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  アソシ研リレーエッセイ
  『タカセがいた』



 本の読み方としては、若い頃から何冊かを並読する方だった。年を重ねるにつれて、その傾向はどんどんひどくなって、10冊以上もの本が机の上、横の椅子の上に積み上がって、収拾がつかない。気分が向いた時、散乱している本を整理し、書棚に残す本、古本屋に処分する本を仕分けし、とりあえず片付けることとなる。書棚の絶対量は決まっているので、押し出されて消えていく本、いつまでも残っている本。どういう基準なのか、自分にもさっぱり分からない。でも、一つはっきりしていることは「著者」で選別される傾向はかなり顕著なように思う。

 柄谷行人氏の最新著『力と交換様式』は、書店に平積みされているのを横目で何度も見ていながら、手に取ることをしなかった。書棚に何冊も氏のこれまでの著書は並んでいて、よく読んで来た著者の一人だった。でも、「もう読み切れないだろう」と何故か感じてしまって、以前だったら迷わずすぐ購入したはずなのに、素通りして来た。ところが、その日は、何故なのかよく原因は判らないのだけれど、ちょっと元気で、『力と交換様式』にすっと手がのびて、購入することとなった。でも、100ページほど読み進んだきりで止まって、机の上に積まれている。

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 柄谷行人さんとは、アソ研の講演会に話しに来ていただいた折、一度だけお会いしたことがある。その時、一緒に来阪されていたのが高瀬幸途氏。彼とはその後、何度もお会いする機会があって、当時編集を担っておられた雑誌『社会運動』の416号で、能勢農場を取材してもらう機会を得た。そんな高瀬さんが突然逝ったのが2019年4月。彼を偲んで友人たちが出版された『タカセがいた』を贈呈してくれたのが、今では、よつ葉の物流センターで働くようになっている吉永剛志さんだった。

 『タカセがいた』は昨年9月にいただいて、2日で、いっきに読み終った。このリレーエッセイに何を書こうかと悩んでいたら『力と交換様式』の下に埋れていたこの本を見つけた。多くの人たちが語っている高瀬幸途という人物の魅力を、僕自身も実感したことがあって、本を手に取ると当時のことが鮮明に甦ってくる。

 「設立から40年になる能勢農場のめざして来たところがどうなっているのか。現状での総括を書いてほしい」。そんな言葉ではなかったけれど、高瀬さんが熱心に語られた編集意図はそうだったと思う。それは、折にふれて自分なりの考えをまとめなければと思っていた、自身の課題だった。けれどその作業には相当な熱量が不可欠で、自分にどこまでできるのかという逃げがずっとつきまとっていた。考えた末に、「自分が総括を書くとすれば、最初にそれを届けるべき相手は、これまで一緒に闘って来た仲間に対してだと思っています。それをしないで、『社会運動』に書くというのはカンベンしてほしい」と、偉そうなゴタクを言ってお断りした。でも高瀬さんは引き下らなかった。「それなら自分が津田さんにインタビューする時間をいただいて、文章にまとめることでどうですか」。そんな熱意を断わることはできなかった。そして送られて来たインタビュー記事を読んで衝撃を受けた。自分が口にした以上の意味を伝える言葉が、自分の言葉として、そこには綴られていたから。スゴイ。こんな人が居るのか。事実関係の誤りを2~3訂正しただけで、僕はすぐに原稿を送り返したと記憶している。

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 この雑誌がきっかけとなって、そのすぐ後に『マルクスとアソシエーション』の著者、田畑稔さんから、当時、関生労組が主催して、田畑さんも講師陣の一人だった労働学校で、能勢農場とよつ葉のめざしたところを連続講座で話してほしいと依頼を受けた。一難去って、また一難。覚悟を決めて、まず、「よつ葉の学校」でよつ葉で働く職員の皆さんに話した後で、労働講座を引き受けたいので半年待ってほしいとお願いすることとなった。振り返ってみれば、この流れも、高瀬幸途編集長がつくり出したことのように思える。

 彼は稀有の組織者だった。『タカセがいた』を読んで、改めてその人間力を知ることができ、こうした思いが自分だけの思いではなかったと、高瀬さんとの会話を思い起して、偲んでいます。

                     (津田道夫:㈱能勢食肉センター)



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