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市民環境研究所から

「水問題連絡会」を振り返って


 2022年があと2週間で終わりとなる日に極寒がやってきた。半世紀前から京都の市民運動を共にした一人の女性が86歳で亡くなられた。今年の夏から何人目か分からないほどに訃報が届く。

 公害問題の発生地域に出かけ、被害者と共に問題解決のための汚染調査に明け暮れていた筆者に向かって、古い友人たちから公害現地も大事だが、京都市民として少し働いたらどうだとお叱りが送られてくる。京都の水源である琵琶湖の汚染問題も大事だが、京都が発生源である水質汚染阻止にも働け、いわゆる市民運動を起こせとの要請である。

 公害被害者運動のための調査研究はその意義は分かるが、得体の知れない市民運動に足を突っ込むことには躊躇していた。しかし、京都という狭い盆地社会ではなかなか逃げきれない社会環境であるから、京大を辞めて「使い捨て時代を考える会」を結成され、新しい人生を歩き始めておられる槌田さんに言われるままに「京都水問題を考える連絡会」(水問題連絡会)の結成に参加し、事務局を引き受けることとなった。1978年のことである。

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 先に述べた女性とは、この市民団体の中心的な活動家の山本時子さんのことで、使い捨て時代を考える会にも参画されており、活発な動きをされているのに、前に出ることなく活動をされていた。その方が10年ほど前から入院され、お見舞いもできないままに、亡くなられたと彼女の友人が報せてくれた。

 水問題連絡会の主要なテーマは合成洗剤追放であり、琵琶湖の赤潮発生の原因物質となったとされ、滋賀県当局も有リン合成洗剤の使用中止を呼びかけていた。衣類や食器の洗浄に使われていた石けんに代わって多用されることとなったが、皮膚荒れの原因であり、分解がされにくいことから水系での泡立ちを発生させ、また水の富栄養化をすすめるリンを含有していた。

 水問題連絡会が取り組んだテーマは「合成洗剤から石けんへ」、「学校給食から合成洗剤を追放し石けんの使用を求める」請願を京都市に提出し、86団体が結束して運動展開した。それぞれの居住区の市会議員、市の文教委員会、教育委員会と交渉を重ねる他、学校給食従業員の労働組合とも相談しながら、多くの連絡会の会員が活発に運動を展開した中で、山本さんは目立つ振る舞いではないが、重要な活動家だった。

 当時は家庭料理で使った天ぷら油の類は捨てることが多かったので、水問題連絡会のもう一つの課題は使用済み油を回収し、石けん製造の原料にすることだった。スーパー・マーケットの入り口で天ぷら油の回収と石けん普及運動をスーパーとの合意のもとで実施するという、普通では考えられない運動も実現した仲間の一人だった。回収した油は大津市にある石けん製造工場に渡した。山本さんはさらに活動を発展させ、鉄製の釜で廃食油から自分たちで石けんを製造する活動も立ち上げて、石けん製造を身近なものとして市民に提示してくれた。

 このような多岐にわたる運動は教育委員会や市議会を動かし、請願書は採択され、京都市教育委員会は7校の小学校で食器洗いを合成洗剤から石けんに換える実験を開始し、問題点の整理や洗浄システムの改変を実施した。そして10年の歳月を費やして全校での合成洗剤から石けんへの切り替えが完了した。100万人都市として初めての実践だった。

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 2000年7月に「京都水問題を考える連絡会」は解散することになった。その時の山本さんからのメッセージには、「学校給食での洗浄は石けんにしてほしい」というある先輩の思いを実現させたい一念で参加しました。京都市の小学校での食器洗浄に石けんが定着、全国に誇れる「京都方式」。もうひとつは廃食油回収の中より生まれた手作り石けん。楽しい講習会と多くの方々との出会い。ありがとうございました」と書かれていた。

 山本さんの逝去の報に接し、当時の多くの女性陣の活発な動きが社会の雰囲気を変え、40年前に請願から完全実施を実現させた市民の動きと社会全体の質を思い出した。当時の1日の給食数は14万食もあったが、今では7万食以下という。子供の数は減ったが子供と調理員の安全が保たれていることを思い出しながらの旅立ちだろうと手を合わせた。

                         (石田紀郎:市民環境研究所)

  


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