個人の中から生まれる、と自分は思っている。個人の実感に立脚した変革でなければ、単に構造を抽象的に問題にしているだけになってしまう。もちろん、この話は「バラバラではダメだ」ということに重点があると思うが。

野田さんの論文は「かつての農民運動が最終の目標とした(社会主義的)土地国有こそ、非農民の権力者(プロレタリアート)による農民疎外の一形態」という椎名重明氏の見解を引用するなど、このあとの展開は「人と土地の関係」についての提起へと続いている。

「従来の議論の欠陥は、土地所有権を抽象的に捉え現実社会でとる多様な意味内容に即して把握しなかったこと。『現実の利用内容・利用形態』という視点を欠いた所有論であったこと」。「新しい人と土地との関係性(地域レベルの土地利用)を実現するためには、『土地所有権は空洞化した』という現実認識とともに、目指すに足る『共的ビジョン』および『私権の制約を受容しうる相互信頼』が必要となる。その役割は再び(リニューアルされた)ムラもしくはムラ近似の地縁集団(旧村など)が果すべきであろう」。

そして、その役割を果たすべき「新たなムラ」論についての野田さんの叙述は、「近現代日本におけるムラ論は、マルクス個体的所有(個とアソシエーション)論の見地から批判・吟味・再評価すべきであると考えている。そして、地縁的要素に支えられた日本的なあり方とは別に、血縁をはじめとする種々のネットワークに支えられたアジア的な農民世界も、各々の個体的所有(個とアソシエーション)のあり方を考えるうえでの貴重な母体(歴史的経験)として見つめなおすことができると思う」と展開されている。

この「新たなムラ」論を単なる土地(農地)利用論としてではなく、「陣地戦」−「二重権力」としての「農を軸とした新たな地域のビジョン」として捉えるとき、われわれが先達から受け継いできた「北摂の実践」に繋がっていく軌道が見えてくるのではないかと考えている。(田中昭彦:関西よつ葉連絡会事務局)


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