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連載 ネパール・タライ平原の村から(125)
一枚の写真が語りかけるもの⑤

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井牧人君の定期報告。その125回目。



 今後しばらく、現地で暮らした12年を下地に、妻ティルさんの生活史に重ねながら、ネパールの急速な近代化の一断片を書き留めたいと思います。

 1988年、ティルさんの実家が建つ前に住んでいた家の2階にて。当時、隣家に住む友人のペマ(仮名)が嫁に出される日の晩に撮られた一枚の写真。ペマが新しいショールとサリーで身を包み、親戚の子らと米粉の揚げ物セルロティを持って訪ねて来た時の写真です。電気がまだ無かったから、1つのランプを囲むようにみな集まっているのがわかります。

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 ペマは「親が決めた結婚で一度だけ婿側が家に訪ねて来た時、何も知らずに茶を出した、けれども顔は見もしなかった」「他にいないからって私のところなんかに来やがって…」とすすり泣きながらティルさんに語っていたとのことです。一週間前に結婚が決まり、それから毎日ペマはティルさんの家に来ては、何も語らず一緒に泣いていたとのこと。

 当時、カメラを所有する人はおらず、婚礼の撮影に雇われたカメラマンが撮ったようです。ティルさんの手元にある、カメラに慣れない頃に撮られた写真が全て、緊張したり身構えた写真なのに対して唯一、ある場面をとらえた貴重な写真となっています。

 隣近所から結婚式の手伝いで、花嫁花婿を一目見ようと集まるのがここでの結婚ですが、婚出し直前に隣家を訪ねているこの写真の雰囲気から、当時の結婚が今ほどに華美でなかったことも伝わります。

 実は僕がこの写真を最初に見た時、ティルさんが語ったのは、写真の背景の方でした。ありあわせの木板を張り合わせた隙間だらけの壁だった当時の自分の家についてでした。

 「タライ(平地)へ移住して間もない頃。小学校から帰って、制服から家の古着に着替えようと、バカス(衣類や身の回り品を入れる金属製の収納箱)を開けると、壁の隙から侵入した大量の“虫”がいた。それですぐに閉じて母に伝えた。虫は鍵穴から出入りしていて、母が服を一枚一枚、注意深く取り出していたのを思い出すわ」と。

 この虫とは、在来のハチであるガルマウリ(“家のハチ”の意)のことです。ガルマウリは、自ら家に入って来たのでないと棲みつかないと言われています。戸外や畑で捕まえても、決して民家の屋根や敷地内に棲みつかないのです。

 「しばらくバカスに棲みついたガルマウリはその後、丸太巣箱へ父が移した」とのことです。あれから40年、「ガルマウリは寒くなると飛び立っていなくなる。暑い季節も時々いなくなる。それでも必ず家へ戻って来る。もう今年は戻って来ないだろうと何度も思ったことがあるけれども、毎年毎年、突然帰って来る」。

 ■手前左側がペマ、右端がティルさん
 道路が舗装され、住宅が増え、田畑では農薬が使われるようになりました。現在のように隙間のないコンクリートの住宅がなかった当時、ハチがその辺の素材で造られ、風景に溶け込んだ民家の中に、入って来るのは自然なことであったようです。

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 ところで写真のペマのその後について。古いしきたり、社会通念による悲痛な結末でなければ納得されないかも知れませんが、ペマは2人の息子を授かり、夫と順調な人生を歩んでいると、ティルさんはサラリと語るだけでした。
                               (藤井牧人)



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