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研究会報告−「よつばらしさ」の根源を探る
市場経済をどう超えるか―食・農・地域の視点から

研究会では、去る8月4日、中村尚司さん(龍谷大学教授)、橋本昭さん(農業、アグロス胡麻郷)、本野一郎さん(JA兵庫六甲)という各界の大御所をお招きし、「市場経済をどう超えるか―食・農・地域の視点から」と題して論議の場を持った。中村さんの著書『地域自立の経済学』(第2版、日本評論社、1998年)を研究会のテキストに選んだことがきっかけだが、幅広く意見を交わすことによって、これまで学習した内容を整理する狙いもあった(もちろん、議論をダシにビールを楽しむという「真の目的」も)。当日は平日夜ながら、参加者20人以上の盛会。当初、中村さんのお話に続いて橋本さん、本野さんによるコメント、それを受けて自由論議という手はずだったが、交通事情から中村さんの到着が遅れたため、急遽、以下の順序でお話しいただくことになった。(発言まとめ、文責は研究所事務局)

「食べ物通貨」の試みから(本野さん)

30年間の農協勤めの中で「地域と農と食」にこだわってきた。現在の取り組みについて話したい。
 農業をめぐるここ5〜6年の状況を見ると、危機的と言わざるを得ない。農産物の単価一つとっても、それ以前と比べ、年々低下していく構造が確実にある。市場経済というものが、非常に暴力化していると感じる。「どう超えるか」以前に、一刻も早く遮断すべきところにきている。遮断の仕方を提案するのが我々の仕事だと思っている。
  この間、職場のJA兵庫六甲で立てた「5ヶ年計画」の中で、(1)自家採取運動、(2)「食べ物通貨」という地域通貨の発行、(3)園芸療法―の3点を提案した。農協の方針としては破格だが、自分の実績とわがままで押し通した。ここでは「食べ物通貨」について紹介したい。
 食べ物通貨の目標は何か。それは、(1)地域の農業を大切にする、(2)地域の環境を大切にする、(3)助け合いの気持ちを大切にする―の3点。それらの目標に貢献する人々に支払われる。今のところ、地域ではほとんど知られていないが、持っている者同士が出会えば、何となく心が通う。そういうものとして考えている。
 一方、これを発行できる人としては、とりあえず食べ物を生産しているという限定を設けた。つまり、通貨の担保・信用力として食べ物を置いたということ。江戸時代の藩札と似たところがある。現在、最も通用しているドルの信用力は、実はアメリカの軍事力。それが市場経済の根本を支えている。しかし、食べ物通貨の信用力は食べ物の生産、さらに言えば生産者と消費者の信頼に基づいている。ドルの場合、ニューヨークの株式が暴落したり、日本がドルを市場に放り出したら、価値は一瞬でなくなるが、食べ物通貨は地元の米、その生産を可能にする地域社会に支えられており、価値を失うことはない。
 だから、渡すときも、それなりの意味づけが必要。量販店のポイントカードとは訳が違う。ボランティアで地域活動に励んだ人、地域の催しに手弁当で参加してくれる人、そういう人々同士がお互いにつながり合う手段として、渡したり使ったりする。逆に言えば、生活観とか価値観の転換を意識的に追求する中で使うという、工夫なり緊張関係が必要になってくる。この点が課題。
 そういう通貨が流通することで、お金を中心とする尺度から、この研究会で言えば、使用価値の世界に次第に接近していけるのではないか。もちろん、これだけで市場経済が超えられるわけではないだろうが、ともかくやれるところから超えてみようと思っている。

「依存」こそ「自立」(中村さん)

「自立と依存」の関係について話したい。いま、地域通貨を作って、内部で回していれば、あまり外部に頼らずに地域で経済活動が自立できるというお話があったが、それは大きな誤解。単なる孤立、独りよがりに過ぎない。なるべく依存しないで生きていこうという考え方が、私たちを蝕んでいる。実は、依存する対象が多くなればなるほど自立は高まる。
 例えば、全面介護が必要な重度障害者の場合、介護保険のような「何でも自分でやる」という自立モデルでは、生きていけない。まともな生き方をしようとすれば、逆に、どれだけ多くの人・施設・制度に依存できるかにかかってくる。この点は障害者に限らず、人間総体に当てはまるはず。
 そもそも、動物の中で人類だけが、特異な依存関係を持っている。哺乳動物には「全身が毛で覆われている」という特徴があるが、人間だけは自分の毛を捨て、代わりに他の動物の毛皮を奪い取った。こうした依存の深化と同時に、人間は人間としての自立を果たすことができた。
 商業は、こうした自立のあり方を象徴している。商品としてモノを交換するのは、人間以外の生物、動物にはない特徴。人間だけが「自分にないものが相手にある、相手にあるものが自分にない」として交換の輪を広げ、依存を深めることができる。マルクスはこうした特徴を軽視し、商業を生産労働よりも下位にあるものと捉えたが、それが間違いのモト。十数代続いた薬屋のセガレとしては、「商人だってちゃんと生産している」と言いたい。
 約2000年前、古代中国から、ラクダの背中に陶器や絹を乗せて古代ローマに運び、ガラス玉や香料、宝石を持ち帰った。古代中国も古代ローマも、互いに支配・弾圧・収奪・抑圧することなく、異なった生活様式、文化の様式を交流しながら、新しい文化をそれぞれ多様化していった。
  ところが、それから約1000年後、スカンジナビアのバイキングと北アメリカ先住民との間では、そうした形での交易は、すでに成立しなくなっていた。さらに500年後の大航海時代には、ヨーロッパから鉄砲を担いで、当時のアステカ文明やインカ文明を破壊し、虐殺して金銀財宝を奪うような商業・交換のあり方に変わる。さらには、アフリカ大陸で奴隷を集めて船に乗せ、アメリカ大陸に運んでいくような、むちゃな話になってしまった。
 黒船が来航した際の江戸幕府の慌てぶりは有名だが、実は同時期、アメリカ海軍は石垣島に上陸して、約200人を殺している。アメリカの奴隷船から逃れて、保護を求めた中国人たちを匿ったから。それでも石垣の人たちは、生き残った中国人を故郷の村に送り届けた。
 石垣や琉球は、商業・交易を基本とする社会。琉球ではほとんど稲作を行なわなかったにもかかわらず、アジアの各港と特産品を交換しながら立派に暮らしていた。商業を通じて人と人が交流し合う経験を積み重ねたところは、武器や弾薬を使う必要は少ない。権力構造の点では、琉球や石垣は江戸幕府に比べて圧倒的に劣位にあったが、人間性という点でははるかに立派。
 私たちはつい過去500年の常識、特に19世紀西欧の常識で考えてしまう。経済学はその代表で、「自分と相手は相互関係なし、まったく相互依存なし」という原理から始まる。しかし、そんな学問が大手を振るっている社会は、大航海時代と根本的に変わらない。
 本当に大事なのは、交流や交換、交信といった相互依存の網の目を拡大すること。そこでは商業が非常に重要な役割を担っている。お金もその方向で使われるのなら望ましいが、実際には、我々が孤立する方向で使われがち。そこに問題がある。

農業が「やっていかれへん」(橋本さん)

市場経済とは何か、とりあえず悪性のリンパ腫みたいなものと捉えている。いま自分が住んでいる田舎と市場経済とがどう絡んでいるか、その点について話したい。 自分の周りにいる田舎の爺ちゃん、婆ちゃんたちは70半ばを越え、いよいよもうろくが始まっている。よつ葉に出荷するのに、伝票を出したか出してないか覚えていない。そんなことがポツポツ起こっている。だからといって、農業の跡継ぎはいない。集落の耕地面積は合わせて約40町歩だが、新参者の自分が、そのうちの6町歩、総耕地の15%を預かることになってしまった。 当初、自給自足に近い形で3反半から始めたが、年を追うごとに増えてくる。2〜3年前はそれでも2町歩ぐらいだった。ところが、ここへきて6町歩。1軒が「もう耕作できなくなった」となると、それにつられて「うちも頼むわ」となっている。 そんな状況に対して、農政からは集落営農だとか、担い手の育成だとか、いろんな施策が下りてくる。村の中には、それに沿った動きもある。しかし、基本的な趨勢として、おそらく4〜5年のうちに雪崩のように耕作放棄が広まるだろう。実際に、放棄せざるを得ない状況がある。 以前、東京に行った際に耳にし、印象に残っている話がある。日本の食料自給率は40%。よつ葉の界隈では危機感を持っているはず。だが、東京の省庁では「日本は40%しか生産する力がない、お世話になっている諸外国とは、今後とも良好な関係を維持すべき」という認識。これは「健全な貿易の結果」なのか。非常に気がかりだ。 村の大半は兼業農家だが、生産能力がないかといえば、そうではない。「それで食っていけるんやったらわしらはやりたい、そやけどなあ…」というのが本音。だから、かなり認識が違う。ここらの都会の人はどう考えているのか。「よう作らへん」のか、「やっていけへんからやれへん」のか。 実態は、本野さんの言う通り。農業が再生産できる価格では売れない。だから「やっていけへんからやれへん」。その結果、種を播き、耕せば作物ができるのに、みすみす耕作放棄され、むなしく草刈りに明け暮れているという状況。 もう一つ気になるのは、輸入農産物を見ると、あまりにも日本人に適合したのもばかりだということ。これは明らかに日本向けに作っている。その背景は、中国などの輸出国が頑張っているか、日本国内にそれを手引きする動きがあるか、どちらか、あるいは両方だろう。 結局、日本の中で日本の農業をどうするのか、第一に決着をつけるべき話が、WTOとかFTAとかという話になって、「中国がどうした、メキシコがどうした」とすり替えられている。そういうことを商社がやっているとしたら、そのうち農協を道連れにしていくのだろうと思っている。

感想:お話を聞いて

「三農問題」が以上のようなものだとすれば、その解決にあたっては、農業の生産性の向上、農民の貧困化の解消、都市との格差の縮小、が要点となる。これらについて、中国共産党・政府はこの間、遅まきながら積極的に取り組む姿勢を見せている。とりわけ、「和諧社会(調和ある社会)の建設」をスローガンに掲げる胡錦濤指導部が発足して以降、それまで成長優先だった基本方針を見直し、再分配の平準化を通じた社会の安定を重視する傾向が鮮明になった。 この点で、党中央委員会が年間の最重点課題を通達する「中央一号文件」に、04年以来3年連続で「三農問題の解決」が掲げられたことは、象徴的である。また、06年から10年までの経済政策を示す「第11次5ヵ年計画」でも、「6つの原則」の1つとして「都市と農村の協調的な発展を促進する」と明記された。さらに、昨年秋の党中央委総会では、三農問題対策の新たなスローガンとして「社会主義新農村の建設」が提起され、今年3月の全人代で国家的政策方針として承認された。

党・政府にとっての三農問題

実際に耳にした限りでは、各論者の主張には差異が感じられたものの、今回改めてまとめてみると、意外に共通する部分が多いことに気づく。
確かに、中村さんが説く「自立と依存」の関係からすれば、本野さんが触れた「食べ物通貨」は一見、関係を狭く閉じて自給自足するものと映る。しかし、本野さんの真意は、コミュニケーション手段としての通貨を認めつつ、その信用力を「貨幣による貨幣の増殖」という物象化された関係にではなく、具体的な人間関係の次元に引きずり下ろすことにあると思われる。言い換えると、人間的諸力の交通を活性化させ、地域的な相互依存関係を積み重ねることで、むしろ貨幣への一方的な依存関係に歯止めをかけようとするものである。
また、橋本さんが自らの村の現状に即して語ったことは、本来、人間の生活を成り立たせ、豊かにするはずの生産なり商行為なりが、それとは逆の結果をもたらしている現状に対する批判である。土地も生産力も技能もある、にもかかわらず、作れば作るほど食えなくなる。それは、生産活動が人間生活の実質に基づいて行われるのではなく、専ら利潤を蓄積するために行われ、しかもそうしたあり方が自らの与り知らぬところで決められているからである。逆に言えば、生産者・消費者の生活が維持され、さらに豊かになり得るような生産や商行為が望まれる、ということでもある。
各論者に差異が感じられるとすれば、おそらく、本野さん、橋本さんが商品交換の「現在」から語っているのに対し、中村さんは商品交換の「原点」から語っているためではないか。
この点に関し、歴史家の網野義彦はこう述べる。
「実際、『商業は人類の歴史とともに古い』といわれる通り、…交易、交換、それを目的とした生産、商品生産は人間社会の最初からあったと考えられる。…『自給自足』の経済生活など、…研究者のつくり出した『幻像』といわなくてはなるまい。」(『日本とは何か』講談社、2000年、14頁)
確かに、こうした意味での交換は、廃絶しようにも不可能であり、無理にしようとすれば、権力的統制を極限まで強化する形にならざるを得ない。歴史的実験としては、既に失敗に終わっている。
ただ、そうは言っても、問題は残る。中村さんが言うように、約2000年前には非常に望ましい形で営まれていた商品交換が、約500年前には直接的な暴力を伴うものとなり、現在では資本による構造的な暴力として、人間生活に破壊的な影響を及ぼすようになった。それは何故なのか。
こうした変化を遂げた原因は、商品交換それ自体の中にあるのか、あるいは商品交換に外から別の要素が加わったからか、はたまた橋本さんの言う「悪性リンパ腫」のごとく、原初的な商品交換がいつの間にか突然変異を遂げたのか。そうだとすれば、そこにはどんな原因があったのか。
私は当日、こうした疑問を中村さんにぶつけたものの、豊富なネタに基づく熟練の話芸に翻弄され、正直言って消化不良の感が残った。おそらく、自分で考えろということかもしれない。しかし、自立した思考のためにも、もう少し依存させていただこうと思っている。(山口協)


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