逃げられない現場を抱えて農薬問題に取り組む
現場レベルで農薬問題に取り組むということ
地球温暖化で持ちきりの、今日この頃である。そう言えば、この京都でも今年は秋がなかったような気がする。筆者だけかと思っていたが、我が大学の若い女性たちも同じように感じているらしい。どうなってしまったのか。和歌山のミカン園を照らすお月さんに、寒さに震えながら聞いてみた。この季節になると、頭の中はミカン色に染まり、ミカンのことしか考えられないでいる。
これまでも何度か触れたが、農薬ゼミという自主研究グループで、30年前から省農薬ミカン園の調査と収穫物の販売を継続してきた。今から40年前、一人の高校生が殺虫剤の散布作業で農薬中毒となり、治療の甲斐もなく2日後に死亡した。両親は薬剤を認可した国と販売した農薬会社の責任を問い、損害賠償を求めて裁判を起こした。「農薬裁判」とも「ニッソール中毒裁判」とも呼ばれた裁判は17年にわたって続けられ、原告と会社との和解で終結した。1986年のことである。
この裁判は、農薬による環境・食品汚染問題を市民社会に提起した歴史的運動だった。原告の一人だった父親はもう亡くなられたが、その弟が始めたミカンの省農薬栽培園は今も継続しており、今年も収穫期を迎えた。市民環境研究所を活動拠点として、ゼミを構成する十代の若者がこの園の病害虫や収量の調査と収穫作業とミカンの販売に取り組んでいる。面積1町歩のミカン園には1000本の樹がある。35年を経たミカン樹は壮年期を迎え、もっとも活性のある時期に入った。
地球温暖化の時代とは言え、一昨年の冬は極めて寒く、南方原産のミカン樹は寒害を受け、昨年は結実が極端に少なかった。例年20トン近くある収量が10トンとなり、昨年の今頃は、ひたすら頭を下げて注文をお断りしていたものである。商品のない商人のつらさが身にしみた秋であった。
しかし、不作の翌年には豊作がくる。いわゆる隔年結果で、ミカンはその傾向の強い果樹だ。実際、収穫の秋となってみると、ミカン園は全園がオレンジ色に染まっている。予想収穫量は30トンに達しそうな大豊作だが、今度はそれを売りさばけるかどうかで悩ましい毎日が続いている。何年もつき合ってくれている顧客への案内から新規開拓。団地のビラ入れもした。全量までとは言わないが、8割はさばき切りたいと必死である。
環境問題に関心のある学生は多いが、現場を抱えてまで環境問題に取り組む者は少ない。知識だけを得れば環境問題に精通したと錯覚する若者の如何に多いことか。環境問題は生産の問題であり、商売のことである。この大豊作を売り切らなければミカン農家の収入がなくなり、生活が困窮する。逃げられない現場を抱えて農薬問題に取り組む若者と一緒に働いていると気分がよい。と言って、彼らは悲壮感よりも明るさの中で考え、行動している。こんな若者がいる限り、環境危機も乗り切れるだろうと思う。(石田紀郎)