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コラム:市民環境研究所から(34)
中央アジアの砂漠の街に眠る39名の死と靖国参拝

この十数年、8月は海外で暮らすことが多い。どこかに避暑に行くのか、結構な身分だと思われるかもしれないが、そうではない。本欄でもなんどか書かせていただいた中央アジア・アラル海調査が酷暑の8月に多いだけのことである。それゆえ、広島・長崎の原爆記念日の黙祷も沙漠の中で人知れずにする。敗戦記念日の8月15日もそうである。出会う人の数よりもラクダの数のほうが多い沙漠の中にキャンプを張っての生活であるから、日本の情報が得られることはなく、アパートのあるカザフスタン共和国の最大の都市であるアルマティに戻って来れば、NHKの海外放送を見るか、インターネットで新聞社のホームページを見て、2週間ほどの間に起こった日本の事件などを知ることができる。
 しかし、今年は7月末に関空を出発して8月19日にそのアパートに戻って来るまでは、一切の情報から切り離されていた。さらに、アパートではケーブルテレビ会社の都合でNHKの海外放送が見られなくなった上に、パソコンの不具合でインターネットも不可能となったので、8月15日に小泉首相が靖国神社に参拝したかどうかも分からなかった。帰国直前にパソコンが復活してくれて、やはり小泉が参拝したことを知った。半数以上の国民が彼の参拝を支持したとの世論調査結果があるという。こんな首相を支持する日本人とは何なのだろうと思う。
 アラル海からアルマティに帰る車の旅は、1500キロの沙漠の中の旅である。その真ん中あたりにトルキスタンというイスラムの聖地の街があり、そこから幹線道路を左折して50キロほど行ったところに、ケンタウという小さな市がある。沙漠から少し小高い山裾に入った、街路樹の多い綺麗な街である。その市内の公園の一角に、日本人の慰霊碑がある。平和慰霊碑と書かれた茶色の石碑の裏側には、「1945年、元第63師団(陣)将兵の一部は、労役のためこの地へ送られ、2ヶ年の後、日本へ帰ったが、内39名は病を得て没し、遂に日本の土を踏む事はできなかった。陣戦友会は戦友の死を悼み、ケンタウ市の絶大な友好協力のもとに、国内で広く募金を行ない、その浄財をもって1993年にこの碑を建設したものである。陣戦友会平和慰霊碑建立委員」と刻まれている。
 シベリア抑留や南方の戦地での慰霊活動は国内でも知られているだろうが、中央アジアの沙漠の街にこのような死があり、慰霊碑があることを知る人は、関係者以外はほとんどないであろう。筆者自身も、中央アジアで研究を始め、この戦友会の慰霊碑建立のお手伝いをするまでは、まったく知らなかった。帰りを急ぐ旅であることが多く、この碑にお参りに行けたのは、たった1回である。今年も、トルキスタン市を通りながら、小泉の参拝を知らないままで、遙か西方のケンタウに向かって黙祷をしつつ帰ってきた。ここに眠る39名の死と靖国参拝問題を考え続けたいと今年も思った沙漠の旅である。(石田紀郎)



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