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市民環境研究所から

コロナの後に問われる課題


 経験したこともないコロナ禍の中で何をやって3年間もの月日を過ごしたのかと自分に問いかけても明快な返事は返ってこない。友人知人に聞いても返ってこない。やっと京都府下のコロナ発症患者数(日単位)が百人のレベルに落ち着いてきた。政府はマスク着用を義務付けない方針を提示したが、それが科学的な根拠と考察の結果なのか疑問である。長く、厳しい寒さの冬が終わったことは毎朝の散歩で楽しむ桜の蕾の膨らみと部分的開花から納得できる。この3年間は何だったのかをこれから冷静に、慌てることなく考え、噛み締めて社会の有り様と自分の生き様を模索しなければと皆んなが思っているだろう。

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 筆者が所属する市民団体:NPO法人・市民環境研究所でも会員や知人が一緒に議論する場として続けてきた「環境塾」を3月から再開した。ただし、当方の狭い事務所での集まりは10人以下に限定し、zoomを使用し、知人友人や見知らぬ人にも声をかけての開催で、毎週土曜日の夜に5週続けてのプログラムを組んで始めた。その後はゆったりと気長に継続する予定である。コロナ禍がzoom方式を身近なものにしたが、この方式で参加者間の信頼と親交が出来上がるのだろうかとの疑問を抱いている。

 環境塾を復活して続けたいと考えている過程で、1980年代の「市民講座かざぐるま」のことを思い出し、1980年代の市民運動に参加した人たちの生き生きとした表情と動きを懐かしんだ。

 「市民講座かざぐるま」の出発は自分達の仲間の中での違いを越え、総合理解を深めたいと始めた。琵琶湖からの水を飲料水源にしている京都では琵琶湖での赤潮発生で、浄水場で処理してもカビ臭は消えず、臭い水を飲み続けなければならなかった。この問題と水汚染の原因である合成洗剤追放運動から「京都・水問題を考える連絡会」が結成され、多くの女性が参加し、それまでになかった市民運動を展開した。この連絡会などが中心となって、毎年5月3日に鴨川の三条河原から円山公園まで「5・3いのちと環境を守る市民の行進」のデモ行進をした。年々参加団体が増加した中で水問題に取り組む女性陣から異議が発せられた。「合成洗剤を追放したいが、原発には反対しない」ので一緒に行進するのは嫌だと。事務局では「合成洗剤追放」を先頭に、「原発反対」は最後尾にする対処法で切り抜けようとしたがそんな簡単な問題ではない。そこで「環境問題全般を考える」市民講座を開始し、その中で「原発問題」も考えるからぜひ参加してほしいと要請した。

 取り上げた課題は上下水道、合成洗剤、食品の安全、水俣病、有機農業、医療、原発、奇形ザル、核兵器…と多方面にわたり、10年近く市民講座を148回も開催した。この講座の運営は前代未聞の方式で詳細記述は不可能であるが、簡単に表現すると以下のようになる。①今日の講師は明日の聴講生だから講師に交通費以外の謝礼は出さない、②各講座担当者は講師から宿題をもらい、講座に必要な資料を作成する、③今日は初参加であっても次回参加からは主催者に、④仲間同士で話すよりも初めて来てくれた参加者と話して仲間を増やそう――などなどを主催者仲間で考え、実践した。

 鶴見俊輔さん、日髙六郎さんのような有名な人から庶民までが謝礼なしで講演を聞き、会話を弾ませた講座風景は今も宝ものである。こんな講座が功を奏しただけとは思わないが、「市民の行進」は10年間も続き、当時の写真を見るとデモの先頭は婦人たちが務め、原発反対は嫌だからと言ってた人も脱退することなく一緒に行進した。この企画は多くの成果を得たが、1990年代に入ると5月のゴールデンウィークは家庭サービスの日々となり、デモは中止となったが市民運動は多くの成果を得た。

 例えば、1984年に故飯沼二郎さんが代表となって結成した「原爆の図を見る会」主催の「丸木位里・俊の原爆の図」展を京都市美術館の半分を借り切って開催し、10日間で3万人の来場を実現した。

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 こんな風に、80年代は組織動員などとは無縁の市民と市民団体の自由な発想の下での活動が大きな成果を社会にもたらした時代だった。コロナ禍後に普通の市民が主力となる運動が再興できないとこの社会はどうなるのだろうかと不安を感じている。

                        (石田紀郎:市民環境研究所)
  


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