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連載 ネパール・タライ平原の村から(127)
一枚の写真が語りかけるもの⑦

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井牧人君の定期報告。その127回目。



 現地で暮らした12年を下地に、妻ティルさんの生活史に重ねながら、ネパールの急速な近代化の一断片を書き留めたいと思います。

 写真は90年代後半から04年まで、当時30歳前後のティルさんがNGO職員として過ごした山岳部ラスワ郡ガッタラン村を離れる時に撮ったもの。

 元々、カブレ郡の少数民族タマンの集落でタマン語を学び、住み込みで働いた少数民族プンマガルのティルさん。その後、ラスワ郡のタマン人集落で働くことになりましたが、カブレ郡のタマン人とラスワ郡のタマン人とでは言語が大きく異なっていたとのことです。

 どちらもタマン語話者として知られていますが、タマン語とは正確には、いくつかの近似した言語の総称(方言連続体)なのです。例えば、東部タマン語、南西タマン語、東部ゴルカタマン語など5つの方言に細分化されます。山を一つ隔てれば言葉が変わる、ネパールはそんなところです。

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 ティルさんは部屋を間借りして自炊を始めましたが、広大な階段畑へと続く集落の片隅の民家で、裏手の階段畑は酷く臭かったそうです。初めは原因がわからなかったのですが、数日後の早朝ティルさんは耐えかねて村人にタマン語で怒鳴りました。「誰だ! ここでクソする奴は!」。

 集落にトイレがなかったので、ティルさんの家の裏手の階段畑は、みんなのトイレで、村人は何も間違ってなかったのですが…。

 こういうところから村での暮らしが始まり、衛星改善を目的としたトイレ設置事業。羊毛から糸を紡ぐ女性らの負担軽減のため、手回し式糸車チャルカの共同購入。識字教室といった事業に携わりました。

 トイレ設置事業では、あんな狭い部屋には入れないと村人は物置にしてしまったそうです。便器も安価な素材を採用したので、数年で破損したとのことです。

 糸紡ぎに手で車輪を回転させるチャルカは、わずか200ルピー(200円)ほどだったけれども、それも散々話合い、数人ずつのグループで購入したとのことです。そのチャルカは鉄製の自転車部品を使っているため、故障しても部品が入手可能とのことで、20年以上経った今も健在でした。

 識字教室の事業では、カトマンドゥから講師が来たけど、ある日、黒板に便が付着していたのを見て、怒って帰ってしまったとのことです。

 また、日本人の大学研究者グループが集落に来たことがありました。ティルさんが案内し通訳したそうです。当時は英語を誰一人知らなかったから、その姿にみな驚いたそうです。
■村を離れる日、村人に見送られ涙を拭うティルさん

 でも、本当のところティルさんも、それまで英語を話したこともなく、いくつかの英単語を必死に並べただけだったと笑います。日本人との交流は、わずか3~4日だったようですが別れ際、涙が止まらなかったそうです。集落の人からは、あの中に恋人がおったのか、と茶化されたそうです。

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 立場はNGO職員でしたが、ティルさんもまた、どこかで田舎を引きずっているような人でした。

             (藤井牧人)


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