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連載 ネパール・タライ平原の村から(121)
一枚の写真が語りかけるもの

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井牧人君の定期報告。その121回目。


 しばらくの間、現地で暮らした12年を下に、亡き妻ティルさんの生活史に重ねながら、ネパールの急速な近代化の一断片を書き留めたいと思います。

 一昨年、憧れの原付免許取得に試験場へ出かけたティルさん。受付でナガリタ(身分証明書)を提示したところ、貼付された16歳頃のモノクロ顔写真を見て係員が言いました「昔はヒロニ(女優)だったのですね…」。

 「いいえ」「今もヒロニですが…」と、答えたティルさんが9年生15か16歳の時。近所の友だちと撮ったという一枚の写真(写真参照)。左上に青いペンで2043と記載されてあります。

 これはネパールで使われるビクラム暦の年号で西暦に換算すると1986年頃。ティルさんたち一家が山岳部から期待を寄せて新天地、ナワルプル郡カワソティへ移住して間もない年に撮った写真です。

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 写真を撮るために、ティルさんの母が編んだ水色のスカートと腕時計をして一応着飾っているそうです。友だちが着ている紺色のスカートは学校制服で、しかも自分のスカートを貸したとのこと。当時、制服は数限りある外出着であったとのこと。この写真に限らず、この頃のティルさんの写真には、本人も友だちも紺のスカートを着て写っている写真がいくつもあります。

 2人の背景には、広大な草原と山並みが写っています。「どこの草原で撮ったの?」とティルさんに尋ねると、家から数メートル歩いた先で撮られた写真でした。確かによく見ると山なみは、いつも家から見えていたマハーバーラタ山脈でした。

 今、この場所からは宅地化され様変わりした景色が見られます。カワソティは、ネパールの中山間地帯の人口増対策、耕地拡大による食糧増産等を主目的としたネパール再定住公社による国家プロジェクト(ナワルプル再定住プロジェクト)により、1970年にできた開拓新村です。

 でも、ほんの30年くらい前のある年代までは、彼方まで民家が一軒も見当たらない、のどかな草原であったことがうかがえます。同時にこの数十年に急速な社会変動があったことを写真の背景から認識させられます。

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 ティルさんが青年期だった1980年代後半。カメラを所有するカメラマンが村に一人しかおらず、写真とは、撮ってもらうものでしかも同じような構図のものばかり。自然風景、動植物、行事、場面を被写体にした写真は存在せず。

■1986年のカワソティー。右がティルさん
 ティルさんはほぼ直立で表情はどれも硬く、少しの笑みも見当たりません。当時、写真というのは「私」を観ることができる貴重な楽しみ、記録、思い出であると同時にカメラを向けられることに慣れておらず、どこに目線をやればよいのかわからず、緊張してしまったとのことです。

 写真撮影が都市の写真館から地元へ、モノクロからカラーへと変わった時代、やたら撮り過ぎて削除する暇もない画像が大量に溜まることがなかった時代、手にとって一枚一枚写真を見ていた時代の話です。

           (藤井牧人)



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